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翌日は十時に奏多さんのお迎え。
正直言うと、昨日はあのままマリーナベイに連泊になるのかなって思っていた。けれど、そうはならなかった。
奏多さんは夕食が終わると私をホテルまで送ってくれた。
 
 「おはよう」
「おはようございます」
 昨日と変わらぬ爽やかないでたちの奏多さん。
私も普段着でいいよって言われたからスカートとサマーニットにした。
 「じゃあ、行こうか?」
「はい」
 昨日は徒歩と地下鉄とタクシーの移動だったけれど、今日はホテルの前に車が待っていた。
 「これって・・・」
「会社の車だよ」
「へえー」
 普段は運転手付きの車に乗っているってことか。
やっぱりセレブなんだ。
 
 
 向かった先は超有名ブランドのショップ。
大通り沿いにあって人気のお店だけれど、敷居が高くて私にはなかなか入ることができない場所。
 「いらっしゃいませ」
品のよさそうな女性店長に日本語で迎えられ、私と奏多さんは3階のVIPフロアーへ通された。
 
 「どのようなスタイルがお好みですか?」
 まずはソファーに案内され、コーヒーが出されたところで私にかけられた声。
 「そうですねえ・・・」
 どのようなって言われても、ブランドの服なんて縁がなくてよくわからない。
 「お任せするから、この子に似合うスタイルを提案してください」
「かしこまりました」
 困っている私の代わりに奏多さんが答えてくれて、 深く頭を下げた店長は静かに消えていった。
 ***
 それから一時間以上かけて、四着ほどの試着をした。
 「パーティーと言っても仕事仲間の集まりだよ」
そう説明した奏多さんの言うように、用意されたのはあまりフォーマルなものではない。
 ワンピースを少しドレスアップしたものや、シンプルなカクテルドレス。
みんな仕立てがよくて品がいい。
 「どれにする?」
ソファーで足を組みながら、奏多さんが聞いてきた。
 うーん、悩むなあ。
みんな素敵で選べない。
 「奏多さんはどれがいいですか?」
 こんな時、人に判断をゆだねてしまうのが私の悪いところ。
わかっているけれど、決められない。
 「その白いワンピースが一番似合っていたかな」
 指さした先にあるのはノースリーブでひざ丈の爽やかなワンピース。
私もこれが一番好きだった。
 「じゃあこれにします」
って言ってしまってから、値段を見た。
 うわ、高。
私の給料何か月分だろう。
 「靴と小物もそろえておいてください」
「かしこまりました」
 女性が頭を下げ、買い物が終わってしまった。
 ***
 その後ホテルに戻りレストランで昼食。
食べ終わるとホテル内にあるサロンに連れて行かれ、あっという間に人に囲まれた。
 「じゃぁ、きれいにしてもらっておいで」
奏多さんは私を置いてどこかへ消えていった。
 
