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スタートヽ(*^ω^*)ノ
夜。
いつものように病室の空気はひんやりと静まり返り、カーテン越しに互いの存在を感じる時間が訪れる。
だが、キヨの胸の中は重く沈んでいた。
いつもなら、レトルトの手が差し伸べられるたびに、心臓が跳ねるように高鳴り、待ち望んでいたのに――。
今夜は違った。
指先がキヨに触れた瞬間、無意識に手を振り払ってしまった。
『……』
怖いくらいの静寂に包まれる。
キヨの心の奥底に渦巻く嫉妬と苛立ちが限界を超えてしまっていた。
『ごめん….今日は触りたくない…』
キヨの声は驚くほどに冷たく感情が消えていた。
キヨがレトルトの手を拒絶したのは初めてだった。
初めて目の前で、柔らかく差し伸べられた手を振り払った瞬間。
その瞬間、カーテン越しのレトルトも初めて、胸に違和感を覚えた。
「……キヨくん……?」
レトルトの呼びかけにも答える事はなくキヨはベッドに潜り込んだ。
いつもなら笑顔で手を差し伸べるだけで安心できるはずの距離が、今夜は少し遠く感じられた。
お互いに思い合っているのは分かっている。
でも、ほんの小さな拒絶が、二人の間にかすかな溝を作ってしまった。
夜は静かに更けていく。
キヨもレトルトも何もせず、言葉も交わさず、ただ眠りについた。
胸の奥でざわつく気持ちを抱えながら、二人は静かに夜に沈んでいった。
朝、目を覚ましたキヨ。
いつもの日課――朝一番の「おはよう」の挨拶。
今朝も研修医に先を越されてしまった。
「おはようございます、レトルトくん」
いつもなら、自分が一番に声をかけるはずの時間。
それを奪われたことに、胸の奥がチクチクと痛む。
(……なんで……いつもは俺が一番なのに……)
心の中で苛立ちが膨らむ。
さらにリハビリの時間。
いつもなら、「いってらっしゃい」と優しく声をかけてくれるレトルト。
しかし今は、研修医との会話に夢中になり見送りもしてくれなかった。
キヨの心は、焦りと嫉妬でぐちゃぐちゃにかき乱される。
(……もういい!レトさんの馬鹿野郎!……ずっと研修医と仲良くしてろっ)
その苛立ちは、胸の奥で爆発しそうになり、手を握りしめたままリハビリに向かうしかなかった。
日課だった、レトルトとの些細なやり取りは、日に日に減っていった。
おはようの挨拶も、見送りも、何気ない会話も――夜の触れ合いも。
レトルトと研修医との間に割り込むことも出来ず、キヨは少しずつ置き去りにされているような気がして、心の奥が荒んでいった。
リハビリの最中、その苛立ちと焦燥を抱えながら歩いていると、見慣れた顔が現れた。
母親だった。
「キヨ……主治医の先生から話があるから、ちょっと来てくれる?」
声は優しいが、どこか緊張を含んでいる。
キヨの胸がざわつく。
一体、何の話なのだろう。
母に連れられてキヨは主治医の部屋に向かった。
主治医の先生が、嬉しそうに告げる。
「キヨくん、だいぶ足の調子も良くなってきたし、リハビリも順調です。
松葉杖を使えば歩けるようになりましたから、あと1週間で退院しましょう。あとは自宅での療養です」
本来なら、飛び上がるほど喜ぶはずの知らせ。
でも、キヨの胸に湧き上がるのは、喜びよりも強い別の感情だった。
――退院したら、レトさんに会えない。
もう、毎日一緒に過ごすことはできない。
その想いの方が、喜びを飲み込んでしまった。
キヨは小さく肩を落とす。
(……俺は、まだ……レトさんと離れたくない……っ)
足の回復に喜びはある。
でも、心の奥底で、もうすぐ訪れる「二人で過ごせない日々」に胸が痛む。
小さなため息をつきながら、キヨはその現実にじっと向き合った。
母と話を終え、重い気持ちを抱えながら病室に戻るキヨ。
――伝えなきゃ、退院のことを。
でも、目に飛び込んできた光景に、胸がぎゅっと締め付けられた。
レトルトは、研修医と楽しそうに話している。
笑顔を見せ、声を弾ませて、まるでキヨの存在など最初からないかのように。
(……なんで……俺は……もういらないの?)
悔しさと悲しさが一気に押し寄せ、胸の奥で堰を切ったように涙が込み上げる。
それでも、必死に涙を堪えた。
声も上げず、ただ俯き、心の中で呟く。
(……レトさん……俺も……話したいのに……っ)
カーテン越しに聞こえる笑い声と、距離感。
一歩近づけば届くはずなのに、今のキヨにはどうすることもできない現実が、心を締め付けた。
重苦しい沈黙の中、キヨはひとり、深く息を吸い込んだ。
涙は堪えても、胸のざわつきは収まらなかった。
夜が訪れる。
あの夜――初めてレトルトの手を振り払ってしまった日から、カーテン越しの差し伸べられる手はもうなかった。
静まり返った病室の空気に、キヨの胸はどこかぽっかりと穴が開いたように感じていた。
カーテンの向こう側で、レトルトが何か言いたげに声をかけようとしているのは、キヨにも分かっていた。
けれど、嫉妬のせいで、気づかないふりをするしかなかった。
(……俺、触れられたくないんじゃない……レトさんに……でも……)
複雑に絡み合った感情に、言葉も動きも止まる。
その夜、キヨは静かに俯き、胸のざわつきだけを抱えながら、ベッドに横たわっていた。
キヨは、静かな夜の病室で意を決して声をかけた。
『レトさん? 起きてる?』
カーテン越しに伝わるかすかな沈黙の後、レトルトの声が返ってきた。
「……あ、うん。起きてるよ。」
その声は、嬉しさを隠せない響きで、キヨの胸を少しだけ温めた。
『レトさん、俺さ。あと、1週間で……退院することになったんだ』
小さな声で告げるキヨ。
言葉を口にするだけで、胸の奥が締め付けられるようだった。
レトルトは驚いた表情を声に滲ませた後、すぐに返す。
「そ、そうなんだ。そっか!……よかったやん!大好きなサッカーできるやん!」
しかし、その声音には、喜びの裏に隠された微かな悲しみが滲んでいた。
しかし、キヨはそれに気付かなかった。
(は?それだけかよ。寂しいとか…離れたくないとか….なんかあるんじゃねぇの?もう、俺のこと好きじゃないのかよ….。やっぱ研修医の方が好きなのかよ。…..レトさん…)
レトルトの言葉に、キヨはただ小さく「うん」と返すしかなかった。
思っていた返事も、欲しかった反応も、何も返ってこない。
もっと縋ってほしかった。
泣いて、自分にすがる姿を見たかった。
でも――どれも叶わなかった。
目の前のレトルトは、静かに微笑みながらも、悲しみを隠すように装っているだけだった。
(……俺の気持ち、届かないのか……)
吐き出せない想いが、胸の奥で重くのしかかる。
無言のまま、それぞれが布団に潜り込む。
静かな病室で沈黙の夜は、ただ静かに、重く流れていった。
続く