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その生徒、篠宮栞は、二学期のある時を境に一対一で対話する時間が増えた。 彼女からいつも「今日の放課後お時間ありますか」と聞かれるたび、生徒を守らなければならない責任感と頼ってもらえる喜びが、混同した。今思えば、教師としてあるまじき行為だっただろう。
ただその日だけは、放課後すぐに出張の予定があった。
あと5分で学校を出ないといけないというタイミングで、突然栞は話しかけてきた。
「先生、突然すみません。急なんですがお時間ありますか……?」
その日は、考えればいつもより少し重い決断をしたような顔をしていた。
「あー、ごめん。この後すぐ出ないといけなくてさ、明日でもいいかな?」
栞は少し残念そうに項垂れた後、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「はい、大丈夫です。お忙しい時にすみません。」
その時の栞の笑顔を、俺は一生忘れられないだろう。
いいや、忘れてはならない、あの5分を。
焼香の煙が、やけに目に沁みた。
微かに、自分でも手が震えているのを感じた。
篠宮栞が自死を選んだのを知ったのは、自分が話を聞かなかったあの日の、夕暮れ時だった。
出張から帰って夜遅く23時頃、家に帰ってからスマホを確認すると栞の母親から電話が入っていた。
その時点で、嫌な予感が胸にずしりと乗った。あの時の項垂れた背中と、無理に持ち上げられた笑顔が、あまりにも綺麗に符合してしまった。
不在着信、3件。
震える手で最新の一件を押すと、コールが鳴り始めた。3回目ほどで、「……もしもし、」と、鼻が詰まったような声が聞こえた。
「夜分遅くにすみません、栞さんの担任の雨宮です。先程は電話に出られず申し訳ございません。」
定型文のように謝罪をすると、電話の奥で啜り泣く声が聞こえた。
「いえ、こちらこそお忙しい中すみません。ですが、どうしても急用だったもので……。」
そこから先の言葉は、何となく予想できた。
「……娘が、栞が、亡くなりました。自室で、首を――」
あまりにも痛々しい亡くなり方だった。意識を持つのも精一杯で、携帯を強く、握りしめた。
そして、数日後の現在、自分はお葬式に参列した。
遺影の栞は、幸せそうに、生きた笑いをしていた。あの日、相談を聞けなかったあの時の、覚悟を決めたような微笑みとは違う、楽しそうな笑顔だった。
涙は流れなかった。流す権利がないと思ってしまった。あの時、あの5分でもいいから栞の話を聞けてたら、栞は、今ももしかしたら……。
「雨宮先生。」
陽だまりのような優しい声で話しかけてきたのは、栞の母親だった。涙をひとしきり流し切ったのか、濡れたハンカチを持ってこちらに笑いかけている。
「……この度は、心からお悔やみ申し上げます。」
部屋の隅で頭を下げると、「顔をあげてください」と言われた。
「栞、雨宮先生に沢山話を聞いてもらったそうですね。相談を聞いてもらった日には、私にいつも伝えてくれました。」
そう笑いかけながら、こちらに封筒を手渡した。
「栞が、先生にって書いていたそうです。」
……受け取れない、最初にそんな言葉が浮かんでしまった。自分に、そんな資格はあるんだろうか。最後の、あの5分さえ、彼女のSOSに気づいていれば、もしかすれば彼女は思いとどまったのかも知れない。
今更悔やんでも、彼女は、栞は戻ってこない。クラスにも、相談をしに来たりも……両親の、元にも。
「どうか、悔やまないでください。」
母親は、それだけ言って自分の手に手紙を掴ませた。
学校の蛍光灯が、替え時だと点滅しているのを、眺めていた。
あれから数日経っても尚、心身が完全に回復することはなかった。
クラスにも、理由は話さず、空席になったことを伝えた。無くなった事にはならないし、誰もが栞との思い出を抱えている。それでも、何事も無かったように楽しそうに笑うのは、クラスメイトなりの栞への配慮からだろう。
全てが片付き始めた今、まだ一つだけ、解決していないことがあった。
机の引き出しを開けた一番上にある、桜色の封筒を、まだ開けていなかった。栞の母親からもらった、栞から自分宛への手紙。
開く勇気がなくて、ずっと封印しているかのように閉じ込めていた。
けれど、あの日の栞の思いが、もしもこの中に残されているのだとしたら。担任として、そして相談相手として、それを知る必要がある。
あの日の、焼香をした時のように、手が震えた。可愛らしいマスキングテープを乱雑にちぎって封をされている。
「雨宮先生へ」、栞自身の字で一行目にそう書かれていた。
「雨宮先生へ。
この手紙を読んでいるって事は、私は自死を選んだんですね。ただ、自責の念に駆られないでください。」
「先生に自分の不安について打ち明け始めたのは、2年生の二学期の頃だったでしょうか。すみません、ずっと前から不安は抱えていたもので、いつから相談を始めたのか、少し曖昧なんです。」
