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第189話 レアの選択
【異世界・転移した学園/体育館内・朝】
外箱の亀裂が、ほんの少し開いた。
そこから差し込んだ光が、レアの顔を白く照らす。
黒い片目の奥で、影と文字列がゆっくり流れていた。
サキは、息を呑んだ。
「レア」
レアは答えない。
亀裂の向こうを見ている。
校庭の黒い気配。
主鍵の光。
ジャバの圧。
生徒たちが名前を呼び合う声。
全部が混ざった外の世界を、初めて直接見るような目だった。
ダミエが片膝をついたまま、手を伸ばす。
「閉じる」
外箱の光が強まる。
だが、その瞬間、ダミエの肩が大きく震えた。
「ダミエ!」
サキが叫ぶ。
ダミエは答えない。
唇を噛み、結界を閉じようとする。
だが、校庭からまた衝撃が来た。
ドンッ!
体育館の床が跳ねる。
生徒たちが悲鳴を上げる。
光具が床を滑り、外側の受け皿が一瞬だけ崩れる。
亀裂が、細く縦へ伸びた。
レアの指が、その光へ向かう。
サキは思わず叫んだ。
「触らないで!」
レアの指が止まる。
「触ったら、戻れなくなるかもしれないよ!」
レアは、ゆっくりサキを見た。
「戻る場所なんて、まだないよ」
その声は静かだった。
でも、いつものからかうような響きは薄い。
サキは言葉に詰まる。
「でも、今出たらだめ」
「それはあなたの選択じゃなくて、ジャバたちが作った隙だから」
「うん」
レアは頷いた。
「それは分かってる」
「だったら――」
「でもね、サキ」
レアは言った。
「分かってるだけじゃ、何も選べない」
サキは動けなかった。
レアは、箱の内側に手を当てる。
亀裂に触れるのではなく、自分の胸のあたりを押さえた。
「白い部屋にいた時も」
「穴の向こうにいた時も」
「私はずっと、誰かが作った役割の中にいた」
「ここでも、私は“閉じ込めておくべき危険なもの”って役割の中にいる」
「それは、あなたが危ないからでしょ!」
サキの声が震えた。
「みんなを傷つけたから」
「また利用されるかもしれないから」
「だから今は、ここにいてほしいの!」
レアは少しだけ目を伏せた。
「うん」
#能力者
紅優
178,315
54
麗太
684
「それも分かる」
体育館の外で、また大きな音。
ハレルの声。
リオの声。
ジャバの笑い声。
レアは顔を上げた。
「でも、箱の中にいるだけだと、私はずっと“分かる”だけなんだよ」
「選んだことにならない」
サキは必死に首を振った。
「今じゃなくていい」
「今は違う。お願いだから」
レアは、少しだけ笑った。
「サキは、命令じゃなくてお願いするんだね」
「そうだよ」
「変なの」
「変でもいいから!」
その時、ダミエが声を絞り出した。
「サキ、下がれ」
サキが振り向く。
ダミエは片手で結界を支え、もう片方の手で床を押さえていた。
顔色が悪い。額から汗が落ちている。
「その亀裂は、もう内側からも外側からも歪んでいる」
「近づくな」
「でも、レアが――」
「下がれ!」
その声と同時に、外箱が大きく鳴った。
ガラスが割れるような音ではない。
空気の膜が裂けるような、低く湿った音だった。
亀裂が一本、横へ走る。
レアはその瞬間、立ち上がった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ハレルは、校庭の亀裂の先端を〈固定界〉で押さえていた。
主鍵の光が白い杭のように地面へ打ち込まれ、黒い亀裂の進行を止めている。
だが、その分、ハレルは動けない。
リオはその前で、ジャバの攻撃を受けていた。
「〈光盾・第二級〉!」
リオの光盾に、ジャバの拳が叩き込まれる。
重い。
盾が軋み、リオの足が校庭の土を深く削る。
ジャバは笑っていた。
「いいねえ!」
「主鍵を止めて、副鍵を前に出す!」
「守るものが多いと、勝手に分かれてくれるなあ!」
リオは歯を食いしばる。
「黙れ」
「黙るかよ!」
ジャバの拳が、もう一度来る。
リオは受け止める。肩に痛みが走る。
それでも退かない。
ハレルが叫ぶ。
「リオ、無理するな!」
「そっちこそ離すな!」
「分かってる!」
その時、ハレルのイヤーカフにノノの声が飛び込んだ。
『ハレル!』
『レア外箱、亀裂拡大!』
『ダミエの負荷、限界域!』
ハレルの顔が変わる。
「サキは!」
『中にいる!』
『話して止めようとしてる!』
