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「まだ来てる………」
もう、どれほど走ったか分からない。
過度なスピードを抑え、法定速度にとどめた車は、曲がりくねった山道を快走していた。
その後ろには、相変わらずあの逆立ち女が、付かず離れず従っている。
慣れとは怖いもので、この頃には車内の雰囲気も、幾分か落ち着きを取り戻しつつあった。
パドルシフトをリズミカルに操作する慶子さんの鼻唄が、安らかなムードに拍車をかけていた。
もっとも、その音程はどことなく震えていたが。
“これは一つのアトラクションだ”
私は私で、そういった能天気な考えで頭のなかを満たし、自分を納得させようと努めていた。
しかし、ここに来て心に余裕が生まれたのは大きい。
改めて状況を整理するのに、またとない好機だろう。
「ヤバい奴じゃないって言ったよね?」
「ん……。うん、邪気はない。 むしろ小綺麗なもんですよ」
念押しのつもりで投じたところ、友人は後方を返り見ながら答えた。
「見た目で判断しちゃダメってことか……」
「うん。 どこの世界でも同じですかね、それは」
そうは言っても、あの風体はさすがに怖すぎる。
まるで悪夢の1ページを見るような
いや、あれはアトラクションだ。アトラクション………。
過度な恐怖はよくないと、先日学んだばかりじゃないか。
「むかし、小学校の図書室にさ? “さかだちお化け”ってのなかったか?」
幸介の発言でピンと来た。
たしかに、そういった題名の絵本を読んだ覚えがある。
そうだ。 徐々に記憶が鮮明になってきた。
いま考えても、小学生が手を伸ばすにはドぎつ過ぎる内容の絵本だ。
その本を読んでから数日間、私は悪夢にうなされた。
細部はうろ覚えだけど、たしか両足を縛られたお化けが、逆立ちをして人を脅かす話だったと思う。
「足は………」
「思いっきり動いてますね」
「うん、見事なもんだね………」
開けた着物から覗く健康的な脚は、それぞれダンスなどするようにスイスイと運動を繰り返し、当人のバランスを見事に保っている。
「なんで追いかけてくるんだろ?」
運転席のヘッドレストにジッと視線を据えたまま、幼なじみが妥当な疑問を口にした。
「いっそ、譲ってみる?」
いつしか鼻唄のレパートリーも底をついた慶子さんが、サイドミラーにチラチラと気を配りながら、そのように提案した。
それは、たしかに一つの手段かも知れない。
逃げるものを追いかけるという動物的な習性が、彼女にも当てはまるのか定かではないが、試してみる価値はあるか。
「いえ、それは止めたほうが良いかと」
「え?」
結桜ちゃんが、撓みのない口調で待ったをかけた。
つづく言葉を受け、車内にふたたび緊張が走る。
「やはり、あの者からはたしかな敵意を感じます」
まさか、ここで意見が割れるとは思わなかった。
「いや……、でも危険じゃないって」
友人に目を向けると、「ふむ……」と唱えた彼女は、お決まりの仕草で考え込んでしまった。
そういえばこのヒト、自分に向けられる敵意や悪意に関しては、どこか鈍感なところがあるんだった。
それは恐らく、一種の麻痺に近いものだと思う。
かつて、彼女に差し向けられた夥しい悪意。
敵意に次ぐ敵意の渦中に、長いこと身を投じていた所以だろう。
『よくそれでやってこれたよね? 危ない事とかなかったの? こっちに来てから』
『え? だって、鉄砲の弾が届くより先に殴っちゃえばいいだけの話じゃないですか?』
いつぞや、当人が語った根性論の極致については、深く考えないことにする。
一方で結桜ちゃんは、一族に向けられる実体のない悪意に、長らく晒されて生きてきた。
今は実害がなくとも、いずれは武装した人間が押し寄せてくるかも知れない。
そんな不安の中で、落ち着かない生活を続けてきたのだと思う。
そこで培われた危機感知能力は、恐らく現在の友人とは比べものにならないのではないか。
「うん……。 たしかに、下手な真似は避けたほうがいいかも」
素直に首肯した彼女は、次いでとんでもない事を言い出した。
「じゃあ、ちょっと話してきます」
そう告げて、パワーウィンドウの開閉ボタンをポチッとやる。
「ダメよ!?」
機敏に反応した慶子さんが、マスタースイッチを操作して事なきを得た。
結桜ちゃんと言いほのっちと言い、このヒトたちは、いくら何でも向こう見ずが過ぎる。
もちろん、走行中の車両から身を投げた程度で、彼女らがどうこうなるものではない事くらい、とっくに承知している。
しかし、そういう話じゃない。
二人は私たちの友達であって、危難を押しつけて良しとする即戦力じゃないのだ。
その時だった。
「前……っ、前にも誰かいる!?」
悲鳴にも似た慶子さんの声が上がった。
「あれ……、兄やんじゃん!」
続けざま、幸介が歓呼の声を放った。
友人ともども、身を乗り出して確認する。
ヘッドライトだけが頼りの真っ暗な山道に、彼らの姿があった。
「むぁ……? 琴親!」と、同じくその模様を見て取った結桜ちゃんが、瑞々しい声を上げた。
それは紛れもなく、暗闇に見つけた光明だった。
弓張り提灯を手に、恭しく控える琴親さんの傍らには、我らが大将の姿があった。
しかし、遠目に見ても判る。
どうして、あんなにキョロキョロしているんだろう?
まるで、ワケも聞かされず、知らない場所に連れて来られたような。
「はぁ………」
ともあれ、胸にせまる多大な安堵は疑うべくもない。
それを物語るように、私は強烈な眠気に見舞われた。
ついに緊張の糸が切れたのだろう。
あと数秒もしない内に、意識が落ちる。
そういった旨を明確に予感させる、抗いがたい眠気だ。
なにか、チカリと光った気がした。
その正体を追求する猶予はない。
やがて、視界が暗転する間際、
「やば………」
友人がポツリと零したセリフが、耳介を掠めた気がした。
その言葉の意味するところは何なのか。 私には、もはや知る術がなかった。
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