ついに迎えた晴れの日に、俺も涼太もだいぶ緊張していた。
朝からソワソワと落ち着かなくて、珍しく涼太は動き回るたびに、そこかしこに体をぶつけては「いてっ」と呟いていた。
涼太も緊張することがあるんだなと、内心意外な気持ちだったが、そんな姿すら俺には可愛く見えた。
今日という日が、俺を浮き足立たせるのか。
はたまた、そんなことは関係無くて、ただただ涼太を愛おしいと思うからなのか。
どちらにせよ、俺は朝から柄にもなく舞い上がっていた。
昨日、涼太と何度も今日のスケジュールについて話し合った。
今日の二次会のために涼太は店を閉めて、その準備をしながら俺と話を進めてくれた。
「明日は、七時に式場に集合でしょ?何時に起きる?」
「そうだなぁ、、歩いていく?」
「まぁ、乾杯もするだろうし、車は無い方が楽だとは思う。明日使うものはもう全部ラウールに預けてるし、ほとんど手ぶらで行けるくらいだから、歩いて行こうか。」
「なら、余裕を持って、六時半には家を出たいね。そうなると、五時半かな?」
「………マジ…?」
「翔太はもっとゆっくりでもいいと思うけどね、俺は明日のご飯の最終準備しておきたいし、朝シャワー浴びたいから一時間前に起きようかなって思ってるよ」
「あ、俺も朝風呂入りたい。」
「じゃあ、頑張って起きよっか」
「おう…」
俺と話しながら、涼太はテキパキとローストビーフの仕込みをしていた。
時折手を止めて、俺の方を見ながら会話を続けてくれる。
涼太は、話すたびに首を傾げてまた俺に言葉を返してくれるのだが、その仕草にたまらなく好きだと感じた。
「七時に式場着いたら、そこからはラウールとか、他のスタッフさんとかの指示に従うって感じでいいのかな?」
「ラウールからは、それでいいよって聞いてるけど、なんだか申し訳ないね。なんでもかんでもやってもらってばっかりになってて…」
「んまぁ、そうは思うけど、俺らができることも少ないしな。その分、二次会楽しんでもらおうぜ?」
「ふふ、そうだね。準備頑張らないと。あ、そうそう。披露宴にご飯は持ち込めないけど、スタッフさんにお礼として何かお菓子持っていきたいね」
「あ、そうだな」
「もう少しで準備終わるから、そしたら何か買いに行こうか」
「おう。車出すよ。キリいいとこで声掛けて」
「ありがとう」
明日の流れについて涼太と大体の流れを話し合えたところで、俺たちは夕方から買い物に出かけた。当たり障りないものかもしれないが、贈答用のお菓子を二箱見繕って、サービスカウンターで包んでもらった。
ラウールや康二だけじゃない。
他にも俺たちの結婚式のために働いてくれている人がいる。
それは、自分が働いている時にもよく感じる。
プロデューサーさんやディレクターさんだけじゃなくて、カメラマンさんやアシスタントさん、メイクさんなど、番組制作やライブを運営してくれているスタッフさん全員がいて初めて、俺たちはお客さんの前に立てている。
前日だからこそ、そんな当たり前になってしまっている有り難さを改めて感じて、しみじみと思いを馳せらせることがある。
涼太とこうして一緒に過ごせるようになってから、俺たちはメディアへの露出も増えた。その度に、お世話になる人がたくさん増えた。
涼太は芸能とは縁遠い世界で生きているから、あまり俺の仕事とは関わらせたくなくてメンバーしか招待しなかったけれど、今度、何かの形でちゃんとお礼を伝えたいな、なんて結構真面目にそんなことを思った。
そして迎えた当日の朝六時半。
戸締りと火の元の確認をして、涼太と一緒に外に出る。
