コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
シリウルは彼が目覚めぬ限りは彼が生き長らえたとは言えないと思い、熱心に看病を続け、昼夜問わず彼の様子を見に来て時に傍らで眠りました。
ある日、疲れきって寝台に頭を載せただけの体制で寝てしまったシリウルの髪を恐る恐る掻き分ける手を感じました。
ぱっと気づいて飛ぶようにして起きると、病身であった若者がついぞ目覚め、彼女の事を不思議そうに見つめている姿が見えました。
「目覚めたのですね」
シリウルは嬉しそうな声色を隠そうともせず、名も知れぬ若者に問いかけました。
意志を持って動くその身体は予想以上に威厳を持っており、また戸惑いが見られこれまた不思議な組み合わせをしていました。
うむむ、と唸るようにして悩むと若者は一言彼女に問いかけました。
「……ここは何処なのでしょうか」
当然といえば至極当然の疑問でありましたが、まだ起きたばかりなのでシリウルはまず水をついできて彼に飲ませました。
すると驚くべきことにその一杯で彼の乾きは満たされました。
質問にもたらされたのは沈黙であるのにも関わらず、彼は水が入っていたコップをまじまじと見つめていました。
「お答えしましょう、人の言葉で秘めたる森、エルフ達にはドレン・グラドと呼ばれる場所です。あなたは長い黄泉の旅時を乗り越えました。こうして目覚めたからにはもう死にゆくことはないでしょう」
シリウルがそう説明しても、若者は反応が鈍く、か細い声でこう聞きました。
「それは……その、つかぬ事をお聞きしますがここは天国ではないのですか?」
そのちぐはぐな質問にシリウルは拍子抜けしました。
彼女の詳細な説明はどうやら、長い夜から起きたばかりの彼の耳を通り抜けてしまったようで、彼女は次の言葉に困りました。
「いえ、あなたは現世に生きて帰られたのですよ。傷は多く、とても深い、また戦士として奮い立つ事は難しいやもしれませんが」
「…そうですか、帰ってきたのですか」
そう噛み締めるように言って目を閉じて、若者は言いました。ゆっくり瞼を上げると、やっと真に目覚めたかのように目をギラつかせました。
「あなたはエルフの方なので?」
幾分か落ち着いた声で若者が尋ねます。これも少しずれた質問なのですが、シリウルはそのまま答えました。
「いえその、ただの混ざり者です。純粋な人間ではないのですか、エルフと言えるほどではありません」
「では名は?いや、名乗らぬ身の上で尋ねるのは不躾でしたね。私はボロミア、ゴンドールの執政デネソールの息子にございます」
そう言われてシリウルは少し驚きました。聞くところによれば彼はゴンドールの執政の子だと言うではありませんか。
彼女が助けた時確かに、彼は高貴な身分の者が着る様な上等な着物を来ていたのですが、それほどとは思ってもみなかったのです。
とにかく名乗ってくれたからには、こちらも名を明かそうとシリウルは口を開きました。
「どうも親切に、私はこの館の前、主のマルアダンの子シリウルです。今のこの館の主でもあります」
「ではシリウル殿、ここはどういった所なのでしょうか?私は近くにロスロリアンに参ったことがあるのですが、ここにとても似ているように思えます。それ故にとても現世とは思えないのです」
「その見識は間違っておりませんゴンドールの殿方、この館は元はエルフが作り、所有していた物なのです。私は管理を任された者に過ぎませぬ」
「なるほど、ご丁寧にありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。他になにか聞きたいことは?」
シリウルがそう言いますと、ボロミアと申す若者は、一番に投げかけたい質問はなにかと厳選する様に考え込むと、顔を暗くして言いました。
「……今は何時で何日なのでしょう」
