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━━━どれぐらいの時が経っただろうか。いや、そう言うにはまだ早すぎる。でも確かに『あの日』からの2週間は、経験した者にとっては何年にも感じるかもしれない。そんな事を考えながら病院内の廊下を歩く。お昼頃のガヤガヤと賑やかな院内は皆が皆、笑いに包まれていた。目当ての人がいる部屋を求め、1人そそくさと階段を上っていると後ろにいた30代ぐらいの女性2人が話し始めた。
「ねぇニュース見た?あの〇✕小学校の廃校で起きた謎の事件。」
「見た見た。血まみれになった男女達が倒れていた事件よね。」
その言葉を聞いて胸がズキッと痛む。あれが夢だったのか現実だったのか、はたまた『別の世界線』だったのかはわからない。しかし唯一言える事は、この事件には主に自分達が関わっていたという事。あの痛み、あの苦しみ、あの感情…一生忘れられないあの経験が今の朱華の心を蝕んでいた。
そんな事を全く知らず会話を重ねていく女性達が怖くなり、足早に立ち去った。
またしばらく歩くと、discordで送られていた病室の前に着いた。右手にスマホを持ち、左手でドアノブに手をかけながら、あの日の出来事を思い出す。
『…その顔が見たかった。』
耳元で囁かれているようにはっきり狂いなく再生される言葉でむっと顔が歪み思わず唇を噛む。苦しさで涙が流れぬよう深呼吸をし、改めてドアノブを力強く握りゆっくりと扉を開ける。
すると、涼しい春風が桜の香りを乗せてふわっと包み込む。少し離れた所で窓を開け、風に髪をたなびかせながら桜並木を見つめる青年の後ろ姿があった。
「…双刃さん。」
名を呼ぶとはてなを浮かべた表情でこちらを振り返り、はっと息を飲み込む。先程までの穏やかな表情ではなく動揺と焦りでキョロキョロと辺りを見渡す姿があった。
「お久しぶり、双刃さん。」
「…どうも…」
考える事を諦めたのか、肩の力を抜き小さな声で挨拶を返す。元気がないのも当たり前か、と小さなため息を吐きながら部屋に入り扉を閉める。しばらく沈黙が続いた後、全く空気を読まない明るい自分の声が部屋中に響き渡る。
「メッセージ返信してくれないなんて酷いなぁ。しかも見舞いも来ないでくれって、随分ケチだねぇ。マジで、心配過ぎて夜しか眠れなかったんだけど?」
「…そっか」
あ、ツッコんでくれなかった…。
内心しょんぼりしながらも笑いをとる事は諦め、深く息を吐き真剣に話す。
「何で、あんな事したの?正直とっても苦しかった。自分の未熟さにも惨めさにも苛立ったし、何より優しい双刃さんがあぁなってしまった事が1番ショックだった。もちろん、俺は恨んでなんかいないし嫌いになんてならない、でも1つ、相棒を目の前で殺そうとした事は絶対に許せないけど。」
最後の言葉を強調しながら言う。あの時、確かに死んだはずの相棒だったが、暁さんと黒さんの判断でギリギリ助かったという奇跡で今はまだ眠っているが生きている。それは他の仲間も一緒だ。かすみんがどういう方法で双刃さんの精神を沈め、自分達を救ったのか教えてはくれなかったがギリギリ暁さんも自分も助かったという事は明確だ。
相変わらず下を向き返事をしない双刃さんを少し心配になりながらも言葉を止める事は出来なかった。
「…さっきも言ったけど、俺は恨んでなんかいない。それは俺だけじゃなくてみんなも同じだっていう事はわかって欲しい。今は顔を合わせる事も声を聞く事も、双刃さんにとってはかなり辛いかもしれない。それでも…」
「もう、大丈夫です…」
必死に怒りを押し殺したように声を絞り出す。手はギュッと握られ微かに震えており、表情は雲がかっていた。
「俺はもう大丈夫なので、帰ってもらって結構です。」
ため息混じりに言うその声はどこか苛立ちがひしひしと伝わってきた。しかし伝えたい事が多くあり、酷く頭が混乱していた。そう黙り込んでいる間にも困惑と怒りの空気が大きくなっていく。それでも意を決して何とか説得するが、結果は火に油だった。
「…でも、俺もみんなも双刃さんに戻ってきて欲しい。あの時の事は仕方ないし俺だって助けてあげられなかったのが悔しい…」