店のドアに鍵を掛けて、二人で手を繋いで歩き出した。
五月の後半から梅雨入りをして、つい三日前までぐずついてばかりだった空は、今日は雲一つなく晴れ渡っていた。
俺の希望で今日という日を選んだが、唯一心配だったのが天気だった。
晴れてくれたらいいな、と俺はこの一週間ずっとアプリで今日の天気ばかりを確認していた。
俺の願い通りに晴れてくれた空にさえ、今日は感謝を伝えたい気分だった。
昨日の雨が残った空気はまだ少し湿っていて、澄んだ空気が鼻腔を通っては眠たい頭を覚ましてくれるような気がした。
式場に辿り着くと、大きな玄関の前から黒服を着たスタッフの方がこちらに駆け寄ってきてくれた。
「おはようございます!」
元気に挨拶を返してくれるその感じが、朝の清々しい気分をさらに晴れやかにしてくれた。
「今日ここでお世話になります。渡辺です。」
とそのスタッフの方に伝えると、その人は一層表情を明るくさせて、
「お待ちしておりました!本日は誠におめでとうございます!」
と言ってくれた。
案内された控室のような場所に足を踏み入れると、まず初めに、ラウールがデザインしてくれたあの衣裳が壁にかかっているのが目に入った。
仕事でもこのくらい、いや、これ以上にキラキラでテカテカなものを着ることも多いので、俺は変に慣れてしまっているが、涼太はやはり慣れていないようだった。
「何回見ても綺麗だね、俺これ似合ってたのかな…?」
この間のサイズチェックの時に一度それを着た時から、そんなことをずっと考えていたのだろうか。
不安げにそう呟く涼太に、俺は「何言ってんだよ、すげぇ似合ってたぞ」と伝えた。
「そうかな?」なんて、まだ困ったように眉を下げるから、俺は最後の一押しをするように、涼太の耳に唇を当てて囁いた。
「似合いすぎてて、ほんとは今日誰にも見せたくないくらい」
涼太は、紅色に染めた右頬を膨らませながら「もう…っ!」とむくれていた。
しばらくその中でまったり過ごしていると、ラウールと少し遅れて康二とが部屋に入ってきた。
朝の挨拶をしてから、今日の流れをもう一度ラウールから聞いて、おさらいした。
「二人の小さい頃の写真を集めた動画をスクリーンで上映してから、チャペルに入場していきます」
「「うん」」
「まずはしょっぴーから入って、親御様からジャケット着せてもらって、一人で牧師さんの前まで歩いていきます。この時、親御様がしょっぴーの背中を押してくれるから、その後に歩き出してね。勝手に一人でスタスタ歩いて行かないでね?」
「お、おう。わかった。…やっぱはずいなそれ、無いとだめ?」
「何言ってるの!親御様からしたら、これが最後のお見送りなんだからね!ちゃんと押させて差し上げて!」
「わぁーったよ!」
「ったくもう、相変わらず照れ屋さんなんだから…。それで、しょっぴーが入場した後、すぐ扉閉めるから、閉まったら今度はオーナーが扉の前で待っててね。司会の方の「新婦様、ご入場です!」の合図でまた扉が開くから、そこでオーナーも入場します!」
「うん、わかった」
「オーナーもしょっぴーとおんなじように、親御様からジャケット着せてもらってから歩き出すけど、バージンロードをお父さんとお母さんとどっちも歩きたいってことだったから、三人で横並びになって、腕組んで歩いてね」
「うん」
「親御様が背中を押したら、しょっぴーが手伸ばしてる手を取って階段上がります」
「わかった」
ラウールは、俺たちに挙式の流れと、一つ一つの手順を説明すると、部屋から出ていった。