「見ての通り明け方から幾分か経ったところで、日にちは今日で三月三日になります」
「……なんと、一週間経っている」
「……?ええそうですが、なにか心配事でも?」
そうシリウルが問うと、ボロミアは血相を変えて彼女に詰め寄りました。
「ッ私の仲間が、仲間を見かけませんでした?彼らは小さき人、彼らが言うにはホビットという種族で、二人いて共々オークに連れ去られました!私は他に仲間が幾人かいて、またその者達を見かけたことは?」
「……いえ、あなたが告げられた様な者は全員見かけませんでした。更に言うとここのところオークでさえも、ここらを通っていないのです。そしてあなたの生存に気づかなかったのか、あなたは丁重に船に乗せて葬られていたのです。それを行ったのが誰かはまたわかりませんが、私はその船をそこの川で見つけて、また死にかけのあなたを見出しました」
「……そうですか、そうでありましたか……」
「気を落とされぬよう、あなたの傷が良くなれば探しに迎えます。薄い希望でも持たなければ、救われる者も救われませぬ」
「……わかりました。例え望みが薄くとも、彼らの無事を願うとします。あなたには多大なご迷惑をおかけしたようで、とても申し訳ない」
「いえ、私が勝手にやったことなのでお気遣いは結構です。それより今は、療養なさって下さい」
「……ああ、それもそうだ。暫くお世話になります、レディ」
精一杯の気遣いを含ませた言葉に、シリウルは微笑みました。彼女はボロミアに一言断り、替えの包帯を取りに行く為に一度彼の元を離れました。
ボロミアは手持ち無沙汰でいたのですが、ふと気になって頭を降って回りを見回しました。
鳥のさえずりがのどかに聞こえる森は美しくも深く、木々自体はそんなに高くないにもかかわらず上にも中にも、先が見えません。
森の傍には穏やかな波の川があって、水はとても透き通って底が容易く見える程でした。
また彼が居る寝台は繊細に編まれた丈夫な基礎に、エルフの軽くふわふわした布がふんだんに使われ緩く纏められていて、
彼を雨風から守る周りの建物は小さな大理石の様な素材の柱で立てられており、天井以外の周りは吹き抜けていました。
エルフ達は自然の中で暮らす事を好むのですが、この住居にもそのような風が感じられました。
居心地が悪い訳ではなかったのですが、また故郷のように落ち着けるわけでもありません。
もう少し回りをよく見てみたくて、ボロミアが身体を起こそうとすると、シリウルが戻ってきてそんな彼の姿を見ると切羽詰まった様子で叫びました。
「何をなさっているのです!」
焦った様子の彼女は持っていた物を素早く置くと直ぐに駆け寄り、彼の傷を触らないように優しく抱えて、寝台に横たわらせました。
「起きようとしただけなのです、それ程に急がれなくても」
「傷はまだ塞がっていません、今起きたりなんかしたら開いてしまいます。どうかこれから暫くはそんなことは成されませんように」
「……分かりました。心配させてしまって申し訳ありません」
「謝られるより、下手なことはしないようにしてくれる方が有難いです。さぁ、傷の様子を見ますよ」
シリウルは前に開く服を着させていたので、偉丈夫な彼でも楽に脱がせられました。
当の本人は女性に服を脱がされ、困っている様子でしたがそんな事は気にも止めず、着々と包帯を替えていくと、ボロミアが戸惑っている間に服までも着せ直してしまいました。
呆気にとられながらもボロミアがシリウルを見つめると、何を勘違いしたのか彼にタオルを委ねました。
「汗が気持ち悪ければこちらでお拭きになって下さい」
「いえその、気遣いは有難いのですが違うのです。ここにはあなたしか居られないのですか?」
「ええそうです、ここは私一人で切り盛りしていますが」
「……ではその、私をすっかり着替えさせて下さったのもあなたで?」
心配し過ぎてどこか怯えた様子のボロミアは、震える声でそう問いました。
彼の希望に反してシリウルは易々と首を縦に降り、肯定の意を示しました。
