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あいうえお
118
るしゅ
180
「善閣寺までお願いします」
京都駅を出てタクシーに乗り込んだ勇太は、運転手にそう伝えた。
「善閣寺は昨日……。いや、何でもない。行こう」
タクシーの中で、ふたりは言葉を交わさなかった。
他人がいる場所で話せる内容ではない。
また、他人がいる場所で話せる話題も持っていなかった。
彼らは互いに増殖する兄弟であり、増殖を除けば、国内有数の財閥御曹司でもある。
嫌でも会話の内容を聞かれてしまうだろう。
タクシーを降りると、勇太はコンビニに立ち寄って酒とお菓子とレジャーシートを買った。
そして善閣寺には向かわず、善閣寺一柱門のほうへ歩いていく。
「おまえのような世間知らずの財閥息子は、最初からこっちに来るべきなんだ」
「……一般人になって日も浅いくせに偉そうに」
到着したのは、桃色の八重桜が広がる芝生の広場だった。
数十を超える木々に、美しい八重咲きの桜がぶら下がっている。
この日を待っていた多くの観光客が、写真を撮りながら笑顔の花を咲かせていた。
「この時期に京都へ来ておいて、桜を見ないで帰ろうなんて。根っからの財閥だな」
勇太は弟を軽蔑するように言った。
「いろいろと変わったんだな、兄さん」
「俺の持つ本能が、こう生きたいと望んでいる。俺はそれに従っているだけだ」
「本能? ああ……属性みたいなものか」
「属性か。なるほど」
本能という表現は、属性よりも強固な意味合いに感じられた。
絶対に抜け出せない枠組みと、曲げることのできない方向性を指しているようで、暗殺者はその表現に納得した。
「兄さんの本能は何だ?」
「俺? 一言で表すのは難しいけど、逸脱欲求というか、わき道主義というか。だからこんな場所で生きているし、しかも財閥が嫌いだ」
「なんだそれ? とんでもない本能だな」
「そして今、幸せを満喫している」
幸せ。
いくら本能がそうだとしても、これまで生きてきた様式を捨てて、幸せだと思うのか。
「このあたりにしようか」
勇太は人の少ない場所を探してレジャーシートを敷いた。
そこに座ってスナック菓子の袋を開け、安い焼酎を紙コップに注いで飲みはじめた。
「さて、せっかくだし飲もう。話すべきことと聞きたいことが山積みだから、酒は必須アイテムだろ」
サングラスを外して明るく笑うその顔は、勇信の記憶する優しい兄の姿そのものだった。
ふたりはシートにあぐらをかき、満開の八重桜をしばらく眺めながら焼酎を飲んだ。
暗殺者は聞きたいことがあまりに多く、思いつくままに質問を投げつけた。
「なぜここまで流れてきた」
「話が長くなるぞ。あくびを連発するくらいに」
「隣で眠ってても、ノンストップで話してくれ」
「……わかった」
勇太は京都まで流れてきた事情を、ゆっくりと明らかにした。
*
ハァハァ、ハァハァ……。
吾妻グループ副会長・吾妻勇太が、山中を逃げ回っていた。
後方から追ってくる人物もまた、吾妻勇太だった。
勇太(属性:忠誠心)。
逃げる勇太は後ろを警戒するあまり、木の根に引っかかって転倒した。
追いついた勇太(忠誠心)がそのまま覆いかぶさり、背後から腕を回して首を絞める。
勇太は腕を抜こうともがいた。
しかし10秒もしないうちに、意識を失った。
勇太(属性:忠誠心)は、意識を失ったのを確認してから、ポケットから小さなケースを取り出した。
中には致死薬の入った注射器が入っている。
「すまない……どうか理解してほしい」
気を失った勇太の首に針を刺し、薬を注入した。
眠るように呼吸していた勇太の脈が、まるでエンジンが切れるように停止した。
勇太(忠誠心)は、死体を引きずって山道を下り、乗用車のトランクを開けた。
中にはまた別の勇太が、使わなくなったゴルフクラブのように積み込まれている。
その足で東京には帰らず、山中の別荘へ向かった。
勇太が増殖をはじめた直後に購入した別荘だ。
山奥に位置しており、周辺には民家などの建造物はひとつもない。
過去には、社会不安障害を患った地方の富豪が暮らしていたという。
彼の死後、3年ぶりに現れた購入者こそが、吾妻勇太だった。
車が別荘にやってくるのを確認したまた別の勇太が、玄関で出迎えた。
勇太(属性:危機管理)。
「遅かったな。何か問題でもあったのか」
「いや、大丈夫だ。血痕も残さず、完璧に仕留めた。山の中で殺したから目撃者もいない」
勇太(属性:忠誠心)は車から降り、トランクを開けた。
「これで残るは、俺たちを除いてあと5人」
「断定はやめたほうがいい。母体が残っているかぎり、数字は当てにならない」
「まあ、そうだな」
「さて、次はおまえの番だ。行って処理してくれ」
勇太(危機管理)はトランクに積まれた2体の遺体を降ろし、別荘の中へ引きずっていった。
そのままバスルームへ運び、服を脱がせる。
そしてチェーンソーを起動させ、死体を40センチほどの大きさに切断していった。
バスルームには、血と臓器の匂いが充満していた。
しかし勇太は表情を変えることなく作業を続ける。
自分だからこそ、我慢ができた。
増殖という不可思議なことが身に起こってからというもの、勇太は日々悩み続けた。
彼の両肩には、自分だけでなく、家族と吾妻グループ全体の未来が乗っている。
幼いころから責任感が強く、完璧主義者である性格ゆえに、自分を殺すなどという極端な計画へたどり着いたのだ。
その中心にいたのが、勇太(危機管理)だった。
彼は勇太(忠誠心)にだけ、殺人計画を打ち明けた。
忠誠心をパートナーに選んだのは、彼が持つ吾妻グループに対する愛情が、あまりにも強かったためだ。
ある日、勇太(忠誠心)は言った。
「吾妻グループの全社員を守り、グループをより大きな企業体へ導いていきたい。それが俺の夢だ。もしこれが本能に左右された考えだとしてもしょうがない。そう思うのだから」
その言葉はすなわち、個人的な問題は排除する、という意思の表れだった。
少なくとも勇太(危機管理)には、そう聞こえた。
ふたりは秘密裏に同盟関係を結んだ。
「すべてが終わり、最後には俺たちふたりだけが残るだろう。だからこれを購入しておいた。俺とおまえ、どちらが吾妻グループの未来を担うのか。天のみぞ知るってわけだ」
テーブルの上には、リボルバー型拳銃が置かれていた。
ロシアンルーレット。
最後に残るのは、ただひとり。
銃弾が脳天を貫かなかった勇太だけが、未来を切り開いて生きていくのだ。
「ふう……。これくらいでいいだろう」
バスルームの床には、肉塊が並んでいた。
バラバラに切り刻まれた肉の塊を見ていると、それらが先ほどまで実際に生きていたとは思えなかった。
「すまない……どうか理解してほしい」
勇太(危機管理)は、ずっと我慢してきた涙を流した。
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