ハンガーに掛けられた衣裳に袖を通した後は、美容師さんがメイクをしてくれた。
いつもの癖が抜けなくて、思わず「すいません、美白に仕上げてください」と伝えてしまったが、美容師さんは少し笑いながら、「もちろんですよ」と言ってくれた。
俺の着替えとメイクが終わると、今度は涼太が支度をする番になった。
カーテンを一枚隔てた状態で、着替えが終わったのか、先程まで鳴っていた衣擦れの音が静かになった。
しかし、カーテンが開かない。
「涼太?どうした?」
布を挟んだままそう声を掛けると、「こんな素敵な衣裳が浮いちゃわないように、翔太には完璧な状態で見せたいから待ってて?」と涼太の声が返ってきた。
ほんと…マジ、可愛いかよ……。
どんな姿だって、俺にはいつだって完璧に見えるのに。
そんな風に言ってくれる涼太のいじらしさがたまらなく愛おしくて、俺は笑いながら自分の額をペシっと叩いた。
そんな時、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
入ってきたのはラウールだったが、少し暗い顔をしていた。
「どうした?」
と尋ねると、ラウールは「実はね、チャペルに差し込んでた太陽の光が当たっちゃってたのが原因かなと思うんだけど、用意してたお花が半分くらいダメになっちゃったの…ごめんないさい……」と言った。
俺は、「ん、しょうがないよ。」と返して先を続けた。
「俺もライブ中にトラブることよくあるし、あんま気にすんな。でも、埋め尽くしはちょっと厳しくなった?」
「それはできるだけしたくないから、こんなのどうかな?っていう提案があって…」
「おう」
ラウールは、涼太に聞こえないように、俺に耳打ちした。
打ち合わせの時に、花とケーキはサプライズにしたいと俺が言ったことを覚えていてくれたことが嬉しかった。
ラウールは、内緒話をするように声を落として言った。
「落ちてしまったお花は、フラワーシャワー用に残して、今残ってる場所から三本ずつ補填してみたの。これなんだけど…」
ラウールはそう言って、スマホを操作して俺に写真を見せてくれた。
俺は隙間無くベンチの側面に巻き付けられた薔薇の花を見て驚いた。
ラウールの様子から相当の本数がダメになってしまったのだろうと、勝手に想像していたが、全くそんなことはなかった。
元々の本数が結構あったのだろう、三本ずつ抜いていても全く気にならなかったし、花が落ちてしまった場所の椅子にも、枯れずに落ちている場所と同じくらいの花がしっかりとついていた。
「すげぇ!いいじゃん!てか半分くらいダメんなったとか全然わかんねぇ」
「ほんと!?よかったぁ…。では、こちらで進めさせていただきます!」
俺の反応を見て、ラウールは心底安心したような顔になって、また部屋から出ていった。
休む暇もなく動き回ってくれていることに、申し訳ないと思いつつも、そこまで俺たちのために頑張ってくれているラウールの気持ちがすごく嬉しくて、ありがたかった。
部屋を二つに分けるように、大きなカーテンを端から端まで引いて、まずは着替えを始めた。
真っ白いワイシャツと赤いベストに腕を通して、同じく真っ白いスラックスを履いた。
腰につけられたチュール素材の透き通ったフリルが、ふわふわと揺れた。
「着替えが終わったら声掛けてくれ」と康二に言われていたので、その通りに伝えると、カーテンの隙間から康二と美容師さんがひょこっと顔を出した。
ドレッサーの前に座るよう促されるまま、椅子に腰掛けると、その上に一枚の封筒があることに気が付いた。