ボロミアは言葉を失って、女性にそんなことをさせた申し訳なさと、恥ずかしさでどうにかなりそうでした。
「空腹ではありませんか?先程食べ物も一緒に持ってきたのです。お望みであれば用意しますが」
「ありがとうございます。実の所先程はそうでもなかったのですが、そう聞いて一気にお腹が空いてきたようだ」
「それは何よりです、今準備しますね」
そう言うと彼女は折り畳み式の何かを持ってきて床に置くと手馴れた様子で開きました。するとたちまちそれは小さめのテーブルになり、寝台から取るにとても丁度いい大きさでした。
感服するボロミアをよそに、シリウルは彼の寝台に手をやり少し前に上げました。
それもどうやってそうなったのか全く分からず、ボロミアは不思議がりました。
また彼女は手早く籠から食べ物や器を出して並べました。
食べ物はなんと、もはや見慣れたエルフのレンバスのようでした。
それが十切れほど、あとは真っ赤のりんごが二個、新しいコップが一個並べられていました。
「これは、レンバスですか?」
ボロミアがそう問うと彼女はとんでもないと今にも言い出しそうな顔をして、こう申しました。
「レンバスはエルフ達の中でも高い位の者が持つことを許された物です。私の様な者は見ることもで叶わないでしょう」
そう言われてボロミアは大層驚きました。ロスロリアンでは惜しげもなく彼らに与えられたのでしたから。
実を言うと彼らにレンバスが与えられたのは異例と言ってもおかしくない対応でして、この食べ物が他種族に与えられる様な事は今まで全くなかったのです。
その様な事をエルフ達が彼らに施したのは、勿論その旅がそれほどに重要だからなのですが、旅の仲間の中でもエルフのレゴラスと、エルフ達の中で過ごしたアラゴルンがだけが真に重要性を理解しているほど、彼らの多くは無知だったのです。ボロミアもその一人でした。
シリウルは籠を持って川の方に移動して、そして戻ってくるとテーブルに置いてあったコップにポットで水を注ぎました。
そして彼がいつでも補充できるようにそのままポットもテーブルに置くと、彼に向き直りました。
「どうぞ召し上がれ、レンバスほどではありませんが、こちらの薄焼きパンも特殊な製法で作られた物です。充分に空腹を満たせるでしょう」
そう言われてボロミアはハッと気がつくようにして、彼女に急いでお礼を言いました。
それから何から食べようかと少しの間テーブルを珍味しました。そして先ずは空腹を満たすために、レンバスそっくりな風貌の薄焼きパンから口にしました。
薄焼きパンは咀嚼する度に香ばしい香りが鼻に突き抜け、味わいが深くなりました。レンバス程ではない、とシリウルは言っていましたが、これでも普通のパンとは比べ物にならないくらいの満腹感がありました。
彼は余程お腹が空いていたのが一切れ、二切れ、三切れと続々と食べてしまうと、次にりんごに噛みつきました。
そのりんごもまた大層美味で、とてもみずみずしく甘い味がしました。
シリウルは彼が沢山食べているのを見やると嬉しそうに顔を綻ばせ、こう声をかけました。
「美味しく召し上がって頂けている様で嬉しいです。それにしても、さぞお腹が空いているだろうとは思っていましたが、本当によくお食べになりますね」
「ええ、お恥ずかしいことに」
「ひと月も床に伏せっていればそうおかしくはないでしょう、ですから恥ずかしがらずに存分に召し上がって下さいな」
ボロミアは彼女の言葉に甘え、りんごを二つ食べきり、また用意されていた薄焼きパンを全て平らげました。
そうしてやっと空腹が満たされると、たちまち真面目な顔をして、また同じように椅子に腰かけたシリウルに向き直しました。
「食べ終わったばかりで申し訳ないのですが、あなたに聞きたいことが沢山あるのです」
そう言うとシリウルは特に驚かずに、彼の申し出に返答しました,
「ええ、構いません。なんでもお聞きになってください」