 それからは髪をいじられお化粧をされ、されるがままのお人形状態。
それでもきれいにしてもらえる事は嫌な気分じゃなくて、楽しかった。
 
 「さぁ、できましたよ」
声をかけられたのは1時間以上後。
 いつもおろしている髪をハーフアップにして少し巻いてもらい、お化粧もナチュラルだけど丁寧に仕上げてもらった。
ちょうど出来上がった頃には先ほど選んだワンピースも届き、ハイヒールやバックまでブランドでそろえてもらった。
 大きな鏡の前で、すごいなあこんなに変わるんだと我ながら見とれた。
 「いかがですか?」
「なんだか私じゃないみたい」
 最後にリップを乗せてくれたスタッフに聞かれ、 鏡の中の自分を見てつぶやく。
 「とても素敵です。お洋服もお似合いです」
 私を変身させてくれたスタッフ達に言われ、笑顔になった。
なんだか夢みたい。
きっとこんな体験二度とないだろう 。これも一生の思い出かな。
 ***
 「おー、キレイになったなあ」
着替えが終わり入ってきた奏多さんが嬉しそうに見ている。
 「奏多さんも素敵です」
 少し光沢のあるダークスーツを着た奏多さんも、朝とは別人。
どこかの王子様だって言われてもおかしいとは思わないレベル。
 「じゃあ仕上げに」
そう言うと、側に立つスタッフから何かを受け取り私に近づいてきた。
 ん?
私は至近距離まで来た奏多さんの顔を見上げる。
 「うん、よく似合うよ」
「え、あの、これって・・・」
 私の首にかけられたネックレス。
それも何連にも連なった豪華なもの。
そこには数えきれないほどの宝石が付いていて、
 「これって、本物じゃあ」
ないですよね。の声がしりすぼみになった。
「もちろん」
 はあー、よかった。
 「本物だよ」
「ええええー」
「芽衣、うるさい」
 だって・・・
 落ち着け、落ち着け芽衣。
私は何度も心の中で繰り返した。
 「えっと、じゃあ、これは、ダイヤモンド?」
 透明できらきら光る宝石の名前を他には知らない。
 「そう、綺麗だろ?」
 「無理です。外してください。失くしたらと思うと心臓が持ちませんから」
「大丈夫。レンタルだし、保険も掛けてある」
「でも」
 「今日一日同伴してくれる約束だろ?」
「それは、そうですけれど」
 きっと、何を言っても奏多さんは引かないんだろう。
こうやって時々見せる強引さは、蓮斗に似ている。
お坊ちゃまの特徴なのかもしれないな。
 「じゃあ、行こうか」
 奏多さんに手を差し出され、私は素直に従った。
こうなったらなるようになれ。
 ***
 真っ白な洋館で行われたパーティー。
場所は有名な観光地セントーサ島。
海岸沿いの大きな一軒家を貸し切った会場には五〇人ほどの人が集まっていた。
 中に入った瞬間、「すごっ」声に出さずにつぶやいた。
集まっている人たちの人種もまちまちで、着飾ったドレスがすごく華やか。
すごいなあ、こんな世界が本当にあるんだ。
 「口が開いてるよ」
奏多さんに肩をつんつんされて、笑われた。
 「すみません」
異世界過ぎて、固まってしまった。
 奏多さんはかなりのエリートなんだろうと思っていた。
海外勤務だし、マリーナベイに泊まっているし、身につけるものも高級そうだし、何よりもお坊ちゃま感が半端ない。
でも、蓮斗のようにお金持ちをひけらかす感じもなくて自然体。だからかな、一緒にいるとついセレブなのを忘れてしまう。
 「大丈夫、僕の隣にいればいいよ」
私の顔がよほど不安そうだったらしく、そっと手を握ってくれた。
 こういうところが優しいし、大人だなと思う。
だからこそ、足を引っ張りたくはない。
だって、
 「奏多」
「カナタ」
さっきから奏多さんを呼ぶ声が後を絶たない。
 「私はいいから行ってください」
 アジア人のくせに身長百八十五センチ超えで、爽やかなイケメンの奏多さん。
さっきから私を見る女性たちの視線が怖いもの。
 「でも、」
「大丈夫。こう見えても私英語と中国語が話せるの」
「へえー」
驚いた奏多さんの顔が面白かった。
 ***
 こういうパーティーの場は初めて。
どう行動すべきかもわからないけれど、なるべく隅っこで目立たず邪魔にならないように気配を消して過ごした。
それでも声をかけてくる人はいて、
「|Are you on your own《おひとりですか》?」
素敵な男性たちが時々声をかけてくれる。
 「|I’m sorry, I’m not alone.《ごめんなさい。一人じゃないので》」
そう言ってチラッと奏多さんを見ればみんな逃げていってくれるけれど、中には
「|I would like to know you more《あなたのことをもっと知りたい》. 」
なんて積極的に迫ってくる人もいる。
 困ったなと下を向くと余計にぐいぐい来られて、何度か会場の中を逃げ回るようなこともあった。
英語も中国語も他にも何ヵ国語か話せるけれど性格だけは治らないらしい。
 「ずいぶん逃げ回っているね」
ふいに日本語が聞こえて、私は振り向いた。
 そこにいたのは優しい表情の男性。
歳は、30代かな。
俳優さんみたいに整った顔のイケメン。
 「すみません、こういう場所が初めてで」
きっと挙動不審だったんだろうなと、言い訳をしてみた。
 「こんなかわいいお嬢さんを一人にして、何をしているんだろうねえ」
そう言って見る先には女性に囲まれた奏多さんがいる。
 「いいんです。大丈夫ですから」
「そう?じゃあ僕と少し話をしようか」
男性はすごく自然な動作でウエイターからグラスを受け取り、一つを私に差し出した。
 この人、慣れている。
私に断る隙を与えなかったもの。
 「名前を聞いてもいい?」
「芽衣です」
「芽衣ちゃんか。僕は遥って言います」
「遥さん?」
「そう。たまたまこっちに出張できていてこのパーティーに参加したんだ」
「そうですか」
 それからしばらく、私は遥さんと話をした。
 ***
 遥さんは日本の商社に勤めていて、34歳。
奥さんとお子さんが二人いるらしい。
 「芽衣ちゃんは観光できたの?」
「ええ、心機一転の傷心旅行なんです」
「へえー」
遥さんが驚いて目を丸くした。
 そうだよね。
パーティーで初めて会った人に、私はなんでこんな話をしているんだろう。
奏多さんにも話していないのに。
きっと遥さんがすごく聞き上手なんだ。
 たった数分話をしただけだけれど、遥さんができるビジネスマンだってことはよく分かった。
強引すぎず、でも力強く、自分が持っていきたい方向に自然に話を持っていく。
これってかなりの高等技術。
きっとこの人が本気になれば、どんな大きな契約でも取れるんだろうなと思えた。
 「さあ、怖い顔して近づいてくる奴がいるから、僕は退散するよ」
 え、ああ。
確かに、奏多さんが硬い表情でこちらに歩いてくる。
 「じゃあね、芽衣ちゃん」
「はい。遥さんにお会いできてうれしかったです」
「こちらこそ」
最後まで紳士的に、遥さんは離れていった。
 ***
 「何を話していたの?」
「え?」
不機嫌そうな声でいきなり聞かれ、答えに詰まった。
 「ずいぶん楽しそうだったじゃないか」
「そんなことないよ」
「そうか?芽衣がニコニコしていた」
「そんなあ・・・」
 それは言いがかり。
私は奏多さんの足を引っ張らないように必死だっただけで、遥さんに特別な感情なんてない。
それより、
 「どうしたの?奏多さんらしくないよ」
「別に」
プイと反対を向いてしまった奏多さん。
 この時の私は何か嫌なことでもあったかなくらいにしか思っていなかった。
もともとパーティーに行きたくなさそうだったし、かなり人に囲まれていたし、イライラして不機嫌になったのねと気にしていなかった。
 ***
 パーティーが終わり、乗ってきた車で泊っているホテルまで送ってもらえるものと思っていたのに、着いたのはマリーナベイ。奏多さんが泊っているホテル。
そうか、借り物の宝石も返さないといけないし、一旦奏多さんの部屋へ向かうってことかな。
 車が止まり、ドアが開き、私は奏多さんに続いてホテルに入った。
 車の中も、ホテルに入ってからも、エレベータの中でも奏多さんは無言。
多少居心地が悪いなとは思いながら、私も黙ってついて歩いた。
 