「先生に不安を打ち明ける時は、心が軽くなって自分が救われた感覚でいられるんですけど、それも一時的で。先生が悪いわけではないんです、私の、私自身の、自己肯定感の低さとネガティブの強さのせいで、不安が膨らむのが人より早いんだと思います。」
「……先生、私本当は、いい子じゃないんです。」
「私、小さい頃はわがままっこで、暴食が激しくて、両親に辞めなさいと怒られても辞められない、反抗期みたいな性格をしていました。
今の性格じゃ想像できないでしょう、笑ってください。集団行動が苦手で、言いたいことを何でも言葉にする性格なので、多分幼稚園の頃から皆に嫌われていたと思います。」
「小学校に上がって、高学年になってから女子ってグループができ始めるんです。私、その輪に入れなくて、入れたとしても、いじられ役?みたいな立ち位置でした。今となってはそれも当然だったなあって思います、ほら、こんな性格なので。」
「小学校6年生になって、嫌われ者は加速していきました。しょうがないんです、横暴でわがままだったから、今となってはいじめだと思っていたことも、当然の報いだと思います。」
「中学生になってから、私の心の中には自殺欲が住みつくようになりました。驚いたでしょう、そうです、貴方に相談するもっと前から、私は自死を望んでいたんです。選べなかっただけで、そう、望んでたんです。
いじめらしきものが加速したのは、中学3年生の受験シーズンでした。私、中学校の高レベルの勉強についていけなくて、この高校ですら推薦じゃないと行けないとまで言われた劣等生でした。中学3年で同じクラスになった男子の中に、影響力の高い子たちが数人いて、刺激を与えないように避けて生きていたはずなんです。」
「変わったのは、さっきも言った通り受験シーズンでした。
ストレス発散だったんでしょうか、それとも私が何か悪いことでもしたんでしょうか、ケラケラ笑い者にされて、それは他のクラスにまで影響していきました。それに気づいた時、“ああ、死のう”、そう思ったんです。それなのに、死のうとしたのに、考えたのはその日の夜ご飯なんだろうなって事でした。おかしいですよね、今から死ぬのに夜ご飯考える余裕があるなんて。」
「怖くて、死ねなかったのもあるんでしょうが、一番は、両親が泣く姿を見たく無かったんです。お金がなくても、ここまで一生懸命育ててくれた両親の思いを考えると、死ねませんでした。それに、私も悪かったんです。きっと、彼らの面白おかしい何かに、触れたんだと思います。」
「そうなんです、先生、死ぬのって、怖いんです。」
「勇気がいります、そして次に自殺場所がいります、そして遺書がいるんです。
覚悟とかじゃどうにもならないんです、いっぱい、いっぱい、準備が必要なんです。だから私は、それを理由に明日にしようとする欠点を最大限に活かして死ぬのは明日にしようって、引きずり続けました。」
「その決心を変えたのは、孤独という病気でした。
この学校、クラスが変わらないからメリットもあれば、デメリットもあるんです。」
「確かに、そのおかげで友達は増えました。
その代わり、彼女に、親友に奪われるものが増えていきました。」
「先生に相談した通り、私は彼女が嫌いです。私の居場所を、無意識のうちに奪っていくから。
そして、皆それで良いみたいな顔するんです。皆、彼女が一番で私が二番目みたいな、そう言いたそうな顔をするんです。
先生だって、そうじゃないですか。彼女に才能があるから、全部彼女に任せて、彼女に頼れないものは私か、他の誰かに。
責めたい訳じゃないんです、ただ、もう少し頼って欲しかった。
私の孤独に気づいてる先生なら、救ってくれると思っていました。」
「……傲慢、ですよね。」
「先生、前に言ってましたよね。珍しい名前は下の名前で呼ぶって。」
「じゃあ、先生にとって栞は、特別じゃなかったですか?先生はいつも、両親の前でだけ栞さんって呼んで、いつもは篠宮で。」
「私は、先生の特別な生徒にはなれないですか?」
「……ごめんなさい、困らせたい訳ではないんです。ただ、少しでも気にかけて欲しかった、話しかけて欲しかった、私を、認めて欲しかった。
でも、苦しまされてばっかりじゃなかったんです。
先生、修学旅行の前に相談に行った時、言ってくれましたよね。“篠宮と行けるの楽しみにしてる”って。」
「私、そう言ってくれて嬉しかったです。ああ私、このクラスの生徒の一員として認められてるんだって、居ても良いんだって。」
「でも先生、結局修学旅行でもほとんど話しかけてくれなかったですよね。少し、本当に少しだけ、悲しかったです。」
「私きっと、疲れちゃったんです。生きること。」
「最初も言った通り、私良い子じゃないんです。
悪い子なんです、とっても。罪人なんです。」
「人に迷惑をかけることも、罪に問われそうなことも、なんでもやってきました。やらかしてきました。」
「誰にも言えないほど、悪いこともしてきました。私は、裁かれるべき罪人なんです。
それは、先生が悪い訳でも、両親が悪い訳でもありません。」
「だけど、」
「私、本当はまだ生きていたいんです。」