「では遠慮なく、あなたの知っている範囲で良いのでお聞きします。私の国のことで何か一報はありませんでしたか?一報というのもただの一報ではなく、一大事というようなものは」
「……いえ特に聞き及びません。貴方が去られた時がいつかは知りませぬが、恐らくそう変わってはいないでしょう。闇は未だに深く、また勢力を増しておりますが、攻め入れられてはいません」
「……ああ、それを聞いて安心しました。本当に、私の心はいつも国に向かっていたものですから」
「故郷なのですから、当然でしょう。他には?」
「私はいつここを出られましょうか?」
シリウルの先を急かす言葉に、キッパリとそう言うと、彼女は難しい顔をして沈黙しました。暫くすると言葉を選ぶようにしながら口を開きました。
「正確な日数はまだ分かりません。あなたのその傷はあまりにも酷く、生き残れたのは奇跡の中の奇跡と言えるほどです。馬に乗れるまでを回復とすると、少なく見積っても、これから半月以上はかかるでしょう」
それを聞いてボロミアは肩をすぼませました。
少なく見積ってもそれ程かかるのであれば、彼が仲間を救援しに行くことは到底無理でしょう。
それに前に彼が居たところからも国に戻るまでも遠いのですから、正確な場所が割れぬこの場所も遠いのでしょう。
これではいつゴンドールが攻めいられても彼は間に合うか分かりません。
そもそも起き上がるのも未だ無理なのですから、役に立てるかも分かりませんでした。
彼が明らかに気分を沈ませていると、シリウルは彼を励ますようにして言いました。
「そう気を落とされぬように、闇の動向は今は落ち着いています。だから今は、まずゆっくりお休みなられて早く元気になるのが望ましいかと」
「……ええ、取り敢えずはそうします。それにしてもあなたは賢者のようなことを言われるのですね、それに私よりずっと色々なものが見えているみたいだ」
そう言うと、彼女の瞳は深い色をしてボロミアに微笑みかけました。
「あらゆる者が私に色んな事を伝えてくれるのです。風や手紙、鳥などの動物からも」
「……あなたはエルフではないと申されましたが、私には違いが分からない。あなたは百、またはそれ以上の事を知っておられるし、エルフと見間違うほどに美しい」
「それは貴方があまり彼らをご存知になられないからでしょう。まぁ強く否定はしません、貴方がそう思いたいのであれば」
「ではエルフに似た存在、くらいに留めて起きましょう。あなたはよく森に消えますが、あの森の先には何があるのです?」
「私の住居や、ほかの館が。それでも貴方が歩いてそこに着くことはないでしょう」
「何故です?私がまだ起きることもままならぬからですか」
「そういうことでは無いのです。貴方が歩けるようになろうが変わりません。何故なら森には結界があって、館の主、または許された者以外には道が開かれぬからです」
「……なるほど、だからこ森の先が見通せないのですね。つくづく不思議なところだ」
「ここは特殊なところですから。成り立ちも今の在り方も。ですから歩けるよう成られても森に挑戦なされぬよう」
「はい、そのように。ではこの場所は一体どこに位置しているのですか?宜しければ地図などが貰えると一番なのですが」
そうボロミアが問うとまたしても彼女は考え混むようにして、言葉を濁らせました。
「……秘めたる森は別名、狭間の森と言い、違う土地を繋ぎ止められて成り立っていて地続きの場所は殆ど無いのです。そこの川も実は繋がっていません、そしてまた何かの因果によって引き寄せられない限りは、繋がることはありません。貴方はその何かの因果によってここに招かれたのでしょう」
「……それが何かは、あなたの知識でもお分かりになられないので?」
「ええ、そうです。私は館の主ですが、全ての権限が私の元にある訳ではありせんから。そして因果という物はもしかしたら、ロスロリアンの奥方でもお分かりになられないやもしれぬほど深いものなのです」