そこには「オーナーとしょっぴーへ」と綺麗な文字で俺たちの名前が書かれていた。
メイクが終わったら翔太と読もうと思って、まだ開封はせずにおいて、俺は目を閉じて美容師さんに先を委ねた。
鏡越しに、康二が俺の写真を撮っていく。
「もっと綺麗になってから撮ってよ」と笑うと、康二は「今のままでも十分綺麗や」と言ってくれた。高級感のある厚い布越しに、「おい、涼太を褒めていいのは俺だけだっていつも言ってるだろ」といじける翔太の声が聞こえてきた。
その声が子供っぽくて、俺も康二も、美容師さんも思わず笑ってしまった。
「はい、お疲れ様でした!」
その美容師さんの声で、翔太がソファーからバッと立ち上がる音が聞こえてきた。
「涼太、早く開けて、見たい」
そう言って、カーテンを早く開けろと訴えてくる。
「はいはい、開けるよ?」と返事をしながら、俺はカーテンの端を掴んで左にスライドさせた。
支度を整えてお互いに向かい合うと、翔太の目がどんどん潤んでいった。
「マジ綺麗…、ほんとに……っ、」
「もう泣いてるの?早いよ?ふふっ」
「こんなん、泣くなっつー方が無理だろ…っ」
「もう、大袈裟だなぁ」
「世界一、綺麗だよ」
鼻を啜りながら、翔太は少しの間を置いてそう言ってくれた。
その言葉がとても嬉しくて、俺はたまらず翔太を抱き締めていた。
「ありがとう。翔太も世界一かっこいいよ」
照れ隠しなのか、翔太は「当たり前だろ?」と言った。
「ねぇ、翔太。手紙置いてあったよ。読もう?」
「え、誰から?」
「この字は、ラウールだね。うちで伝票つけてくれてた時の字と一緒」
「まじか。あいほんとマメだな。なんて書いてある?」
スタッフの方に呼ばれるまでにはまだ少し時間ありそうだったので、俺たちはソファーに座って、ラウールが書いてくれた手紙を読むことにした。
オーナーとしょっぴーへ
今日は本当におめでとう!
少しだけ自分の話をするけど、僕、今日を迎えられることが本当に幸せだよ。
僕、どうしてもウェディングプランナーになりたかったの。
それには理由があるんだけど、二人はその理由がなんなのか知ってると思うし、ちょっと長いからここでは話さないでおくね。
僕のその夢を叶えるために始めたバイトでオーナーに出会ったことも、僕のバイト初日に、夜帰ってきたしょっぴーがすごい怒った顔で「俺の涼太に手出してないよな?」ってガン飛ばしてきたことも、全部僕の大切な思い出だよ。
オーナー、僕に働くことの難しさと楽しさを教えてくれてありがとう。
お母さんみたいに優しくて、たまに厳しいオーナーに教えてもらえて、本当に良かった。
しょっぴー、誰かを好きになること、誰かを大切にしたいと思えることって、とっても尊いことなんだね。いつも帰ってくると、まず一番にオーナーを抱き締めて、たまに贈り物を持って帰ってくるしょっぴーが本当に格好いいなって、ずっと思ってたよ。
僕、しょっぴーを見ながら、勝手に学ばせてもらってたよ。
二人に出会えたから、今の僕があるんだ。
本当にありがとう。
今日は、少しでも多く成長できてるかもしれない僕を見てもらえたら嬉しいな。
まだまだ大きくなるんだって気持ちが強いから、成長できてるかどうかは自分ではあんまりわからないんだ…笑
不安なこともあるかもしれないけど、全部僕に任せてね。
僕、二人を絶対幸せにするから。
オーナーとしょっぴーは、僕のヒーローだよ。
僕と出会ってくれてありがとう。
あと少しで、お式が始まるよ!全力で楽しもうね!
