潮風が頬を撫でる。
波の音と、遠くで聞こえる船の音。海から吹いて来る生ぬるい風の匂い。俺はそれらを感じながら、ゆっくりと歩を進めていた。神津は物珍しそうに辺りを見渡しながら俺の隣を歩いている。
コンビナートは、夕日によって赤く染まっていた。赤い空に、黒い海。まるで、世界の終わりみたいに。だが、俺はこの光景が嫌いではなかった。むしろ好きだ。
少し歩けば、ごわごわとした工場地帯から抜け、俺は立ち止まり立ち並ぶ倉庫を見ながら耳を澄ませた。波の音や船の音に混じって聞える動物の声。
神津が不思議そうに俺を見たが、俺はそれに気づかないふりをしてただ、目を閉じた。すると、どこからか、にゃあんと鳴き声が聞えた。俺は目を開き、声のした方へと駆け出す。
「春ちゃん足早ーい」
「お前、余裕そうだな。さっきまでへとへとだったくせに」
「ん~体力残してるだけ。だって、今夜もお楽しみしたいんだもん」
と、神津はにっこりと笑って見せた。俺はその言葉に一瞬足を止めたが、すぐにまた走り出し、倉庫の隙間に入って行った。
「神津?」
後ろを振返れば、そこに神津はおらず、俺は一人倉庫の中に入っていた。いつはぐれたのかと出口を探していれば、足下で黒猫がニャーと鳴く。それは、探していたマモだった。
こんな所まで来ていたのかとゆっくりと近付けば、マモは怯える様子もなく金色の瞳で俺をじっと見つめていた。何かを訴えかけるように。すると、ガシャンと倉庫内に大きな音が響いた。
「お兄さん助けて!」
そう、小さな子供の声が聞え何処にいるのかと辺りを見渡せば、奥の方から泣き叫ぶような少女の声がした。声を辿りながら倉庫内を走れば、クレーンでつり上げられ縛られた少女が身体をばたつかせながら助けを求めているのが見えた。どうしてそんなことになっているのか理解が追いつかなかったが、俺は助けるべくクレーンを下ろすため操縦席を探したが、見つけた操作パネルは壊されていた。
「クソッ……」
少女は俺に気づきさらに助けてと身体を捻るため今にも落ちそうだった。あのまま動けばクレーンごと倒れると、俺は頭を悩ませたが、頭より先にホルダーにしまっていた拳銃を構えた。少女は怯えたような顔になり、泣き叫ぶ。
「いや、いや、殺さないで」
「安心しろ、殺さねえよ」
と、俺は少女に微笑みかけて引き金を引いた。銃口から飛び出した弾丸はつり下げられたクレーンの紐に命中し、それを切った。
紐が切れれば、少女は真っ逆さまに落下し、俺は急いで彼女の元へ駆けつけ下で受け止めた。
「ほら、死ななかっただろ?」
「う、うわぁぁああんっ」
「おい、おい、泣くなよ。俺が悪いみたいな」
泣き出す少女を宥めようと言葉をかけようと思ったその時、ヴウゥウウン……と機械音が鳴り、足下のコンベアーが動き出した。
「おい、マジかよ」
受け止めた衝撃で足が思った以上に動かず、少女を抱きかかえたまま俺はコンベアーに運ばれていく。コンベアーの目指す先には、煮えたぎるマグマが見えた。どうやらこの倉庫は、熱処理をする場所らしく、俺が乗ったままのコンベアーは速度を落とさず動く。
これはまずいと、俺は慌ててコンベアーから降りようと動こうとすると、腕の中の少女は驚き俺から離れようと暴れた。ドンッと胸を叩かれ手を引っ掻かれたりもしたが、俺は彼女を離さなかった。
このままでは、二人とも死ぬ。
俺は取り敢えず少女を抱えたまま動くコンベアーと反対方向に走ろうとしたが、目の前からゴミの山が向かってくるのが見えた。
「ッチ……」
舌打ちをし、俺は彼女の腰に手を回し抱き寄せコンベアーから降りる方法を考える。とてもじゃないが少し痛みの残る足では高さのある障壁を登り切ることも飛び越えることも出来ないだろう。大量のゴミで退路はふさがれている。考えている内にゴミの山は目の前に迫り、マグマの熱も背中に感じる。このままでは本当にドボンだ。
(何か、何か打つ手はないのか?)
そう考えていると、倉庫内に鈍い音が響いた。扉が開かれるような音、そしてこちらにむかって走ってくる足音が聞えた。
「春ちゃん!」
「神津!」
それは先ほどはぐれた神津で、上の方から俺たちを覗いて状況を察した彼の顔つきは一気に変わった。
「神津、この少女だけでも助けられないか」
「何言ってんの春ちゃん、そんなの無理だよ」
何が無理なんだよ。と言い返したくなりつつ、その無理は少女も助けられないという意味なのか、少女だけ助けるのは無理ということなのか。緊迫した状況なのに、ついそんなことを考えてしまう。きっと、頭の何処かにまだ余裕が残っているからだろう。
神津は、何か方法がないか考えているようでクレーンの方に目をやったが、如何せん操作パネルも、俺がさっき紐を切ったせいで長さも足りない。ならば、コンベアーを止める方法を探すしかないのではないかと考えた。何にせよ時間が無い。
「お前のその頭でどうにか打開策を考えてくれ」
「そんな、人任せな」
と、神津は困り果てていたが、俺は冗談抜きで焦っていた。少女を抱えながら逃げようにも出口は無い。この場を脱出するには、神津の力が必要だった。
「恭、頼む。何とかしてくれ」
「もう、仕方ないなぁ」
そう言うと、彼は上着を脱いで捨てるとクレーンの方へ走っていった。方法はねえだろうと思いつつ、操作パネルが壊されているんじゃコンベアーを止める装置も壊れているだろうなと俺は予想した。
俺は、腕の中でなく少女を宥めながら、目の前に迫るゴミの山を見る。もしかすると、この山の上を登れるかも知れないと。
(だが、この子を抱えたまま登り切れるか?)
子供と言っても小学生高学年ぐらいでそこそこに背もある。そんな彼女を抱きかかえたままゴミの山を登り切ることが出来るのか。
(いや、登り切るしかない)
俺は意を決しゴミの山を登ることを決意した。登り切ることは出来ずとも多少の高さがあれば、コンベアーの両脇にある壁を越えることが出来ると。
「おい、お嬢ちゃん頑張れるか?」
腕の中に居る少女に、俺はそう問いかけると少女はその黒い瞳を見開いた。
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