 ガチャッ。
ドアが開き部屋に入ると、ソファーの横には朝着ていた服や靴が置かれている。
さすが、いつの間にか運んでもらっていたんだ。
それじゃあ着替えようと歩き出した瞬間、
 ギュッ。
いきなり背後から抱きしめられた。
 え、えええ。
驚いて頭を上げると、奏多さんの悲しそうな顔。
 「どうし」
言い終わるより先に唇をふさがれて、奏多さんの体温が流れ込んでくる。
 うん。うぅん。
何度も必要に責められ、私も声が漏れ始めた。
 今更抵抗する気はない。
私は素直に、奏多さんを受け入れた。
 ベットに運ばれ、服を脱がされ、下着を取り払われたところでふと気が付いた。
私は前回のとき酩酊していて、奏多さんに抱かれた記憶がない。
ということは、これが始めてみたいなもの。
そう思うと急に恥ずかしくなった。
 「どうした?いやだった?」
困った表情の奏多さん。
 「大丈夫、抱いて」
 自分から抱いてくれなんて言ったことないのに、勝手に口から出ていた。
きっと、ここが異国の地シンガポールで、相手がお話の中から出てくるような王子様で、下の名前しか知らないその場限りの関係だからこそ言えた言葉だろう。
 その夜、私たちは無心に求めあい何度も体を重ねた。
昼間の奏多さんよりは少し意地悪で、強引で、ワイルドな姿に完全にやられた。
 「奏多・・・奏多・・・」
 遠のく意識の中で、私は何度も奏多さんの名前を呼んだ。
 ***
 次に目が覚めたのは朝の4時。
 まだベットの上で眠っている奏多さんを見ながら、幸せな気分になった。
もう二度と会うことのない人。
わかっていても、こうしていられたことがうれしい。
この思い出を胸に、新しい生活を始めよう。
 私はそっとベットを抜け出すと、荷物をまとめた。
買ってもらったワンピースは記念にいただいて行こう。
もう着ることはないかもしれないけれど、奏多さんの元に置いておいても迷惑なだけだろうから。
 『色々とありがとうございました。おかげでとっても楽しいシンガポール旅行になりました。今日帰国なので、黙って行きます。奏多さんもお元気で。芽衣』
 部屋にあったメモ紙にメッセージを残し、私はホテルを後にした。