「善閣寺までお願いします」
京都駅を出てタクシーに乗り込んだ勇太は運転手にそう伝えた。
「善閣寺は昨日……。いや、何でもない。行こう」
タクシーの中でふたりは言葉を交わさなかった。
他人がいる場所で話せる内容ではなく、また他人がいる場所で話せる話題ももっていない。
彼らは互いに増殖する兄弟であり、増殖を除けば国内有数の財閥御曹司だ。嫌でも会話の内容を聞かれてしまうだろう。
タクシーを降りると、勇太はコンビニに立ち寄って酒とお菓子とブルーシートを買った。そして善閣寺には向かわず、善閣寺一柱門の方へと歩いて行った。
「おまえのような世間知らずの財閥息子は、最初からこっちにくるべきなんだ」
「……一般人になって日も浅いくせに偉そうに」
到着したのは桃色の八重桜が広がる、芝生の広場だった。
数十を超える木々に、美しい八重咲きの桜がぶら下がっている。この日を待っていた多くの観光客が、写真を撮りながら笑いの花を咲かせていた。
「この時期に京都にきておいて桜を見ないで帰ろうなんて。根っからの財閥だな」
勇太は弟を軽蔑するように言った。
「いろいろと変わったんだな、兄さん」
「俺のもつ本能がこう生きたいと望んでいる。俺はそれに従っているだけだ」
「本能? ああ……属性みたいなものか」
「属性か。なるほどな」
本能という表現は、属性よりも強固な意味合いに感じられた。絶対に抜け出せない枠組みと、曲げることのできない方向性を指しているようで、暗殺者はその表現に納得した。
「兄さんの本能は何だ?」
「俺? 一言で表すのは難しいけど、逸脱欲求というか、わき道主義というか。だからこんな場所に生きているし、しかも財閥が嫌いだ」
「なんだそれ? とんでもない本能だな」
「そして今、幸せを満喫している」
――幸せ。
いくら本能がそうだとしても、これまで生きてきた様式を捨てて幸せだと思うのか?
「このあたりにしようか」
勇太は人の少ない場所を探してブルーシートを敷いた。
席に座ってスナック菓子の袋を開け、安い焼酎を紙コップに注いで飲みはじめた。
「さて、せっかくだし飲もうか。話すべきことと聞きたいことが山積みだから、酒は必須アイテムだろ」
サングラスを外して明るく笑うその笑顔は、勇信の記憶する優しい兄の姿そのものだった。
ふたりはシートにあぐらをかいて、満開の八重桜をしばらく眺めながら焼酎を飲んだ。
暗殺者は聞きたいことがあまりに多く、思いつくままに質問を投げつけた。
「話が長くなるぞ。あくびを連発するくらい」
「あくびが出たとしても、ノンストップで話してくれ」
「……わかった」
勇太は京都まで流れてきた事情を、ゆっくりと明らかにした。
********
1年前。
ハァハァ、ハァハァ……。
吾妻グループ副会長・吾妻勇太が山中を逃げ回っていた。
後方から追ってくる人物もまた、吾妻勇太(属性:忠誠心)だ。
逃げる勇太は後ろを警戒するあまり、木の根に引っかかって転倒した。
追いついた勇太(属性:忠誠心)がそのまま覆いかぶさり、腕を回して首を絞めた。
勇太は腕を抜こうともがいたが、10秒もしないうちに意識を失った。
勇太(属性:忠誠心)は意識を失ったもうひとりの自分確認しては、ポケットから致死薬を取り出した。
「すまない……どうか理解してほしい」
気を失った勇太の首に針を刺して薬を注入する。
眠るように呼吸をする勇太の脈が、まるでエンジンが切れるように停止した。
死体を引きずって山道をおり、乗用車のトランクを開けた。
中にはまた別の勇太が、使わなくなったゴルフクラブのように積めこまれている。
その足で東京には帰らず、山中の別荘へと向かった。
勇太が増殖をはじめた直後に購入した別荘だ。
山奥に位置していて、周辺には民家などの建造物はひとつもない。
過去には社会不安障害を患った地方の富豪が暮らしていたそうだ。
彼の死後3年ぶりに現れた購入者が、まさに吾妻勇太だった。
車が別荘にやってくるのを確認したまた別の勇太(属性:リスクコントロール)が、玄関で出迎えた。
「遅かったな。何か問題でもあったのか」
「いや、大丈夫だ。血痕も残さず、完璧に仕留めた。山の中で殺したから目撃者もいない」
勇太(属性:忠誠心)は車から降りてトランクを開けた。
「これで残るは俺たちを除いて、あと5人」
「断定はやめるんだ。母体が残っているかぎり、数字は当てにならない」
「たしかに」
「さあ、次はおまえの番だ。行って処理してくれ」
勇太(属性:リスクコントロール)はトランクに積まれた2体の遺体を降ろし、別荘の中へと引きずっていった。
そのままバスルームバスルームへと運んでは服を脱がせ、チェーンソーで死体を40センチ間隔に切断した。
バスルームは血と臓器の匂いが充満していたが、勇太は表情を変えることなく作業を続けた。
自分だからこそ我慢ができた。
増殖という不可思議なことが身に起こってからというもの、勇太は日々悩み続けた。彼の両肩には、自分だけでなく家族と吾妻グループ全体の未来が乗っている。
幼い頃から責任感が強く、完璧主義者である性格ゆえに、自分を殺すなどという極端な計画へとたどり着いたのだ。
その中心にいたのがリスクコントロール属性を持つ勇太だった。
彼は忠誠心属性をもつ勇太にだけ、殺人計画を打ち明けた。
忠誠心をパートナーに選んだのは、彼が持つ吾妻グループに対する愛情があまりにも強かったためだ。
ある日、勇太(属性:忠誠心)は言った。
「吾妻グループの全社員を守り、グループをより大きな企業体へと導いていきたい。それが俺の夢だ。もしこれが本能に左右された考えだとしてもしょうがない。そう思うのだから」
その言葉はすなわち、副会長である勇太が個人的な問題など抱えていてはならないという意思の表れだった。少なくとも勇太(属性:リスクコントロール)にはそう聞こえた。
ふたりは秘密裏に同盟関係を結んだ。
「すべてが終わり、最後には俺たちふたりだけが残るだろう。だからこれを購入しておいた。俺とおまえ、どちらが吾妻グループの未来を担うのか。天のみぞ知るってわけだ」
テーブルの上にはリボルバー型拳銃が置かれている。
――ロシアンルーレット。
最後に残るのはただひとり。
銃弾が脳天を貫通しなかった勇太だけが、未来を切り開いて生きていくのだ。
「ふう……。これくらいでいいだろう」
バスルームは肉塊の床ができていた。
バラバラに切り刻まれた肉の塊を見ていると、これらが先ほどまで実際に生きていたとは思えなかった。
「すまない……どうか理解してほしい」
勇太(属性:リスクコントロール)はずっと我慢してきた涙を流した。
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