「いや…」
「だから今からでも何か話聞けたらなって、相談乗れたらなって思う。」
「あの…」
「俺は俺なりに反省してるし、みんなもみんななりに反省してる。面と向かって話し合って、その結果を伝えたくて、また戻ってきて欲しくてだから…」
「帰って下さい!」
突然大声を出され驚き正面を向くと、肩で息をしながら悲しさや怒りに顔を歪ませた双刃さんがいた。始めて見るその顔に少し怯みながら見返していると、はっと口を抑え、また話しだす。
「…お願いします、もう帰って下さい。これ以上蜜柑さんの、皆の顔を見たくない。あの事も思い出したくないし思い出させたくもない。だからお願いです、俺の目の前に現れるのはもう辞めてください。」
そう言うと開け放たれていた窓の外を振り返り、まるでそこに朱華がいないかのように呼びかけても返事をせず、聞こえるのは青空の下春風に揺れる桜並木を笑顔で歩いていく人達の楽しげな声のみ。
電気のついていない太陽の光だけが射し込む少し薄暗い部屋の中、頬に伝う涙を拭いきれず気づけば足早に部屋の外へ向かいそのまま走り出していた。
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ガタンと扉が勢いよく閉まる音が無機質で真っ白な室内に響き渡る。それでも外で広がる笑顔や歓喜の声は耳障りな程、絶え間なく部屋全体にも微かに入ってくる。
窓とカーテンを閉め、薄暗い部屋の中変わらずぼーっと立っていると、背後からやぁと突然話しかけられ振り向くといつの間にかヴァールさんが立っていた。
「答えは見つけられたかな?思った通り、しっかり働いてくれて俺は嬉しいよ。キミを選んで正解だったね。」
場違いな程明るく言うヴァールさんに、自分は酷く恐怖を抱いていた。あの時の出来事、あの時の感情と感覚が全身に駆け巡り今にも吐きそうな程気分が悪い。過呼吸気味になり、思わず窓のある壁にもたれずりずりと座り込む。
「…おやおや、どうしたんだい?そんな魔物でも見るような目をして…」
そう言いながら近づき顔を覗いてくる。上から刺す視線は、さながら深淵のように、一筋の光すらも飲み込んでしまうような程深く暗いものだった。しかしそれ程まで恐ろしいはずなのに目が離せないのは何故だろうか。恐怖か好奇心か、言葉は出ないが何かぐちゃぐちゃとした感情だけが残り目を離そうに離せなかった。
さっきまでの過呼吸がだんだんと落ち着いていく…いや、呼吸が浅くなっていく。酸素を吸う事も吐く事も次第に小さくなり、視界もぼやけ始める。頭がぼーっとし、ただ黒く鈍い目を見つめるしか出来なかった。黒く鈍い目…黒い?視界がぼんやりとしていて分かりずらかったが、それは黒と言うより深緑に近く、ジト目気味で右目が少し前髪で隠れている白い半袖のシャツに黒ジーンズ、ネクタイをしていてかなりくせっ毛の…。
「……俺?」
一瞬ヴァールさんが偶然同じ服を着ていただけなのかと疑ったが、目の前の人物の特徴を見る限り、そいつは紛れもない『自分』だった。無表情でこちらを見下ろすそいつは何も言わずこちらと目を合わせるだけで、自ら手を出す素振りは見せなかった。
「えっと、もう1回聞くけど…俺、だよな?」
「そうだけど。」
今までと全く同じ声で同じ発音で同じイントネーションで返事をされる。しかしその言葉には全く人間味がなく、氷のように冷たい感情を忘れてしまったかのような声だった。
「俺、俺かぁ…ふふ、あっはは。ここまでくるとおかしくなってくるな。」
フラフラと立ちながら言う。こんな状況で笑ってしまうのは精神が崩壊する寸前なのか、はたまたこういう状況が好きだったのから不明だがそう笑いかけても表情が固定されたのかと思う程動かず、こちらにアクションをするというものでもなかった。ただ無を浮かべたままこちらの目を覗いてくる。
怖いという感情は無くなったものの、何か引っかかるような思い出すと心が病んでしまいそうな程重くドス黒い球体のようなものが残っていた。ただ、目の前の自分を見ているとだんだんそれが大きくなっていくような、その感情が何なのかはっきりしてくるような感じがしずっと目を合わせ続ける事は不可能だった。