ラウールより
「すっかり大人になっちゃったね」
「おう、十分成長してるよ、あいつ」
「俺たちは特に何にもしてないんだけどね。ラウール自身の頑張りたいって気持ちが、きっとラウールを成長させてくれてるんだろうな。あの子に会えて良かったね」
「うん、まぁ、あいつに出会えたのも、あいつがここまで育ったのも、全部こいつのおかげだろうな」
「ふふ、そうだね」
「…お?」
手紙を読み終わってから、翔太と感想を言い合った。
俺たちを今日までずっと引っ張ってきてくれた息子からの手紙に、心がぽかぽかと温かくなった。
カシャっと小さく音が鳴る方に翔太が目を向けるので、俺もそれに釣られてカメラを構えている康二を見た。
康二は、どうして今、俺たちから視線を向けられているのか分からないと言った風に、きょとんと目を丸くしながら首を斜めに傾けていた。
スタッフさんが迎えにきてくれて、俺たちはチャペルに向かった。
この扉の先に、これまでお世話になった大切な人たちがいると思うと、それだけでとても緊張した。
翔太の顔も少し硬くなっていた。
そんな俺たちを見かねて、そばにいたラウールが声を掛けてくれた。
「ついに、挙式だね。あと少しだよ!」
「やば…めっちゃ緊張するわ」
「そうだね、、こんなにドキドキするの久しぶり…」
「最後はいつだったの?」
ラウールの質問に、俺は少し思案してから答えた。
「んー、翔太にファーストキス奪われた時かな」
「えー!なにそれ!少女漫画じゃん!」
「おまっ…!バラすなよ…。俺的には結構後悔してたんだぞ…しかもそこからはほとんどしてねぇのかよ…」
「翔太といると、ドキドキするより安心するからね」
「そうかよ…っ…」
ラウールは、口元を両手で押さえながら小さい声ではしゃいでいて、翔太は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「相変わらず熟年夫婦だね。さて、お二人の緊張も解れたところで、まもなく扉が開きます。」
気を取り直したかのように真面目な声に戻って告げるラウールからのアナウンスに、また緊張感が戻ってくる。
この扉を潜る前に、どうしても伝えたかった。
「ラウール?」
「ん?なぁに?」
「本当にありがとう」
「ありがとな」
俺の言葉に続いて、翔太もラウールにお礼を言った。
少し涙ぐんだラウールは、上を向いてから息を整えて、俺たちを見据えて口を開いた。
「ずっとそばにいるよ。大丈夫、安心して楽しんできてね。 最後の最後まで幸せな時間を届けるって約束するよ」
本当に頼もしいなぁ。ラウールに担当してもらえて、本当に良かった。
心の中で、もう一度ラウールに「ありがとう」と伝えると、扉が開くまでのカウントダウンが聞こえてきた。
その声が0を唱えたところで、扉が開いた。
翔太は先に、その中へ入っていった。
翔太がチャペルに入ってからすぐに扉が閉まって、今度は俺が扉の前に立った。
またすぐに10秒前からのカウントダウンが聞こえてきて、扉が大きく開かれた。
その先に広がる光景に、俺は思わず目を見開き、息を呑んだ。
椅子、壁、祭壇、石像の土台、その全てに薔薇の花が咲いていた。
どこを見ても鮮やかな赤が広がっていて、俺はその色に翔太の想いの深さを感じずにはいられなかった。
「うん、これならぴったり」と言っていた翔太の言葉の意味が今やっとわかった。
大理石の床と壁の白、彫刻やベンチを縁取るようにあつらえられた金に、その赤はとてもよく映えていた。
きっと、この場所を薔薇でいっぱいにしたかったんだろうな、と想像すると、翔太のその気持ちが嬉しくて、これだけで泣いてしまいそうだった。
翔太が薔薇を贈ってくれるのは、いつだって俺に愛を伝えてくれるときだから。
