テラーノベル
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第97話:開かずの封筒と、震える四十歳〜税務署からのラブレターと、七万人の立ち会い〜
「はぁ……はぁ……っ。あちぃ……マジで息が詰まる……」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパートの四畳半。その中央にそびえ立つ、八万円の経費で購入した漆黒の『段ボール製簡易防音室』。
その中で、俺はパンツ一丁の姿で滝のような汗を流していた。
ハイスペックPCから吐き出される強烈な排熱が、密閉された一畳にも満たない段ボール空間に充満し、室温はすでに三十八度を突破している。
しかし、俺の歯の根がガタガタと鳴り、全身から冷や汗が止まらない理由は、決してこの狂った室温のせいだけではなかった。
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で完全に硬直していた。
視線の先にあるのは、キーボードの真横に無造作に置かれた、一通の【薄い茶封筒】。
郵便受けから回収してきたばかりのその封筒の左上には、この世のどんなホラー映画よりも恐ろしい、おどろおどろしい明朝体の文字が印字されていた。
――『帯広税務署』。
「な、なんでだよ……。法人化の設立届は、ちゃんと市役所とか道税事務所に出したはずだろ……? なんで今、税務署から直接、名指しで手紙が届くんだよ……っ!」
心臓が、早鐘のようにバクバクと鳴り響く。
ネットの知識では、税務署から届く不意の封筒は、通称『ラブレター』と呼ばれている。
そしてその中身は、決して甘い愛の言葉などではない。お尋ね、修正申告の催促、あるいは――経営者にとって最凶の死神である『税務調査』の通告だ。
『ルシフェル社長。先ほどからマイクを通じて、歯の根が合わない激しい震動音が聞こえておりますが、熱中症でしょうか? それとも急性ストレス障害ですか?』
ディスコードの裏回線から、アシスタントの結愛(ゆあ)の、氷のように冷徹な声が響いた。
「ゆ、結愛……っ! 来たんだよ! ついに、本物のラスボスからラブレターが届いちまったんだよォォ!!」
俺がウェブカメラに向けて震える手で封筒を掲げると、結愛は一瞬だけタイピングの手をピタリと止めた。
『……なるほど。所轄の税務署からの、新設法人宛ての通知ですね。封筒の厚みから推測するに、それほど分厚い書類ではありません』
「これってやっぱり、あれか!? 『お前みたいな底辺がいきなり月収数百万も稼いでるのおかしいから、来週マルサの女がガサ入れに行くわ』的な死の宣告なのか!?」
『私が国税局の担当者であれば、社長のような素人が適当につけた帳簿など、一目見ただけで脱税の証拠を百個は叩き出せる自信があります。ですが、開封すれば一秒で解決する案件かと存じます』
「開けられるわけねえだろ!! 怖いんだよ!! 俺は四十年、社会の底辺を這いつくばって生きてきたんだぞ!? 法律とか税金とか、そういう『大人のガチのルール』が世界で一番怖いんだよ!!」
もし「追徴課税一千万円」とか書かれていたら。
もし「意図的な所得隠しとして告発します」なんて書かれていたら。
俺は今度こそ、この八万円の段ボールサウナの中で、ショック死するか発狂する自信があった。
『……ルシフェル社長。経営者としての決断を下せない、その素晴らしい無能ぶりに免じて、一つ、最高に【効率的】な提案がございます』
結愛の声に、微かな、本当に微かな悪魔のような笑みが混じった気がした。
「て、提案……?」
『間もなく臨時の雑談配信の開始時間です。その封筒、ご自身の机の上で一人で怯えながら開けるのではなく、ファンの皆様の前で【公開生開封】されてはいかがでしょうか』
「はぁ!? お前、俺の公開処刑を数万人の前でやれって言うのか!?」
『データに基づき申し上げます。人間の最も強いコンテンツは、他人の不幸と、権力に怯えるおっさんのリアルな絶叫です。今ここで開封枠を取れば、爆発的なエンゲージメントを生み出すことは確実です。命を懸けた、最高の商売になるかと』
「お前本当に鬼だな!! 血も涙もねえのか!!」
俺は怒鳴った。だが、反論はできなかった。
一人でこの死神の封筒を開ける勇気は、四十歳のニート上がりの男には、一ミリも、一ミクロンも残されていなかったのだ。
誰かに、誰でもいいから、この圧倒的な恐怖を共有してほしかった。一人で地獄に落ちるのは嫌だった。
「……ああっ、もうクソ喰らえだ! どうにでもなれ! やってやるよ!!」
俺は半泣きになりながら、OBSの配信開始ボタンをターンッと叩き切った。
「おうお前らァァァ!! 助けてくれェェェ!!」
画面が切り替わった瞬間、待機していたリスナーたちが、堰を切ったように一斉にチャット欄になだれ込んできた。
『うおおお! ゲリラ雑談!』
『和尚、今日も段ボールサウナからお届けかww』
『また顔真っ赤だぞおっさんww』
『開始0秒で発狂は草』
同時接続者数は、開始一分で瞬く間に三万人、五万人、そして【七万人】の壁を容易く突破していく。
俺がデータ至上主義を捨て、泥臭い『四十歳のリアル』をさらけ出した結果、今やこれだけの人間が、このボロアパートから発信される狂騒を求めて集まっているのだ。
「お前ら、今日はふざけてる余裕はねえ! 挨拶もプロレスも抜きだ! 今、俺のちゃぶ台の上に、何があるか見えるか!?」
