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昼前の道路。
信号待ちの車の中で、
桃はハンドルを強く握っていた。
「……そこ、右な」
助手席の茈が短く言う。
「はいよー」
声は落ち着いてる。
怒っているわけじゃない。
ただ、感情を落とす余裕がない。
二人は少し前、駅前で合流した。
茈が車に乗り込んだ瞬間、挨拶もなかった。
ドアが閉まって、エンジン音が続いて、
それだけだった。
───なのに。
「……翠」
ぽつりと、桃が言う。
それだけで、茈の喉が詰まる。
「……な」
続きを言えなかった。
学校が見えてくる。
見慣れないはずの建物なのに、
やけに近く感じた。
「……俺さ」
桃が、視線を前に向けたまま言う。
「電話切ったあと、最初に思ったのがさ」
一瞬、ブレーキ。
「……『また気づけなかった』だった」
茈は、何も言わない。
代わりに、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
「家にいたのに」
「毎日顔見てたのに」
声が、少しだけ揺れる。
「……翠は、助けてって言えないタイプだって」
「わかってたはずなのになぁ…」
学校の正門前に、車が止まる。
エンジンを切る音が、やけに大きく響いた。
「……桃にぃ」
茈が、初めてちゃんと顔を向ける。
「責めるの、後でいい」
「……」
「今は、翠のとこ行くぞ」
一拍。
「兄として、家族として」
「それだけでいい」
桃は、ゆっくり頷いた。
「そうだな」
ドアを開ける。
外の空気が、ひやっと流れ込む。
校舎を見上げた瞬間、桃の胸がぎゅっと縮んだ。
「……こんなとこで」
言葉にならない。
茈は、一歩前に出る。
「行くぞ」
その背中は、いつもより少しだけ大きく見えた。
二人並んで歩き出す。
“保護者”としてじゃない。
兄として、
翠を迎えに行くために。