『でも――』
通信が、衝撃音で途切れかけた。
ジャバが笑う。
「お、割れそうか?」
ハレルの目が鋭くなる。
「お前の狙いはそれか」
「さあな」
ジャバは肩を鳴らす。
「箱が割れれば面白い」
「主鍵が焦ればもっと面白い」
「生徒どもが泣けばさらに面白い」
「ふざけるな!」
ハレルは怒りで主鍵の光を広げかけた。
その瞬間、黒い影が光の端に絡もうとする。
ノノの声が戻る。
『ハレル、広げないで!』
ハレルは歯を食いしばり、光を細く保った。
今、広げれば、また影が乗る。
分かっている。
分かっているから、余計に苦しい。
ジャバはその顔を見て、満足そうに笑った。
「いい顔するじゃねえか」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館内・朝】
外箱の亀裂が、開いた。
人一人が通れるほどではない。
けれど、光が漏れるには十分だった。
レアは、その光の前に立っている。
サキは一歩踏み出した。
「レア、だめ!」
ダミエも手を伸ばす。
だが、ダミエの結界はもう全部を締められない。
締めれば、負荷がそのまま自分に返ってくる。
緩めれば、亀裂が広がる。
その一瞬の迷いを、レアは見逃さなかった。
「ダミエ」
レアが言った。
「あなた、もう限界だよ」
「黙れ」
「限界なのに、まだ支えようとしてる」
「そういう人、嫌いじゃないよ」
ダミエの目が細くなる。
「出るな」
「それは命令?」
「警告だ」
レアは小さく笑った。
「ありがとう」
その言葉に、ダミエがわずかに反応した。
次の瞬間、レアは亀裂へ手を伸ばした。
サキが叫ぶ。
「レア!」
レアは振り向いた。
そして、サキだけを見て言った。
「サキ」
「何……?」
「私、たぶん今は自分で選んでる」
サキの胸が強く締めつけられた。
「だったら、選ばないで!」
「それも、選択だよ」
レアは少しだけ寂しそうに笑った。
「でも、私は外を見る」
その体が、亀裂の光へ沈む。
サキは手を伸ばした。
けれど届かない。
レアの指先が、光の向こうへ消える。
次に腕が消える。
黒い片目が最後までサキを見ていた。
「戻る場所があるのか、見てくる」
その言葉を残し、レアは箱の外へ抜けた。
外箱が、遅れて閉じようとする。
だが、もう中にレアはいない。
サキは立ち尽くした。
「……レア」
ダミエが結界を押さえ直す。
箱は残っている。
外箱も完全には壊れていない。
だが、中は空だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校舎裏・朝】
レアは、校舎裏の影の中へ落ちるように現れた。
息をしているのか、していないのか分からない。
体の表面には、箱の内側で押さえられていた数列が細く走っている。
彼女は自分の手を見た。
指がある。
足がある。
箱の外の空気が肌に触れている。
遠くで、ハレルとリオが戦っている音がする。
体育館の中からは、生徒たちが名前を呼ぶ声が聞こえる。
レアは小さく息を吐いた。
「外だ」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
だが、次の瞬間、背後の影が揺れた。
黒い影の気配。
ジャバのものではない。
もっと静かで、冷たい線。
レアは振り返らないまま言った。
「迎えに来たの?」
返事はない。
だが、影の向こうに、細い文字列が走った。
パイソンの気配。
レアは少しだけ笑った。
「残念」
「今は、そっちにも行かない」
影が一瞬、濃くなる。
レアは校舎裏の細い通路へ歩き出した。
「私がどっちへ行くかは、私が見る」
その体が、校舎の影の中へ溶けるように消えていった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館内・朝】
サキの叫びが、体育館に響いた。
「レアがいない!」
ハレルの声がイヤーカフから返る。
『何!?』
サキは空になった箱を見つめていた。
光具はまだ動いている。
結界杭も立っている。
ダミエの外箱も、完全には崩れていない。
でも、その中にレアだけがいない。
ダミエは床に片膝をついた。
「……抜けられた」
その声には、悔しさよりも、重い疲労が滲んでいた。
サキは唇を噛んだ。
「私が、止められなかった」
ダミエが短く言う。
「お前のせいではない」
「でも、話してたのは私で――」
