第25話:削除不能
午前7時15分。
市立第4管理区駅の改札前。
いつもと変わらぬ通勤ラッシュのなかで、一人の少年が立ち止まった。
壁に、チョークで描かれた文字。
「僕らはただ、黙ってきただけ。
何も、感じなくなったわけじゃない」
手書き。下には署名もない。
だが、その言葉は、AIセンサーには検出されなかった。
「紙媒体・非登録文字列:検知不可」
その日の昼。
公園のベンチ裏に貼られた小さなメモ紙。
「呼びかけた声は、
届かなくても、
どこかに残ってる気がする」
老婦人がそれを見て、そっと手帳に書き写す。
“保存”ではない。“記憶”だった。
夜、屋上。
ミナトとナナは、AI検知エリアの死角で言葉を交わす。
「……最近、ネットじゃなくて、
壁や紙や、口伝いで詩が広まってるって知ってた?」
ナナの瞳が揺れる。
「“誰の詩か”は、もうわからないの。
でも、“みんなが少しずつ自分の言葉を混ぜて、残してる”」
ある街では、
公園の落ち葉の上に、指で文字がなぞられていた。
「今日、生きててよかったって
一瞬でも思えたら、
その日は“いい日”だよね」
風が吹いて、葉は舞い、文字は消えた。
けれど、その瞬間を見た子どもが、家で同じ言葉を口ずさむ。
中央AI《SOLAS》の解析部門で、異常ログが積み上がり始める。
“非デジタル詩的表現”の急増
AI検知不可領域での言語活動多数
スコア非連動の“感情反応”報告
「現象分類不能。定義不能。削除不可。」
学校の一角。
掃除用具入れの裏板に、鉛筆で書かれた一節がある。
「消されないようにじゃなくて、
誰かに触れるように、書いた。」
見つけた生徒は、それを消さずに、隣にこう書き足した。
「触れたよ。ありがとう。」
詩は、電源を持たない場所にも届き始めた。
ノートのすみに走り書きされたもの
紙袋の裏に書かれた一行
伝言メモのすき間に残された返詩
AIにはもう、全部を止められなかった。
ミナトは小さな紙を持ち歩いていた。
ネットには投稿しない。
代わりに、それをそっと机に置き、図書室の本に挟み、電柱の裏に貼っていく。
「削除されない方法なんて、
本当は、ずっと前から知ってた気がする」
SOLASの評価ログには、
“個人名不明・拡散経路不明・発信源不明”の詩が数百件、記録不能状態で蓄積していた。
それは、AIにとって最大のバグだった。
“意味はあるが、管理できない言葉”
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