熱くなる目頭をどうにかやり込めて、父さんにジャケットを着せてもらった。
母さんに薔薇の花を一輪胸の辺りにつけてもらって、三人で腕を組んでゆっくりと歩いて行った。
一歩一歩踏みしめて、翔太のところへ向かう。
歩くたびに、これまでの人生が蘇る。
家族で過ごした思い出、自分のお店を持ちたいと両親に伝えた時のこと、二人はいつだって俺を応援して見守っていてくれたこと。
父さんと母さんと過ごしてきたこれまでの思い出が、一瞬にして頭の中に浮かんでくる。
二人の息子になれて良かった。
二人に育ててもらえて良かった。
じんわりとした気持ちに包まれながら、気付けばもうすぐ目の前に翔太の姿があった。
翔太は愛おしそうに俺を見つめながら、手を差し伸べてくれていた。
「涼太、行ってらっしゃい」
父さんはそう言いながら俺の背中を押してくれた。
「涼太、翔ちゃんとなら、きっといつまでも大丈夫よ。」
母さんは、そう言って俺の肩を叩いてくれた。
「うん、ありがとう」
そう伝えて、俺は翔太の手を取った。
涼太と二人で、牧師さんの前に立った。
「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も…」
カタコトの日本語で言葉を紡ぐ牧師さんの声を聞きながら、横目で涼太を盗み見る。
真っ直ぐに前を見据える涼太の目は、キラキラと輝いていた。
「誓いますか?」
と牧師さんに尋ねられた俺は、一つの迷いもなく「誓います」と答えた。
俺の声に重なって、涼太も俺と全く同じタイミングでそう答えた。
どんな時だってシンクロする俺たちなら、この先何があったって絶対に大丈夫。
そんな風に思った。
被った俺たちの声に、後ろから見守っていてくれていた奴らは、どっと沸き立った。
結婚式の定番、ブーケトスをする時間になって、俺は階段の真ん中に立った。
司会の方のアナウンスで、佐久間さんと深澤さんが、我こそはと前の方に出てきてくれる。ムードメーカーの二人らしい反応に、俺は自然と声を出して笑っていた。
「では、新婦様、お願いいたします!」
司会の方が出してくれた合図で、俺は後ろを向いてブーケを下から投げるように体を前に傾けて振りかぶった。
そこでピタッと動きを止める。
しんと静まった空間で、全員が固唾を飲んで花束が飛んでいく先を見守っている空気が背中から伝わってくる。
そんな緊張した状態の中で、俺は曲げていた背中を元に戻した。
誰かがぐしゃぁっと前に転ぶような音が聞こえてきて、俺はみんなの方に向き直った。
少なくとも康二くらいは拾ってくれるかな?と期待した小ボケがうまく行ったようで、俺は安心した。
俺はずっと狙いを定めていた人物と目を合わせて、ゆっくりと階段を降りていった。
こんな時でも控えめな子なんだね。
でも、そんな子だから、いつまでもずっと幸せでいてって思うんだよ。
みんなにブーケを譲るように、一番下で、一番端っこで立っているその子目がけて、俺は歩いていく。手に持っていたブーケを手渡して、俺はその子、阿部に伝えた。
「次は、阿部にバトンを渡したくて、ちょっとしたサプライズです」
阿部は、突然のことに、ポカンと口を開けていた。
「お、おれ……?」
「うん、受け取ってくれる?」
「いいんですか?」
俺でいいのかな?というような目で、阿部は自信なさげに俺を見つめていた。
その阿部の後ろで、翔太が目黒さんに声を掛ける。
目黒さんは、ポケットから小さな箱を取り出して、その場でひざまづいた。
俺は、目黒さんの準備が整ったのを見計らって、未だオロオロと戸惑っている阿部に「ほら、ずっと待ってくれてるよ?」と声を掛けた。
目黒さんが、阿部の名前を呼ぶ。
阿部はその声に振り返ったかと思うと、次の瞬間にはピタッと固まってしまっていた。
驚いたかな?