「お前が話していなければ、もっと早く出ていた」
サキは言葉を失った。
ダミエは空の箱を見たまま続ける。
「亀裂は、ジャバが作った」
「負荷を集められたのは私だ」
「レアが選んだのは、レア自身だ」
サキは拳を握る。
その時、ノノの声が入った。
『レア反応、学園内に残ってる!』
『外には出てない!』
『校舎裏方面、でも反応が薄い!』
サキが顔を上げる。
「追える?」
『今すぐは無理!』
『校庭がまだ戦闘中!』
『ハレルとリオを動かしたら、体育館が危ない!』
サキは歯を食いしばった。
追いたい。
今すぐ追いたい。
でも、生徒たちがいる。
ダミエは限界。
外ではジャバがいる。
レアを追えない。
それが、何より苦しかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ハレルは、通信を聞いた瞬間、動きかけた。
「レアが逃げた!?」
ノノの声が叫ぶ。
『動かないで!』
『ハレルが固定界を外したら、亀裂が体育館へ入る!』
ハレルは歯を食いしばる。
目の前には、黒い亀裂。
その先には体育館。
中にはサキ、生徒たち、ダミエ。
レアを追いたい。
だが、今動けば、もっと大きなものを失う。
ジャバがその顔を見て笑った。
「逃げたか」
リオが鋭く睨む。
「お前が逃がしたんだろ」
「俺は揺らしただけだ」
ジャバは笑う。
「出るかどうかは、中の奴が決めたんじゃねえの?」
ハレルは主鍵を握る手に力を込めた。
「……黙れ」
「怒るなよ」
「お前ら、選ばせるの好きなんだろ?」
ジャバの言葉が、ハレルの胸をえぐる。
それでも、ハレルは動かない。
動けないのではない。
動かないことを選んだ。
「リオ」
「分かってる」
リオが前へ出る。
「まずこいつを押し返す」
ハレルは頷いた。
「レアはそのあとだ」
ジャバが肩を鳴らす。
「できるかな」
その時、遠くから別の光が走った。
王都から向かっていた術師たちの援護光だった。
校庭の端に小さな結界が立つ。
ノノの声が入る。
『援護到着!』
『短時間だけど、体育館側の揺れを少し受けられる!』
ハレルは息を吸った。
「なら、今だ」
主鍵の光を、亀裂の先端へさらに細く打ち込む。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が黒い亀裂を押さえる。
リオが横から副鍵を構える。
「こいつを、校庭から離す」
二人の視線が、ジャバへ向いた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/臨時医療スペース付近・朝】
木崎は、医療スペースの入口で息を整えていた。
戻った人々は全員、中へ入った。
名前確認も続いている。
移動導線は破棄した。
だが、錆はまだ外にいる。
遠くの街灯の向こうで、ラストの姿は消えた。
残っているのは、赤茶けた粉と、崩れた金属の音だけ。
日下部の声がイヤホンから入る。
『木崎さん』
『学園側、レアが逃走しました』
木崎の表情が変わる。
「レアが?」
『はい』
『ただし、学園内反応あり。外へは出ていません』
『ジャバの襲撃は継続中』
木崎は、錆びた街灯の向こうを見る。
現実側はラスト。
異世界側はジャバ。
そしてレアが逃げた。
「……向こうもこっちも、面倒なことになってきたな」
城ヶ峰の声が入る。
『だからこそ、こちらはラストに備える』
『逃げ切っただけでは終わらない』
『次は反撃の準備だ』
木崎は短く答えた。
「了解」
その目は、もう逃げ道ではなく、錆の残った場所を見ていた。
◆ ◆ ◆
レアは逃げた。
ジャバが作った亀裂。
ダミエの限界。
サキの言葉。
そのすべての間を抜けるようにして、箱の外へ出た。
だが、パイソンの元へ向かったわけではない。
ジャバに従ったわけでもない。
レアは、学園の中に消えた。
自分の戻る場所を見るために。
ハレルたちは追えなかった。
追えば、体育館が危ない。
生徒たちが危ない。
だから今は、ジャバを押し返すしかない。
現実側では、木崎たちが戻った人々を守り切った。
そして次に、ラストへ反撃する準備が始まろうとしていた。
逃げた者。
追えない者。
追ってくる者。
反撃を決めた者。
それぞれの選択が、次の戦いへ向かって動き始めていた。
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