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「はい、でもその、仁さん…本当、助かりました」
俺がぺこりとしてお礼を言うと、仁さんはふっと笑い返してくれた。
「いいって…これくらい」
その笑顔は、いつものクールな表情とは違い、どこか柔らかい。
「それより、よかった」
「え……?」
仁さんは静かに微笑んでいた。
その瞳は、俺の奥底を見透かすように深く優しい。
「ほら、楓くんヒート嫌いだろ、俺ので抑えられんなら、よかった」
その眼差しにどきりとする。
俺がヒートを嫌がっていること、この人は覚えていてくれたんだ。
そして、それ以上に
自分の匂いが俺の不快感を抑えることができる
ということを、こんなにも素直に喜んでくれてい
る。
「……っ」
ああもう、この人はどうしてこうも優しいんだろう。
俺の心臓は、またしても大きく脈打つ。
この人の優しさに触れるたび胸の奥がじんわりと温かくなるのは一体どういう感情なのか、分からない。
「……は、はい」
俺は思わず下を向いた。
顔が熱いのがバレないように、下を向くしかできなかったんだ。
◆◇◆◇
その夜───…
照明を落とした部屋に、静かな空気が流れている。
布団に入ってからも、俺はなかなか眠れなかった。
仁さんの服に包まれてるせいだろうか。
とめどない優しさに触れたせいだろうか。
心が、落ち着くどころか、ざわざわと騒がしかった。
隣からは、仁さんの呼吸がかすかに聞こえる。
背中合わせで寝ているから、顔は見えない。
「…………」
眠れない
なんだか、妙に人肌が恋しい。
服から香る匂いが、くせになりそうだ。
……俺、どうしたんだろう。
ヒートのせい?
わからない。
でも、気持ちが溢れそうで、俺はそっと寝返りを打った。
仁さんの背中が、すぐそこにある。
(ああ、もう無理…)
気づいたときには、俺の手が仁さんの背中に触れていた。
小さく、そっと、掴むように背中の浴衣の生地を握る。
くっついたらダメだ、触っちゃダメだ
ただの友達で、番でもないのに、αの仁さんにこれ以上甘えたらダメだ。
そう思って背中から手を離したときだった。
「……楓くん」
俺の動きに気づいたのか、仁さんに名前を呼ばれ
る。
とっさに言葉が出てこない。
そんな俺を気にする様子もなく
振り向くことなく背中を向けたまま彼は続けて言った。
「どうした」
あたたかくて優しい、仁さんの声。
「す、すみません!起こしちゃいましたよね」
「いや、ずっと眠れてなかったから。楓くんこそ
眠れない?」
「……はい」
素直に頷けば、仁さんはゆっくりと寝返りを打ってこちらを向いた。
「こっちおいで」
「えっ」
仁さんに腕を引かれて、そのまま彼の胸の中に収まる。
仁さんの胸に顔をうずめたまま、喉の奥がきゅっと苦しくなった。
どくん、どくん、と早まる鼓動が、互いの胸に伝わる。
「……苦しくないか?」
「大丈夫、です…」
仁さんの手が、俺の髪を優しく撫でる。
その温もりが、安心とともに、どこか物足りなさを孕んで胸に響いた。
言わなきゃ、って思ったのに、うまく声が出てこない。
頭がぐちゃぐちゃで、どこから話していいのかも分からない。
でも、ちゃんと伝えたかった。
「……おっ、俺…ゆ、誘惑したいわけ…じゃ、ないんです……なの、に…涙出てきて…っ」
やっと出た声は、情けないくらい掠れてて、途中で喉が詰まりそうになった。
言葉が、ひっかかって、うまく出てこない。
でも仁さんが黙って、そっと抱いててくれるから。
続きを、なんとかしぼり出せた。
「仁さんだと…どうも安心して……どうしても甘えてしまって……」
言いながら、自分でもどこまでが本音で、どこまでが泣き言なのか分からなかった。
恥ずかしくて、情けなくて、それでもほんとのことだった。
瞬間、仁さんの手が、背中に添えられた。
「……分かってる」
その一言で、胸がじわって熱くなる。
「無理に喋んなくていい。辛いだろ」
低くて、やわらかい声。
耳の奥で響いて、ほっとして、また泣きそうにな
る。
仁さんの大きな掌が、背中を優しくさすってくれ
る。
ゆっくり、あったかくて、俺が壊れそうなのをちゃんと支えてくれる感じがした。