実は、ずっと考えてたの。
阿部に、直接ブーケを手渡したいって。
目黒さんと阿部の引越しを手伝った日から、密かに計画していた。
二人で幸せそうに並んで歩く後ろ姿を見送った時に、俺の心は決まった。
この二人なら、この先何があってもきっと大丈夫。
今日という日まで、俺はたくさんの幸せを阿部にもらってきた。
だから、今度は俺から阿部に幸せのバトンを渡したかった。
翔太にやりたいことの内容を伝えて、翔太から目黒さんに頼み事を伝えてもらった。
「阿部に、サプライズでブーケを渡させて欲しい」と。
これは、泊まりがけの仕事から帰ってきた翔太から後々聞いた話だが、目黒さんは俺の頼み事を翔太から聞いたあと、俺以上にやる気の炎を燃え上らせてくれていたそうだ。
「俺、その日までに婚約指輪買ってきます!」と、ホテルのベットの上で埃が舞うほどに飛び跳ねていたと、翔太は苦い顔をしながら教えてくれた。目黒さんは、そのタイミングで阿部にプロポーズをすることを決めたらしい。
今の阿部の様子を見るに、目黒さんは今日まで知られずに指輪を用意することに成功したようだ。きっと寝ている間に阿部の指のサイズを測っていたんだろうな、なんて思うと、そんな目黒さんが可愛らしくて微笑ましかった。
自分から誰かにサプライズをしたのは、ほぼ初めてだったけれど、成功して良かった。
今日の朝から、ずっと心配していたことが一つ無事に終わって、俺はほっと安堵のため息をついた。
気付けば隣に来てくれていた翔太に「ありがとう」と伝えると、翔太は「おう、うまく行って良かったな」と言ってくれた。
阿部が、目の前に跪いた目黒さんを抱き締めて、そのプロポーズを「うん」と受け取ったところで、周りにいた全員が祝福の言葉を口々に叫んだ。
拍手の音と「おめでとう」の言葉に、俺の体中を嬉しい気持ちが駆け巡っていった。
プロポーズがうまく行ったことに大興奮している様子の目黒さんは、阿部をお姫様のように抱き上げて、「っしゃああああああ!!」と叫んでいて、阿部は恥ずかしそうに目黒さんの首に顔を埋めていた。
湧き起こった幸せの空気を湛えたまま、俺たちは一度控え室に戻って軽くメイクを直してもらった。
今からは、披露宴が始まる。
二階から入場するために、ドアの前で待機する。
翔太は一階の別の場所から登場するらしく、俺たちはひとまず別れた。
翔太が入場した すぐ後に、スタッフの方が「間もなく扉開きます。5、4…」と教えてくれて、俺は背筋を伸ばした。
「3、2、1…オープンします!」
その掛け声と共に、俺の目の前の扉が開く。
暗い部屋の中で、一条の光が、階段を照らしていた。
その真ん中で、翔太が俺を待っていてくれていた。
階段の手すりで隙間無く燃えている薔薇の花にまた驚きながら、俺は翔太の元へ向かった。
披露宴中にも色々なことがあった。
翔太のお父さんの乾杯の挨拶に笑ったり真面目な気持ちになったり、父さんからの手紙に泣いたりと、俺の感情は始終忙しく動いていた。そして俺は何よりも、その後に運ばれてきたケーキに驚いた。
四角くて真っ白なケーキの上に、飴でできたツヤツヤの薔薇の花がいくつも乗っていた。
その上には金箔が散りばめられていて、とても綺麗で、それはまるで美術品のようだった。
俺は、是非ともこれを作った方に弟子入りさせて欲しいと思うくらい、そのケーキに感動した。
司会者さんは、切ってしまう前にとケーキの紹介をしてくれた。
「皆様、本日は何の日かご存知でいらっしゃいますでしょうか?本日は6月2日、ローズの日でございます。教会の装飾やこちらの披露宴会場いっぱいに埋め尽くされたお花、そして無数の輝きを放つ目の前のケーキ。これら全て、「薔薇尽くしにしたい」と新郎様がお考えになり、新婦様へは全て秘密で、今日まで準備を進めてこられました。」
「翔太!いいぞー!」
「かっこいいぞー!」
「イケメンだぞー!」
「うるせぇ!茶化すな!!」