「私が悪いことなんて全部分かってるんです。いじめられるのも、孤独になるのも。それでも、助けて欲しい、救い上げてほしかったんです。本当は、死ぬの怖いです、助けて欲しいです。誰かこの手を掴んで、“生きてて良い”、そう言って欲しいんです。」
「先生、貴方から見て私は、悪い子でしたか?」
「私は、クラスに馴染めてなかったですか?奪われて当然の人間でしたか?分からないんです、自分が自分じゃないみたいに、怖いんです。生きるのも、死ぬのも。
先生は、私に生きてて欲しかったですか?」
「……長かったですね、ここまで。
読んでくれて、ありがとうございます。
最後に、守って欲しいことがあるんです。」
「きっと、この先教師を長くしていれば、私みたいな子が一人は出てくると思います。」
「自分が悪いけど、苦しくて、生きたいのか死にたいのか分からなくなる、そんな子が。
絶対に一人はいるんです、抱えてしまう子が、自分を責めてしまう子が、両親か、貴方しか頼れなくなる子が。」
「貴方は、今は正解が分からないと思います。それで当然です。だから、そんな子が来たら特別な事はしなくて良いんです。
こう言ってあげてください。」
「“自分は、君がこの先を真っ直ぐ正しく生きて、卒業証書を渡せる日を楽しみに待っている”と。」
「その子にはきっと、明るい未来が待っています。場合に応じてそれらしきことも言ってあげてください。」
「もう一つ、覚えておいてください。
生きることが、全ての幸せじゃないんです。
私は、自死を選べて幸せでした。」
「それを、どうか否定しないでください。」
「私は、両親と、友達と、そして貴方の中で、今までで一番理解できない少女として生き続けます。
それで良いんです、誰かが私を覚えていてくれれば、それで。」
「私、栞って名前で生きられて、嬉しかった。」
「栞は、物語の途中に挟んで、続きをそこから始められます。だから、私の人生は栞が挟まれたんです。
ここが終わりじゃありません、ここは中途です。
だから、その続きは先生達の中で続けます。
この手紙を、数年に、数十年に一度、開いてください。
その時、私は先生の元に帰ってきます。」
「先生、あの時話を聞いてくれなくて、ありがとうございました。」
「おかしな話ですけど、おかげで私は今、幸せです。」
「それじゃあ、またいつか。」
篠宮栞。そう書いた1行下、まだ何かが書かれてあった。ボールペンで書かれた文字が、水滴で滲んだようだ。
「私、どうすれば正しかったんでしょうか。」
手紙が、はらりと床に落ちた。
彼女の遺影の前で流せなかった涙が、今更になって出てきた。
今になって、思い出したことがある。
自分はあの日、栞が自死を選んだ日、クラス全員にこう言ったはずだった。
“今日は先生放課後居ないから、何かあったらその前に来るように”……と。
栞が、あんなに真面目な子が、そんなことを忘れるはずがない。
つまり栞は、覚えていたのだ。
覚えていたその上で、自分の元に来たのだ。
それは、別れを告げるためだったのか、それとも――本当に、自死の覚悟を決めてもらうために来たのだろうか。
何にしてもあの5分は、自分にとっても、栞自身にとっても、失えない貴重な時間だったのじゃないだろうか。
今更謝っても、栞は戻ってこない。
今更望んでも、あの5分は傾いて、歪んでしまった。
栞の、最後の5分間だと思っていた。
あの5分が、彼女の自死を応援づけたのだと思っていた。
でもおそらく、そうじゃない。
彼女はずっと前から望んでいたことを、ついに達成したのだ。
教師という手前、栞が死にたいと言っても自分は、“生きなさい”としか言ってあげられない。死んでいいと後押しすることはできないのだ。
栞はそれを、分かっていた。
分かった上で、死ぬことが自分の幸せだと結論づけた。
誰も何をどうすれば正しいか分からないから、教えてくれないから、栞は自分で正解を作ってしまった。
「……ごめん、“栞”。」
またいつか、それはきっと彼女なりの、“ゆっくりこちらに来てください”の意味だろう。
彼女に会える時にはきっと、老けた人間になっている。
それでも自分は、手を取って言ってあげなきゃいけない。
「栞、久しぶり。」
桜が散って、少しだけ暑さが増してきた、5月。
栞が亡くなって、一年と少し。
栞たちの学年を見届けた後、自分はまた担任になっていた。
「……先生、雨宮先生。」
振り返ると、一人の少女がそこに立っていた。
篠森雫。彼女は少し、あの子の面影があった。
どこか悲しそうな、苦しそうな、孤独な顔。
「……お時間、ありませんか。少し、相談したいことがあって。」
……栞。
君の教師として、正解に導いてあげられなくてごめん。
でも君のおかげで、正解に導ける子が増えたよ。
「……いいよ、別室の鍵持ってくるからちょっと待ってて。」
君と自分の正解は違う。
だけど、君みたいな子を今度は、“俺”の正解に導いてあげる。
“生きること”が正解になるまで、少し時間はかかるだろうけど。
栞が作った物語を、書き終えるのは俺の仕事だから。
だからあと5分、俺に時間が欲しい。
何を考えて何で書いたのかも覚えてません()