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この「旅」というキーワードを体現した人物に心当たりはありますか?
ええ、江戸時代ですよ。
ならば、ここに「俳諧」と付け加えればどうでしょう。
そうです。
「奥の細道」で有名な俳人、松尾芭蕉です。
戦乱や殺し合いとは無縁です。
これは芭蕉がよい俳句を詠むために東北を旅する模様を記した書物です。
その旅を我々はBL学の観点から読み解き、奥深さを堪能することができるのです。
キーワードは「旅の仲間」です。
芭蕉は陸奥・出羽・奥羽から能登までを巡るこの旅に、ひとりの仲間を連れて行きました。
もちろん、戦士でも僧侶でも魔法使いでもありません。
芭蕉の弟子のひとり。
名を曽良
そら
といいます。
この曽良、師匠の俳句の才を尊敬していたのは事実なようです。
しかし、少々度を超えていました。
良い俳句を詠めと、常に芭蕉に圧力をかけていたようです。
「野ざらし紀行」や「笈の小文」など芭蕉にはいくつもの紀行文がありますが、「奥の細道」が突出しているのは、旅の仲間が曽良だったからとも言われています。
この曽良ですが、芭蕉の尻をビシバシ叩いて俳句を詠ませたとか。
あっ、もちろん比喩ですよ。
実際に師匠の尻を叩く弟子など、そうはいませんからね。
ですが、ここでひとつの疑惑が生じます。
芭蕉が……つまりそういう嗜好の持ち主であればどうでしょう。
曽良に尻を叩かれなくては、よい俳句が詠めない性癖を自覚していたとしたら?
ふたりきりの旅。
目指すのは人口の少ない東北の地。
もちろん夜は宿に泊まるでしょう。
芭蕉には各地に弟子がいたので、彼らの家に宿泊することもありました。
しかし、野宿する日もあったことでしょう。
そんな夜は弟子にこころゆくまで尻を蹴ってもらいます。
プレイを楽しんだところで生まれ出る俳句。
素晴らしい副産物ではありませんか。
副産物と述べたとおり、BL学的見解では「奥の細道」は芭蕉にとって曽良と二人きりで旅をすることが目的と結論づけられます。
二人きりで旅をし、存分にプレイを楽しみ……結果、思いのほか良い俳句が生まれたので本にまとめたのです。
旅立ちは「弥生の末も七日」──つまり三月二十七日。
旧暦なので、今でいうところのGW頃ですね。
北へ向かうにはちょうどよい季節かもしれません。
実はこのとき、出立に反対した猛妻に、芭蕉は自宅を奪われたという少々深刻なエピソードが残っています。
曽良と二人で旅に出たい芭蕉と、それを阻止したい妻──お分かりですね。
この時点ですでに芭蕉と曽良には師弟という間柄以上の何かがあったと証明することができるでしょう。
──行春
ゆくはる
や 鳥啼魚
とりなきうお
の 目は泪
なみだ
これを矢立の初め──つまり出立の句として、彼らふたりの奥の細道の旅は始まりました。
芭蕉は愛する人と旅に出たのです。
二人が旅した一六九〇年の空は、今と違って大気汚染はありませんでした。
地上の灯かりで月や星の光が霞んでしまうということもありません。
美しい満天の星空の下で互いの名を呼び合ったことでしょう。
季節が冷え込むまでの六カ月の間。
ふたりは旅とプレイを堪能しました。
平和な時代ならではですね。
今回は「旅」「旅の仲間」とともに「師弟」「文芸(俳諧)」というキーワードが出てきました。
いずれもそそられる言葉ばかりです。
芭蕉と曽良の旅と二人の関係を深掘りする手掛かりになることでしょう。
今回で日本史BL検定対策講座は終わりです。
夏休み明けには、いよいよ試験があります。
重要なキーワードの復習、小論文の練習、そして何より熱意を大切に、どうかベストを尽くしてください。
全員合格するよう祈っています。