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第9話:開かない財布
その日、ユイは妙に疲れていた。
前日ほとんど眠れなかったせいか、顔色も少し悪い。
長い黒髪はいつもより重たく見え、制服のブレザーのボタンをひとつ掛け違えていた。
机に突っ伏したとき、カーディガンの袖が少しだけ濡れていた。
「今日、帰りにミルクティー買って帰ろ」
そうつぶやいて、下校途中にコンビニへ立ち寄る。
レジ前で財布を取り出そうとした瞬間――
「……え?」
財布のファスナーが、開かない。
引っ張っても、ねじっても、爪を使っても、まるで何かに固く封じられたように閉じたまま。
中に“まるいもの”があることはわかっていた。けれど、手が届かない。
(今までこんなこと、なかったのに)
帰り道、何度も試したが、財布はびくともしない。
焦りながら、ユイはふと気づく。
今日は朝からずっと“考えないようにしていたこと”があった。
──学校でチラッと見たLINE通知の名前。
──今はもう連絡を取っていない、かつての親友。
“謝るタイミング”を何度も逃して、最後はブロックされた。
なのに今朝、なぜかその子から「既読になった」の通知だけが届いた。
(あの子のこと、思い出したくなかった)
でも、“まるいもの”は、そういうユイの奥にある感情と不思議に連動している。
もしそうだとしたら――今日は、“開かない日”だったのかもしれない。
家に帰って、夜になっても財布は開かなかった。
けれど、深夜2時。スマホの通知音が鳴った。
画面には、あの子の名前。
ひとことだけ、「ごめんね」のメッセージ。
ユイはしばらく動けなかった。
そして、そっと財布を開いてみる。
――開いた。
“まるいもの”には、小さなファスナーの模様が浮かんでいた。
そして、その模様が音もなく“スッ”と開いた瞬間に、模様は消えた。
(開かない日があっても、きっと開ける日は来るんだ)
ユイは布団の中で、目を閉じた。
胸の奥が少しだけ、ほどけるような夜だった。