東京区台東雷門にある『蕎麦七』の個室で、神代と松下組会長、松下臨在は、米焼酎を飲みながら互いの腹の中を探っていた。日本酒よりもキレがいいとして、米焼酎獺祭を勧めてきたのは松下で、半ば半信半疑だった神代も、初めて口にする味わいに納得した。
瑠璃色の薩摩切子に揺れる透明な酒は、照明の光を受けながら輝いて、それはコバルトブルーやマンダリンオレンジに変化しながら揺れる、天空のオーロラにも似ていた。
藪蕎麦が名物のこの店は、松下組がひいきにしている老舗の蕎麦屋で、個室を使用する客は、組関係者か一部の区議会議員に限られていた。
今年で還暦を迎える松下は、医者から塩分を控えるようにと言われていた。
ところが、好物の藪蕎麦を目の前にすると、その有り難い忠告はお節介へと変わってしまった。
松下は、つゆを少しだけつけて蕎麦をすすり、その流し込む様な食いっぷりに、松下と同じく東京出身の神代は、
「相変わらず威勢がいいね、見ていて気持ちが良いってもんだな」
「蕎麦なんてもんはね、おまんまで喰らおうって訳じゃねえからよ、これがいいんだよ」
「言えてる!」
神代は松下よりも3つ歳上で、警察を辞めてからは大手の警備会社の役員として報酬を受け取っていた、
安穏気楽な余生を夢見てはいたが、人生の最後を特捜機動隊で終えるのも悪くはないと考えて、素直に部隊への参加を決めた。
日常生活の中で、金に対する興味も薄れ、女に欲情しなくなる自分を惨めだと感じ、その鬱憤はパチンコで晴らしていたが、人生の「終」への欲求は常に頭をよぎっていた。
神代は独り言のように、
「会長さんとは、また長い付き合いになりそうだ…」
「あんたにゃ散々協力したろ、今回のガサにしたってあえて貧乏クジひいてやった様なもんだろ。まだ何かあんのか?」
「いや、形式的なもんだからさ、あとあとの事考えたらマズいだろ、そう目くじらたてるなって…」
「マズいも何も、稲垣も行方不明なんだろ。それに刑務所だって空っぽなんだろ?手間省けたじゃねえか」
「…刑務官もな」
「だろう? 俺んとこだって若い衆消えちまってんだぜ、勘弁してくれよ、ほい。ごっそさん!」
蕎麦をペロリと平らげた松下は、神代を見ながらゆっくりとした口調で言った。
「お前…何を調べてんだ? もうマル暴じゃないんだろ?」
神代はいやらしく笑っで、
「一年くらい前にさ、ハマでシャブ上がったろ。あれ稲垣んとこかな?」
「おい、仮にも稲垣とは兄弟分だぞ」
「俺にとっちゃあ他人だ」
「板垣どおすんだよ?」
「どうもしないさ…けどさ、会長だってシマ荒されて困ってるんじゃないかって下衆の勘繰りだよ。ま、勘弁してくれ、それにもう時効じゃん」
「お前何が言いたい!?ハッキリ言ってみろよ」
威圧的な松下の言葉に、神代は微笑みながら酒を勧めながらも、内心では、
「これだ…これなんだ…俺が生を実感できるのは…」
と、高揚感に酔い痴れていた。
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