俺はウェブカメラの角度を下げ、帯広税務署の茶封筒を画面いっぱいにドアップで映し出した。
『……ファッ!?』
『税務署キターーーーwwww』
『ついに年貢の納め時か破戒僧ww』
『ガサ入れの予告状じゃんww』
『お尋ねwwwオワタwww』
『鈴木さん(ケースワーカー)からの刺客だろこれww』
チャット欄が、過去最高クラスの超高速で大爆発した。
面白がる大量の草(w)の弾幕の中に、恐怖を煽るコメントが濁流のように流れていく。
「笑い事じゃねえんだよ!! 俺はまだ株式会社インフィニティ・ワンを作って一ヶ月だぞ!? なんでピンポイントで狙い撃ちされるんだよ!! お前ら、頼むから一緒に見ててくれ! 一人でこれ開けたら俺、ガチで心肺停止するから!!」
『和尚、早く開けろよww』
『スパチャ:10,000円(開封の手数料だ!!)』
『スパチャ:50,000円(追徴課税の足しにしてくれww)』
『スパチャ:10,000円(弁護士費用置いときますね!)』
「だから投げるな! 嬉しいけど、今スパチャの赤いエフェクト見ると来年の消費税を思い出して血尿が出そうになるからやめろ!!」
俺は、ガタガタと猛烈に震える手で、引き出しからカッターナイフを取り出した。
四十年の人生で、これほど重く、これほど冷たく感じたカッターはない。
「よし……。開けるぞ。お前ら、もし俺がこのまま白目を剥いて泡を吹いて倒れたら、すぐに帯広の消防署に電話して救急車を呼んでくれ……。結愛、心の準備はいいか」
『いつでも、ルシフェル社長の遺体回収と、会社の自己破産手続きを引き受ける準備はできております』
「縁起でもねえこと言うなァァ!!」
俺は覚悟を決め、息を大きく吸い込んだ。
スゥ……ッ。
カッターの刃が、茶封筒の端をゆっくりと切り裂いていく。
ビリビリという、分厚い紙が裂ける不吉な音が、密閉された段ボール防音室の中に不気味に響き渡った。
同接七万人のリスナーが、画面の向こうで固唾を飲んで見守っているのが、チャット欄の一瞬の静寂から伝わってくる。
俺は、震える二本指を封筒の中に突っ込み、折り畳まれた一枚の白い書類を引きずり出した。
ゆっくりと、祈るようにそれを広げる。
「……ひ、光の速さで文字が読めねえ……。どれだ、どこだ!? 追徴課税の金額はどこに書いてある……っ」
冷や汗で視界がぐにゃりと歪む中、俺は書類の中央に書かれた【極太のゴシック体の文字】を、必死に網膜へと焼き付けた。
そこには、こう書かれていた。
『新設法人経営者の皆様へ:はじめての法人税・記帳説明会のご案内』
「…………え?」
狂乱に包まれていた段ボール空間が、奇妙な静寂に包まれた。
『……ルシフェル社長。中身は、何でしたか?』
結愛の淡々とした問いかけに、俺はパチパチと何度も瞬きをしながら、魂の底から抜け出たような、気の抜けた声で応えた。
「……せつめいかい」
『はい?』
「税務署の、おじさんが……新しく会社作った初心者のために、優しく帳簿の付け方と税金の仕組みを教えてくれる、無料の説明会の案内です……」
次の瞬間。
『ズコーーーッ!!wwww』
『ただの案内状かよwwww』
『人騒がせすぎるだろおっさんww』
『ガチでビビって遺言まで残そうとしてたのウケるww』
『七万人集めて税務署の無料説明会の案内見てて草』
『平和かよwww』
ドカン!!!と、チャット欄が安堵の笑いと愛のある罵倒の渦で、完全に埋め尽くされた。
同時に、呆れ果てたリスナーたちからの「お騒がせ料」としての極彩色のスーパーチャットが、再び画面を真っ赤に染め上げていく。
「ふ、ふざけんなよ帯広税務署ォォォ!!」
俺は、緊張の糸が切れた反動で、破り捨てた封筒を床に叩きつけながら、三万円のゲーミングチェアの上で激しく机をバンバンと叩いた。
「紛らわしい仰々しい封筒で送ってくんじゃねえよ!! 心臓が八個あっても足りねえわ!! 参加するよ! 喜んで一番前の席で説明会受けて、税金のことみっちり勉強してやるよチクショーォォォ!!」
『さすが社長、素晴らしい危機管理能力(ただの早とちり)でしたね。本日の配信のRPMも、目標値を大幅に超過しております。お見事な集金力です』
裏回線で、結愛がクスクスと、心底楽しそうに笑っているのが聞こえた。
税務署からの、ただの親切なラブレター。
それに勝手に踊らされ、七万人の前でパンイチで失禁しかけた四十歳のおっさん。
資本主義の地獄の門番は、今回は牙を剥かなかった。
だが、国家の精緻なシステムが、常にこの四畳半を監視していることには変わりない。
俺の、税金と、鈴木さんと、そして迫り来る「税務説明会」との戦いは、まだ始まったばかりなのであった。
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
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コメント
1件
あはははは!!第97話読み終わったよ〜!!もう最初から最後まで笑いっぱなしだったんだけど?!😂💕 税務署の封筒にビビるルシフェル社長の「段ボールサウナ」でパンイチ震える姿から、公開開封というアシスタント結愛の鬼提案、そして7万人の前で開けたら「ただの説明会案内」っていう…完璧なオチすぎてお腹痛い😂🔥 「ズコーーーッ!!」ってチャット欄の反応がもう脳内再生されるわw 緊張からの安堵のギャップが良すぎて何度も読み返したい!おっさんのリアルな絶叫、最高のコンテンツになってるよ〜✨ 次の説明会も楽しみにしてるね!!