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焚き火の火は少しずつ小さくなっていたが、集落の空気はまだ穏やかなままだった。
食事を終えた子供達は魔獣達の周囲で遊び続けているし、住人達も思い思いに腰を下ろして話をしている。研究所が崩壊してからまだ一日も経っていないというのに、不思議なほど落ち着いた時間だった。
その中心にいるのが、なぜか大和と千代なのだから余計に不思議だった。
先程まであれほど騒いでいた千代は、大和の羽織へ半ば隠されるように座ったまま大人しくなっている。外から見えるのは赤みがかった黒髪と少しだけ覗く横顔くらいで、子供達も流石にそれ以上は騒がなくなっていた。
もっとも、静かになった理由は別にあるのかもしれない。
大和が時折何かを話しかけるたびに千代の耳が赤くなり、その度に周囲の住人達が面白そうな顔をしているのだから。
「大和様」
しばらくしてから千代が口を開いた。
先程までより落ち着いてはいるが、どこか居心地が悪そうにも見える。
「なんだ」
「ちゃんと食うておるか」
予想外の言葉だった。
大和も少しだけ目を瞬かせている。
だがすぐに普段通りの表情へ戻った。
「食べている」
「そうは見えぬ」
即答だった。
どうやら以前から言っている話らしい。
周囲の住人達も苦笑している。
「また始まった」
そんな声まで聞こえてきた。
大和は小さく息を吐いたが、否定はしなかった。
その反応だけで十分なのだろう。
千代はますます納得していない顔になっている。
外から見える範囲だけでもそれが分かる。
確かに、こうして近くで見ると大和はかなり細い。
羽織で隠れているから目立たないだけで、肩や腕は驚くほど華奢だった。
集落の長という立場を考えれば少し心配になる程度には。
もっとも、本人は気にしていないらしい。
「お前も同じことを言うな」
「儂だけではなかろう」
「そうですね」
不意にしゆらが頷く。
「少し細いと思います」
「ほら見よ」
千代が勝ち誇ったような顔をする。
大和は完全に包囲されていた。
その様子が少し面白くて思わず笑う。
すると大和は諦めたように肩を竦めた。
「善処する」
「絶対せぬ」
「信用がないな」
「日頃の行いじゃ」
言い返す千代の声はどこか楽しそうだった。
先程まで真っ赤になっていたのが嘘みたいで、ようやく普段の調子へ戻りつつあるらしい。
そんなやり取りが続いたあとだった。
不意に千代が何かを思い出したように耳へ手をやる。
そして少しだけ迷うような仕草を見せた。
何をするのかと思って見ていると、そのまま視線を逸らしたまま小さく口を開く。
「……そういえば」
「なんだ」
「昼間のことなのじゃが」
大和は続きを待つ。
千代はしばらく言葉を探していたが、やがて観念したように息を吐いた。
「子供達が耳を褒めておったじゃろ」
「ああ」
「そんなに珍しいものかの」
その問いに大和は少し考える。
そしてごく自然に答えた。
「珍しくはない」
千代が僅かに視線を向ける。
大和は続けた。
「ただ綺麗だとは思う」
一瞬だった。
千代の動きが止まる。
周囲の住人達も同じだった。
まるで結果が分かっている賭けを見ているような空気が漂う。
だが当の本人だけは気付いていない。
「昔からな」
追撃だった。
千代が勢いよく顔を背ける。
耳が真っ赤になっている。
外からでも分かるほどだった。
「お、お主は本当に……」
そこまで言って言葉が続かない。
大和は不思議そうに首を傾げている。
悪意どころか自覚すらないらしい。
隣ではルカが肩を震わせていた。
しゆらも笑いを堪えている。
再び穏やかな笑いが広がり始めた、その時だった。
眠っていた狼型の魔獣が唐突に顔を上げる。
ほぼ同時に屋根の上にいた鳥型の魔獣が翼を広げた。
空気が変わる。
それまでの緩やかな空気が一瞬で張り詰めた。
シエルも低く唸りながら立ち上がっている。
焚き火の周囲から笑い声が消えた。
住人達の表情が引き締まる。
そして森の奥から、一人の半魔が駆け込んできた。
息を切らしたその様子を見ただけで、良くない報告なのだと分かる。
「大和様!」
半魔は大和の前まで来ると、呼吸を整える暇もなく声を上げた。
「森の外縁部に人間の部隊を確認!」
夜哭きの森から音が消えた気がした。
研究所を逃げ出してからまだ一日も経っていない。
来るかもしれないとは思っていた。
だが予想より早い。
報告に来た半魔は険しい表情のまま続ける。
「数は多くありません。しかし進路はこちらです」
報告を終えた半魔の言葉に、集落の空気が一気に張り詰める。
