ブロンドの髪が風になびく。
艶めいた唇から紡がれた言葉は、風の音をかき消して僕の耳に残る。
記憶を失っていても理解できる言葉の意味に僕は喉を静かに鳴らした。
今、この刹那、僕はどんな表情を浮かべ、この女性を見つめているのだろうか?
己の姿すら知らず、己の声すら未だ知らず。
けれど、この女性は僕の知らない僕の姿を知っている。
この身体の主の僕は、どのような言葉でどのように言葉を返すのが正解なのか?
わかる訳がない…。
時代も場所さえもわからないのに、一般的な返答すら欠片も手繰り寄せる事が出来ない僕は本当に困っていた。
困っていたはずなのに、どうしてか
僕の手は女性の腰を引き寄せ、顎に手をかけ、自分の顔に向かせると甘い声で
「今宵、貴女と出逢う事が出来た私はとても幸運であり、不幸なのです。」
今にも唇が触れそうな距離で囁く。
女性は瞳を潤ませながら、困惑の表情を浮かべて、これに問う。
「それは、どういう意味なのですか?」
その疑問はそれはそう。幸運なのに不幸とはこれいかに?だ。全く。
僕は自分が自分で並べた言葉に意味がわからなかった。
だが、僕自身は一呼吸し、ひょうひょうと次なる言葉を女性に告げた。
「今夜の私は、貴女を誘う者ではなく、友人の付き人なのです。」
それはとても残念そうに哀しみを帯びた声色で。
この言葉を並べたのは僕自身か、身体の主か?
妙な感覚だった。
そして右手が勝手に女性の赤らめた頬に手を掛け、僕はその柔らかな頬に軽く口づけた。
「いつかの夜にまた…」
そう、女性の耳に小声で囀ると振り返らずにバルコニーから室内へ去る足。
自由になった我が身に僕は動揺しながらもそこを後にした。
綺羅びやかなシャンデリアに陽気な音楽も今は気にも止めていられやしない。
往来する人に目も向けず、何振りかまえず、僕は足早に外へ歩いた。
何もわからない。
なにもわからない。
ナニモワカラナイ。
誰に尋ねる事も出来ず、立ち止まるわけにもいかず何かに追い立てられる獣の如く、心落ち着かない。
唐突に与えられた自身の扱い方もわからず、頭はパニックで不安の影が己を飲み込みやしないかと急き立てられる。
外に出ても、どこへ向かえば良いのか、どうすれば良いのかもわからない。
ぐるぐる回る視界と思考に僕は疲弊していく。
そして、なんでもない何かに躓いて転んで、痛みの拍子に涙が零れ落ちていた。
眼前に広がるは転んで地に伏した雑草と土と汚れた袖に血。
そこにのしかかってくるは、夜の闇。
僕は絶望していた。
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