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温泉旅行が終わり
目覚ましが鳴って、いつも通りの時間が流れ始める。
キッチンから聞こえる、フライパンの音。
コーヒーの匂い。
「ないこ、起きてる?」
「…ん、起きてるよ」
布団から出て、洗面所へ向かう。
鏡に映る自分は、いつも通りのはずなのに、
なぜか視線を逸らしてしまう。
温泉でのことも、
夢だったみたいに、日常は何事もなかったように進む。
朝食のテーブル。
二人並んで座り、同じものを食べる。
「今日、寒いな」
「うん、寒い…」
短いやりとり。
ふと、マグカップを持つ手が触れそうになって、 ないこは一瞬だけ動きを止める。
まろは何も言わず、
ただ少しだけ距離を空けた。
(……気づいてる)
でも、踏み込まない。
それが、いつもの優しさ。
出かける準備をして、玄関に立つ。
「忘れ物ない?」
「大丈夫だよ、」
靴を履き終えたあと、
無意識に袖をつかんでしまう。
すぐに離そうとして、
でも、ほんの一拍遅れる。
まろはその動きを見て、
何も言わずに手を差し出した。
指が触れるだけ。
恋人繋ぎにはならない。
それでも、胸が少しだけ温かくなる。
「…行こか」
「う、うん」
外はいつも通りの景色。
通勤の人、信号の音、車の走る音。
特別なことは、何も起きない。
それでも、 知っていた。
日常に戻っても、
自分はもう、少し前とは違う。
感情は、
大きな出来事じゃなくて、
こういう何でもない瞬間に、
静かに顔を出すものなんだと。
まろの隣を歩きながら、
ないこはほんの少しだけ、歩幅を合わた。
家に帰ると、外の冷えた空気が嘘みたいに、部屋は静かだった。
コートを脱いで、鍵を置く音だけが響く。
「…ただいま」
「おかえり」
まろはキッチンに立ち、簡単な夕飯の準備を始める。
俺はソファに腰を下ろし、力が抜けたように背もたれにもたれた。
(……疲れた)
でも、嫌な疲れじゃない。
「今日、どうやった?」
「…いつも通り、かな」
「そっか」
食事を終えて、食器を片付けたあと。
テレビをつけるでもなく、
二人は並んでソファに座る。
何をするわけでもない。
ただ、同じ空間にいるだけ。
しばらくして、
ないこは無意識に、俺の袖をつまんでいた。
自分で気づいて、慌てて手を離そうとする。
「…ぁっ」
「ええよ」
「疲れてるやろ」
そう言って、今度はまろのほうから距離を詰めてくる。
肩と肩が、軽く触れる。
「……くっついても、いいですか」
「なんで敬語なん?((笑
…もちろん」
ないこはそっと、
肩に頭を預ける。
温泉のときみたいな緊張はない。
ただ、静かで、あたたかい。
(….あったかい、落ち着く)
まろは何も言わず、
そのまま動かない。
しばらくすると、
まろの手が、背中に触れる。
撫でるでもなく、
そこにあるだけ。
「……触ってる」
「嫌?」
「ううん、」
むしろ、
離れないでほしいと思ってしまう。
胸の奥が、じんわり甘い。
どきどきよりも、
安心が勝っている。
ないこは目を閉じた。
(……こういうの)
誰かと過ごす時間は、
もっと怖いものだと思っていた。
でも今は、
何も求められず、
ただ一緒にいるだけでいい。
それが、
こんなにも優しいなんて。
「……まろ」
「ん?」
「ありがとう」
理由は言えない。
でも、確かに感情が乗っていた。
まろは小さく息を吐いて、
穏やかに笑った。
「どういたしまして」
その夜、
二人はそのまま、
ゆっくり時間を溶かしていった。
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