「そうですか……長きに渡る質問の全てにお答え頂きありがとうございます」
「もう良いのですか?またなにかお聞きになりたいことがあれば、遠慮なく」
「ああ、有難うございます」
「それから私は皿を下げますが、お昼時になったらまた来ます。何か用向きでもあれば、呼んでください」
そう言うとシリウルはもう食べ物が残っていない皿だけを持って、森の方に去っていきました。
恐らく彼女が言っていた住居に帰るのでしょう。そこもまたここと同じように簡素で美しいのだろうと、想像を巡らせながらボロミアは水を一杯飲んで、また注ぎ足していつでも飲めるようにしました。
彼女は最初に持ってきた籠を残していったので、ボロミアは中身が気になりそっと中を漁りました。
すると彼の為に持ってきてくれたのか、彼がわかる言語で題名が描かれた本が何冊かあり、どれもあまり本を読まないボロミアでも興味引かれるものでした。
他には筆記用具と白紙の紙が何枚かあり、カレンダーのようなものもありました。
シリウルの細やかな気遣いに、また申し訳なく思いつつも、彼は日記を着けようと思い、筆記用具と紙を手元に持ってきました。
朝食を食べる時は夢中で気づかなかったのですが、やはり筋肉を動かすと矢傷がキシキシと痛みます。ですからボロミアは日にちと、今日の出来事を軽く書いただけで紙をしまいました。
今度は本を手に取って、ゆっくり読み始めました。内容は彼の国の季節や環境がどうしてそうなったのか、とても詳細に書かれていて驚かされました。
どこから彼女はこの様な資料を手に入れたのでしょうか、ゴンドールの宮中には彼の父が直々に集めた蔵書を収納した大きな図書館があるのですが、この様な図書は見かけた事がありません。彼女自身は、エルフの血が混ざった者だと申していたのですが、それだけではない気がしました。
そうして時間を潰しているとボロミアが思っていたよりも早く昼時になりました。
昼時でも日は熱くなく、丁度いい日照を保っていました。朝食を持ってきた時と同じようにしてシリウルは現れ、また籠を持っていました。
彼が穏やかに過ごしている事を確認すると、安心した表情をして、速やかに彼の昼食を用意しました。
今度のメニューは何らかの肉が入った香草スープと、先程と同じ量の薄焼きパン、そして洋梨がはたまた二個でした。
「あなたがこれらの食べ物を作られたのですか?」
そうボロミアが問うと、彼女は頷いてこう言いました。
「殆どは私が。肉だけは保存されていた物を使いました。私はあまりそういった物を口にしないので、すぐに使える在庫がそれだけだったのです」
「そうでしたか、それにも関わらずこうして用意頂きとても有難く思います」
軽く平和な会話を済ませた後、ボロミアは今度の食事も全て平らげてしまいました。
彼が食べ終わると、彼女はまた皿を持って行って、今度は直ぐに彼の元に戻りました。彼女は新しく本を手にしており、その題名は彼には読めない言語で書かれていたのでした。
「何か思いつかれたら直ぐに聞けるように、貴方の傍で過ごそうかと思いまして。見えぬ者に呼びかけるのは慣れていないでしょうから」
「お気遣い痛み入ります。では一つ、あなたに私の国の一報を求めた事がありましたが、今はなくともこれからあれば知らせて欲しいのです。それはいかなる事でも」
「ええもちろん、そのつもりでした。何かあればお伝えしましょう」
「ありがとうございますシリウル殿。確かに傍に居らっしゃった方が話しやすいですな。おや、ところでそれはなんの本なので?私には題名が読めなくて」
「ああこれは……エルフ達が綴った詩を纏めた物です。少し共通語に訳して読んでみせましょうか?」
「是非ともお願いします」
彼女は易々と申し出を受け入れ、聞きやすい低めの声音で読み始めました。題名は訳さなかったようで、ただこのように言ったのだけ聞き取れました。