翔太は、岩本さん、佐久間さん、深澤さんに向かって、プンプンと煙を出して怒りながらも、すぐに恥ずかしそうに頭を掻いていた。
自分でやりたいって言っても、そうやって揶揄われるとつい照れ隠しで怒ってしまう、翔太のそんなところが可愛い。
日取りも、装飾も、ケーキも、全て俺のために用意されているものなんだと思うと、ここまでしてくれる翔太に、言い表せないくらいの感謝と愛おしさが込み上げた。
二人で大きなナイフを持って、ケーキの真ん中に切れ込みを入れた。
こんなに愛してくれて、大切に思ってくれて、俺に出会ってくれて、本当にありがとう。
そんな風に思いながら、俺は翔太の頬に口付けた。
いつも俺からはあまりしないからか、翔太はびっくりしたように目を丸くして俺を見つめていた。
「あ“ぁ“あ”ぁぁあ“ッ!!」と叫ぶ阿部の声が、拍手と歓声の隙間から聞こえてきたような気がした。
食事も歓談もひとしきり落ち着いて、お開きの時間が近付いてきた。
最後にみんなで写真を撮りたくて、みんなに俺たちの席まで集まってもらった。
母さんがずっと撮影であちこちを歩き回っていた康二に気付いて、一緒に写ろうと言ってくれた。高校生の時、康二を何度か家に招いたことを母さんは覚えていたようだ。
ラウールにも親しげに声を掛けてくれて、みんなで写真を撮った。
10秒からカウントが始まって、みんなで数を唱えていく。
俺はきっと、今日という日を一生忘れない。
「3、2、1」とみんなで声を出し合ったこの瞬間は、俺の宝物。
楽しかった時間はあっという間に過ぎ去って、俺たちは自分の家に帰ってきた。
今日の朝、この家を出たのがもう随分と前のことのように感じるくらいに、濃い時間を過ごさせてもらった。
翔太と、食べ物と飲み物の用意をして、みんなの到着を待った。
最後に集合したラウールと康二を待ってから、本日2回目の乾杯をして二次会が始まった。
今日の結婚式を振り返るようにしみじみと語っては目に涙を浮かべるほろ酔いの阿部と、その話をうんうんと聞いている酩酊状態の佐久間さん。
深澤さんの手を握ってずっとニコニコしている岩本さん、片手でソフトドリンクを飲みながら目黒さんに「お前らの結婚式はいつよ?」と話しかける深澤さん。
「明日とかどうすか?」とボケているのか本気なのか分からない声のトーンで答える目黒さんと、その目黒さんに「バカか。俺ら明日から居ねぇっ つったろ」と言葉を挟む翔太。
「僕、今日はいい仕事ができたなって思えました」と言いながら唐揚げを頬張るラウールと、「せやね、ええ式やったな」とラウールを褒めながらその肩に腕を回す、これまたほろ酔い状態の康二。
大切な人たちと、こうやってご飯を食べられることが何よりも嬉しい。自分なりではあるけれど、おもてなしと恩返しができて、本当に幸せだった。
翔太と巡り会って、恋をして、愛を育てて。
阿部がこのお店のドアを初めて開けてくれて、初めてのお客さんになってくれて。
その阿部が、こんなに素敵な人たちと俺とを繋ぎ合わせてくれた。
ラウールと康二が、今日、一生忘れられないくらいの幸せを作り出してくれた。
こんな幸せが目の前に訪れるなんて、想像もしていなかった。
自分の身の回りにあるもの、全てに感謝したい。
「そういえば、ハネムーンどこいくの?」
「んぁ?教えねぇ」
「えー、教えてくれたっていいじゃないっすか。亮平と行く時のために情報集めとかないとですし」
「だから、阿部ちゃんと相談して決めろって。何でもかんでも俺に聞くな」
翔太と目黒さんの会話にふっと笑みが溢れる。
完全に出来上がった佐久間さんは、急に立ち上がって、
「俺も嫁と結婚式するー!!」
と叫んでいた。
今日を生きられたこと。
今日を大切な人たちと過ごせたこと。
その隣には、いつだって翔太がいてくれたこと。
その全てに、本当にありがとう。
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