先程まで聞こえていた笑い声は消え、住人達はそれぞれ立ち上がり始めていた。子供達も何かを察したのか騒ぐことはなく、不安そうな顔で大人達を見上げている。
夜哭きの森は安全な場所ではあるのだろう。
だがそれは、何もせずとも守られるという意味ではない。
こうして誰かが森を守り続けているからこそ成り立っているのだと、今ならよく分かった。
「人数は」
大和が尋ねる。
「十数名ほどです」
「軍か」
「おそらく」
その答えを聞いた瞬間、千代が一歩前へ出た。
先程まで大和の羽織に包まれていた人物とは思えないほど表情が引き締まっている。
「さきの人間どもかの」
赤い瞳が森の奥へ向く。
「迷い霧で外まで追い返したと思うておったが、なかなかのやり手らしい」
そう呟くと、腰に下げた短槍へ手を伸ばした。
その動作に迷いはない。
むしろ少し気合が入っているようにすら見える。
「儂が行く」
周囲の半魔達も異論はなさそうだった。
千代の実力を信頼しているのだろう。
実際、ここへ来るまでに見た限りでもかなり強い。
迷い霧を操り、軍を翻弄し、この森を守ってきたのだから当然だ。
「ちょうどよい」
千代は鼻を鳴らした。
「二度と夜哭きの森へ近付こうと思わぬ程度には脅かしてやる」
言いながら森の入口へ向かおうとする。
だが。
「待て」
静かな声が響いた。
大和だった。
千代が足を止める。
「なんじゃ」
「行かなくていい」
「は?」
今度は千代だけではなく周囲の住人達まで不思議そうな顔になる。
大和は相変わらず落ち着いていた。
慌てる様子もなければ焦る様子もない。
まるで既に終わった話でもしているようだった。
「どういう意味じゃ」
千代が問い返す。
大和は答えず、ゆっくりと腕を広げた。
その羽織は大きい。
人一人くらい簡単に隠せそうなほど袖口にも余裕がある。
だから最初は見間違いかと思った。
袖の奥から何かが溢れ出したように見えたのだ。
黒い。
煙にも見える。
影にも見える。
だがどちらとも違う。
ゆらゆらと揺れながら地面を這い、まるで生き物のように森の奥へ伸びていく。
蛇だった。
いや、蛇のような何かと言った方が正しい。
輪郭が曖昧で、時折霧のように崩れる。
それなのに確かな意思を持って動いていた。
一本ではない。
二本。
三本。
十本。
数え切れないほどの黒い影が袖口から溢れ出し、夜の森へ吸い込まれていく。
住人達が息を呑む。
ルカなどは完全に固まっていた。
「なにあれ……」
俺も同じ感想だった。
研究所にも様々な能力者はいた。
だがこれは見たことがない。
魔法とも違う。
生き物とも違う。
何より。
速い。
影は木々の間を滑るように駆け抜けると、あっという間に視界の外へ消えていった。
そして。
数秒後だった。
大和が小さく呟く。
「捕まえた」
あまりにも自然な声だった。
まるで落とした物でも拾ったかのような口調だった。
だが周囲の反応は違う。
報告に来た半魔が目を見開いている。
千代も呆れたように額へ手を当てていた。
「……相変わらずじゃの」
その声には驚きよりも諦めが混じっていた。
どうやら珍しいことではないらしい。
大和は軽く頷くと、そのまま森の奥へ視線を向ける。
「全員生きている」
「そうか」
「武器も取り上げた」
「そうか」
「動けない」
「そうか」
会話だけ聞くと意味が分からない。
だが当人達には通じているらしい。
俺には一つだけ分かった。
千代が出る必要は最初からなかったのだ。
むしろ。
出ようとしていた本人だけがそれを知らなかった。
「儂の出番は」
千代がぼそりと呟く。
大和は少し考えるような顔をした。
そして。
「ないな」
即答だった。
周囲から吹き出す音が聞こえた。
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
千代は不満そうに唇を尖らせていたが、それ以上反論はしない。
代わりに大きなため息を吐くと、短槍から手を離した。
その様子を見ながら、俺は改めて森の奥へ視線を向ける。
まだ何も見えない。
だが十数人の武装した人間達が、今この瞬間もどこかで身動き一つ取れなくなっているのだろう。
夜哭きの森が軍に恐れられている理由を、少しだけ理解した気がした。
コメント
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わあっ!!第20話も最高だったよ〜〜😭💕 大和と千代のほのぼのやり取りに心がほっこりしたかと思ったら、急に張り詰める空気と大和の圧巻の一振り…!「ないな」の即答からの周囲の吹き出しで緩急完璧すぎてやられたよ。千代が真っ赤になってる姿も可愛いし、大和の無自覚イケメンっぷりがもう…推せる!!🌙✨ 次が気になりすぎる!