「無理して我慢しなくていい」
仁さんはそう言って俺の頭を優しく撫でる。
俺にとってはその言葉が、たまらなかった。
(あったかい……)
仁さんの体温が、言葉が気持ちいい。
安心する。
ずっとこうされていたいと思うくらいすごく心地いい。
仁さんの言葉や優しさはいつも……ずるい。
嬉しくて、また涙が出てきた。
うまく声が出ないから、こくんって頷くことしかできないのに
それでちゃんと分かってくれるのが、仁さんで。
ほんとに、安心してしまう。
この人の腕の中にいると、心がふわっとゆるんで。
気づいたら、どこにも力が入らなくなってる。
情けないなって思うけど
でも、きっと俺
こうやって崩れてしまえる場所が欲しかったんだと思う。
崩れても、大丈夫だって思える人が。
仁さんがそうで、よかった。
そんなことを、胸の奥で何度も何度も繰り返してるうちに
涙のまま、ゆっくりと、まぶたが重くなってきた。
仁さんの匂いと、あったかい手に包まれて
俺はその夜、眠りにつく寸前
『おやすみ、楓』
仁さんの声が、聞こえたような気がした。
翌朝
目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。
柔らかな日差しが障子越しに差し込み、部屋全体を温かく包んでいる。
ゆっくりと瞬きをして状況を把握しようとすると、すぐに昨夜の出来事が鮮明に蘇った。
俺は、仁さんの腕の中にいた。
まだ夢の中にいるような、温かくて心地いい体温が、すぐ隣にある。
そっと顔を上げると
仁さんの穏やかな寝起き顔が視界に飛び込んできた。
無防備なその表情は、どこか幼く見えて
俺は胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。
(俺、昨日の夜、どれだけ甘えちゃったんだろ…)
恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が熱くなる。
仁さんの浴衣に包まれている俺の身体からは、まだ仁さんの匂いがしっかりと香っていた。
ヒートのざわめきは完全に収まり、心身ともに驚くほど穏やかだ。
そっと腕を伸ばし、仁さんの胸元に触れる。
温かい肌の感触に昨夜感じた安心感と
それ以上の得体のしれない感情がじんわりと広がった。
このまま、ずっとこの温もりの中にいたい。
そんな、強烈な願望が、心臓を締め付ける。
仁さんの手が、優しく俺の背中を撫でていたことを思い出す。
その手つきは
俺が壊れてしまわないように、そっと支えてくれているようだった。
そして「無理して我慢しなくていい」という言葉
あの言葉が、どれほど俺の心を救ってくれただろう。
俺は、この人の優しさに、一体どれだけ救われているんだろう。
ふと、仁さんがゆっくりと目を開けた。
その瞳が、俺を捉える。
一瞬、ぎこちなさが走ったが、すぐに仁さんは柔らかな表情で微笑んだ。
「…楓くん、おはよう」
掠れた声でそう言われ、俺の心臓はまたしても大きく跳ねる。
「…お、おはようございます、仁さん」
照れくさくて、まともに顔を見られない。
すると、仁さんの手が、俺の頬に触れた。
ひんやりとした指先が、熱くなった頬を心地よく冷ます。
「よく眠れたか?」
「…はい。おかげさまで……」
正直に頷くと、仁さんはふっと優しい笑みをこぼした。
「そうか。よかった」
その声は、心底安心しているように聞こえた。
俺が眠れたことをこんなにも喜んでくれる仁さんに、また胸の奥がじんわりと温かくなる。
「あの、仁さん…昨日の夜は、本当に、ありがとうございました」
ようやく顔を上げて、真っ直ぐに仁さんの目を見て感謝を伝えた。
すると、さんは俺の頭を優しく撫でた。
「いいって。…またいつでも、頼ってくれていいしな」
その言葉に、俺の瞳からまたしても生理的な涙が溢れそうになる。
仁さんの変わらない優しさに、俺はどれだけ甘えてしまうのだろう。
この人にとって、俺は一体どういう存在なんだろうか。
そんな疑問が頭をよぎったが
今はただ、この温もりに身を委ねていたかった。
仁さんの腕から抜けた俺はゆっくりと深呼吸をした。