「そうだな…お前はどこから来たんだ?」
「どこからでもない。」
全く何を言っているのかわからなかった。じゃあお前はどこから来た誰なんだ、ヴァールさんがからかっているのか、夢を見ているのか幻覚を見ているのかもわからない。
「えっとな、どこからでもないならお前は何だ?人間か怪物か…どっちでもいい、いや良くはないんだけど…とにかくお前は誰だ、どこから来た。」
そう問いかけると一瞬目を泳がせ考え込み、またハイライトのない目でこちらを見つめて言った。
「…俺はお前。お前の感情。お前の心。」
感情、心。それが本当だとすれば感情も心もない本体の自分は今頃廃人になっているはずだ。しかし今、自分は困惑している。悩んでいる。整理をしようとしている。この静かな薄暗い病室で、自分の心と向き合っている。
「念の為聞こう。お前を殺したら俺はどうなる?」
「…死ぬ。」
直球すぎて思わず後ろに倒れてしまいそうになる。1度深呼吸を入れて落ち着き、また質問する。
「お前は感情だと言ったな?それは何か1つの感情なのか、全ての感情を持ち合わせた俺なのか…それはどうだ?」
「分からない、感情は感情。」
「…じゃあそれなら、お前は怒れるか?悲しめるか?」
「俺は感情だから、お前を映し出すだけ。」
「じゃあ俺が怒ればお前も怒って、俺が悲しめばお前も悲しむんだな?」
あぁ、と答える目の前の自分を見ていると気分の悪さと不快感が襲いかかってくる。乾いた唇を噛みながら必死に抑え何を聞こうか目を泳がせ考えていると、初めて向こうから話し出す。
「…お前、ずっとあの時の事引き摺ってるな。」
突然そう言われはっと見ると『不安』そうな自分の顔があった。お前を映し出すだけ、という言葉が浮かんでくる。確かにあの時の事は今でも不安だし悔しい。それを、あろう事か自分自身に言われるのはもっと癪に触った。しかし言葉は止まらない。
「俺が生まれたのはお前の精神が限界を迎えたから。それも今じゃない、今日お前が『心を開きあった友人』を追い出したあの時から…」
「やめろ!」
頭を抱えながら叫ぶと、しんとした廊下にまで自分の声が響き渡るのが聞こえた。何も考えたくないはずなのに、あの出来事が全て思い出される。帰ってきて欲しいと必死にお願いするあの声、触れれば壊れてしまいそうな気配、悔しげな涙、それだけではない。桜並木を見つめていた時楽しそうに歩く恋人達や家族とは違い1人とぼとぼと肩をぶつけながら歩いていく姿が、やけに記憶に残っている。
また何か話そうと目の前の自分が口を開きかけた瞬間、何も考えられずに部屋を飛び出す。廊下を走り階段を駆け下りると夜なのか外が暗く人気のない病院の出口が見え近づく、が何故か自動ドアは全く反応せずこじ開ける事も出来なかった。見れば夜だと思っていた外には地面がなく、この病院だけがどこか別の世界へ飛ばされたような空間になっていた。何かがおかしい、いや、最初から全てがおかしかった。自分が目の前にいる事も病院に自分以外誰一人として人が存在しない事も、逃げてきたはずなのにすぐ後ろにアイツがいる事も。
「…大丈夫?」
そう言う割にはとても怯えた表情をしていた。明確に言えば今自分が怯えているからだが、今はそんなものどうでもよかった。振り向き肩を力強く掴み揺らしながら問う。
「な、なぁ、ここはどこだよ?どうして俺はここにいる?お前は、俺は誰だ?仲間は…いや仲間なんて最初からいたのか?全部幻覚か夢なのか?教えてくれよ…お前は俺なんだろ?感情なんだろ?お前ならわかるはずだよなぁ。おい、何でずっと黙ってんだよ!」
「うるさいよ。」
泣き叫ぶ自分とは正反対に冷たく沈んだ声が返ってくる。顔を見るとイライラとした表情を浮かべる自分がおり、はっとして思わず心を落ち着ける。しかし相変わらず脳は混乱しており目の前の現実を受け止めようにも出来ない状態だった。
誰もいない病院、その病院すらもどこか違う場所へ飛ばされ自分だけが残っておりその上自分が目の前にいる始末。もしかしたら何か悪い夢を見ているのかもしれない。そう思い込もうにも出来ず、ただ1つ頭に浮かんでくるものがあの悲しげな後ろ姿だけだった。