「アマルス」
かつては若き英雄、ウルセリオン、たなびく髪は彼が扱う炎のように。
ウルセリオンは放浪者の中から見いだされ、たけだけしき騎士として遠くまで名を馳せていた。
ある日ウルセリオンがリンドンを訪問せしめし時、きらきら輝くハンカチがひらりと舞い降りた。
溶け入るように薄くなされ、見事な技巧のレースが施されていた。
ウルセリオンはハンカチを見事に受け取り、持ち主を探して回りを見渡して、ある少女がハンカチのようにひらりと彼のもとへ舞い降りてきた。
そう、ハンカチの持ち主は美しきティンメネル、彼女の肌は何よりも白くかぐわしい、髪は星の光をたたえたが如く光っていた。
ティンメネルはウルセリオンを見つめると、彼の手に白い手を這わせてハンカチをひろいあげた。
ウルセリオンの目にティンメネルがかがやかしく映ったように、ティンメネルの目にもウルセリオンはまぶしかった。
まっすぐ見つめるウルセリオンの瞳は空をとじこめらように真っ青で、またたく間に魅了された。こうして彼らはお互いにひと目で惹かれたのだった。
そして逢瀬をかさねていくにつれ、恋は愛に、好感は慈しみに変わってゆく。そして彼らはまたお互いをエルフの長き一生を共にする者と、見定めた___
そこまで読むとシリウルはそっと読むのを止めました。ボロミアは詩が終わったのかと思いそっと拍手を送りました。
「今のはエルフ達が衰退していった時代丁度に作られた物です。エルフ達は武勇伝ほどではないにしろ、よくこうした愛の詩を綴りました」
「美しき詩を読んで下さり有難う、今はそれくらいで結構ですが、また気が向かれた時に読んで頂きたく存じます」
ボロミアがそう言うと、シリウルは複雑な表情を垣間見せました。
彼は少し懐疑的に思いましたが、彼の弟のファラミアがエルフの詩は悲しい物が多いと言っていたのを思いだして、きっとそれが理由だと思いました。なので彼女にもう一度詩の朗読を頼む事は無いようにしようと思いました。
彼女はそうして夕方までボロミアと共に居てくれると、夕食を作ると一言断って去っていきました。
その間にボロミアは最初に手に取った本をすっかり読み終わり、新たな物に手をつけていました。
今度の内容は馬や人の武具の作成の流れが綴られており、軍人の彼にとってとても興味をそそられる内容でした。
序章まで読み終わる頃に、彼女が帰ってきたまた違うものを用意してくれていました。
今度は薄焼きパンよりもっと柔らかいパンに、肉が前よりうんと多く挟まれており、今までより時間がかかった様に思えたのはこういうことであったのかと納得しました。
他には葡萄がひと房と、小さなワインの瓶を持ってきてくれていました。
銘柄は見かけないものでしたが、小さくも明らかに上等なものだと分かりました。少量の飲酒は身体に良いとよく聞きます、だからこの様な物を持ってきてくれたのでしょう。
またまたボロミアは全て平らげると、シリウルは面白くなったのか、食べ終わったのを見せびらかすようにした彼の姿を見て軽く笑いました。彼女は皿を纏めると、ワインを彼のコップに程よく注いでくれました。
「あなたは飲まれないのですか?」
と彼女が一つだけに注いだので、ボロミアが問うとシリウルはそっとはにかんで首を振りました。
「看病する者が飲む訳にはいきません。それにあまり好きではないのです」
納得した表情を浮かべ、ボロミアは空中に乾杯をしていつもとは違いゆっくり、舐めるように飲みました。
やはりこのワインは大層美味でして、甘味と酒特有の若干の苦味が良い味わいを形作っていました。
少しずつ飲んだにしても早く飲み終わると、シリウルに向かってこう言いました。
「今度はあなたも飲めるものを持っていらして、是非一緒に飲みましょう。私は誰かと共に飲むのが好きなのです」
その言葉にシリウルは彼がさっき空中に乾杯をした様子を思い浮かべると、声に出してそっと笑いました。