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――『……お前が女?』
当たり前のようにいつもあった優しい笑顔が途切れた一瞬。
穏やかな彼が隠しきれない嫌悪からだろう、俯き表情を隠しながらも歪に強張っていることがわかってしまう口元。
この人が笑顔を絶やすなど”あの日”以来、一度だってなかったのだ。
等しく傷つけたとでもいうのか?
――『失望させないでくれ』
あの捨て身で、黒歴史でしかない七年前の最後の告白。
……薄暗い思いに浸り込んでいたならば、隣でふっと小さな笑い声が聞こえ、決して楽しくはない過去の残像を優奈の頭の中から掻き消していった。
「黙らないでくれ、優奈。さすがの俺も堪えるぞ」
堪えると言うならば、振り返った過去に心臓をぐさりと抉られた気分の、優奈の方だと思うのだが。雅人はそんな心の内などつゆ知らず。
「責めてるわけじゃない。ただ、お前がどう思っていても悪いが関わらせてもらう」
「いえ、頼ってるのは……私だし」
「頼らせたのは俺だろう」
横目で表情を伺うと、満足そうにその唇は弧を描いているように見えた。
「ああ、あと。残業代やその他諸々、すぐに振り込まれると思うよ。優奈は俺からだと金は受け取ってくれそうにないから」
「……あ! 弁護士ってちょっと、費用が」
「それは気にしなくていい」
いや気にするだろう。
突っ込みたいのだが、さすがに優奈も疲れてきた。
何を言ってもどんなに嫌な返し方をしても、雅人は昔と変わらず穏やかで頼りになる兄の顔を崩しはしない。
「……ありがとうございます」
「また、すぐに連絡するから。困ったことがあったら優奈も必ず連絡してくれ、わかったな?」
この人も暇ではないだろうに。こんなことに時間を使っていて大丈夫なのだろうかと疑問が湧くが、それを聞くとまた会話が長引いてしまいそうで声にすることはやめておいた。
自分の不甲斐なさから生まれてしまった接点、少しでも深入りしないようにしなくては。
アパート前に着いて、雅人が優奈に手を振る。それに対してペコリと丁寧に頭を下げる優奈。
もしかすると、そんな行動に雅人はまた寂しそうな表情をしているかもしれない。見たくはないから、勢い良く後ろを向いて階段を駆け上った。
ドアを開ける前に、そろりと下を見てみたら、雅人はその場をまだ動かずに優奈をじっと見守っている。
優奈がこうして、こっそりと見ていることなんて、もちろんわかっていないだろう。
やや残念そうに視線を下げた雅人が、前方に注意を戻した。
去って行こうとする背中。