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教室の片隅。夕陽がカーテンの隙間から射し込み、机の脚の影を斜めに伸ばしていた。
遥は、うつむいたまま自分の手をじっと見ていた。
掌に残ったインクの染みと、裂けたシャツの袖。
「……どうして、こんなに……バカなんだよ、オレ」
笑った声は、ひどく乾いていた。
それでもその目の奥では、何かがきつくきつく、縛られていた。
痛みじゃない。怒りじゃない。
──罪だった。
「オレが……近づいたから。アイツが、巻き込まれた」
ボタンがひとつ、床に転がり落ちた。
小さな音だった。けれどその音が、まるで自分の中の何かが壊れていく音に思えた。
一方──階段の踊り場。
手すりに背を預け、日下部は大きく息を吐いた。
酸素が足りなかった。心臓の音ばかりがうるさく響いている。
制服の襟元は掴まれ、乱れていた。
見せしめのように掲げられた嘘と笑い。
蓮司の影が見えなくても、そこには“構図”だけが残っていた。
「守ったら、あいつが壊れる。……じゃあ、オレは、どうしたらよかったんだよ」
誰に向けたでもない問いだった。
ただの吐き捨て。
けれど、その声はあまりに小さく、自分にすら届かない。
(……あいつ、泣いてた?)
遥の表情は思い出せない。
でも、震えていた肩。濡れていた睫毛。
目を背けようとしたのは、自分のほうだった。
「オレが、あの時──」
ふと、掌を見つめた。
力を込めれば簡単に殴れたはずの拳。
なのに、それを握ることすら、できなかった。
蓮司の声が、耳の奥に焼き付いていた。
「“ヒーロー”なんだろ、お前」
──違う。
そんなものじゃない。
誰も救えないただの臆病者だ。
だがその烙印を、日下部は受け入れるしかなかった。
その“沈黙”が、遥にとっての何よりの裏切りだったと、知っているから。
そのとき──誰かが笑う声が、廊下の奥から聞こえた。
クラスの誰か。
遥の、あの笑いを模したような──嘲りの、冷たい残響。
日下部は顔を歪め、拳を壁に叩きつけた。
血が滲んだ指の骨が、罰のように軋んだ。
(全部、オレのせいだ)
そう思った。
──でも、その言葉を口に出した瞬間に、遥と同じ場所に堕ちてしまう気がして。
彼は、何も言わず、ただ、そこに立ち尽くしていた。
同じ空の下で。
違う場所で。
それぞれが、“守る”ことの意味を失いかけていた。
それでも、まだ──
どちらも、相手を“見捨てた”わけではない。
けれど、その“わずかな距離”が。
少しずつ、確実に、二人を裂こうとしていた。
蓮司の狙い通りに。