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数日後――
王宮の庭園に、再び春の陽光が差していた。
けれど、空気はどこか違っていた。
まるでその光の下に、“見えない影”が忍び込んでいるかのように。
***
「……これ、どういうことですの?」
オリビアの前に差し出された一枚の紙。
そこには、数行の文字が書かれていた。
《オリビア様が、王子様との婚約を“打算的に進めていた”という証言を得ました》
《証人:セリーヌ・ミルディナ》
オリビアは言葉を失った。
「……打算? 私が……?」
「そんなの、事実じゃないのは分かっています。ですが――王妃様のお耳にも入ってしまいまして……」
侍女ミーナの声が沈む。
「どうやら、王妃様は“セリーヌ様との縁談”を、いまだに捨てきれていないようで……」
「…………」
言葉が、胸の奥でぐらりと揺れた。
(……私、また“選ばれない立場”に戻るの……?)
せっかく手を取り合えたはずなのに。
ようやく、お互いの気持ちを言葉にできたはずなのに――
まだ足元から崩れていくのか。
「王子様は……何か、仰っていましたか?」
「……“黙っていてくれ”と」
「…………そう……」
(それは、“私に知られたくない”という意味?
それとも、“黙っていたほうが都合がいい”という……?)
疑念が、また心の隙間に忍び込んできた。
***
そのころ、王子は執務室で苛立っていた。
「……セリーヌの差し回しか」
「その可能性が高いですね。“匿名”の証言と称して、王妃陛下に文書を送ったようです」
「なぜ母上は、まだあの女を庇う……」
「“外交”です。“敵にせず抱き込む”ほうが都合がいい。それだけです」
「ふざけている……!」
王子は拳を握りしめ、唇を噛んだ。
(……オリビアに、こんなことが知られたら――)
彼女は繊細だ。
かつて「嫌われている」と思い込み、婚約破棄を準備していたあの頃。
今でもきっと、心の底に不安の根が残っている。
「……エドワルド」
「はい」
「俺は、オリビアを絶対に手放す気はない。たとえこの国の誰が反対しても」
「では、行動を」
「……ああ」
王子の目に、静かな決意が宿る。
***
しかし、その決意が届くより先に――
セリーヌは、動いていた。
「オリビア様、ご機嫌麗しゅう」
「……セリーヌ様」
庭園のベンチで読書していたオリビアの元に、セリーヌは笑顔で現れた。
その笑顔は、絹のように柔らかく、そして剃刀のように冷たい。
「わたくし、あなたに謝らなければいけませんの」
「……何を、ですか?」
「先日、王妃様に“あなたとの婚約が不自然だ”とお話したの、私ですの」
「…………」
やっぱり、という予感はあった。
でも、面と向かって言われたその瞬間――背筋に冷たいものが走った。
「でも、ご安心を。私は、もう王子様の隣に戻ろうとは思っておりませんわ」
「……なら、なぜこんなことを?」
「ただ、ほんの少しだけ……この国の“恋愛ごっこ”がどこまで通用するのか、知りたかっただけ」
セリーヌの瞳は、どこまでも冷静で、他人事だった。
「オリビア様。――あなたは、王子様の“本気”に、応えられますの?」
「……っ」
「この先、“王妃”になる道を歩む覚悟はございますの?
“愛されているから”という理由だけで、耐えられると思って?」
ぐさり、と刺さるような問い。
オリビアの胸が、揺れた。
(……本気に応えるって、どうすればいいの?
私が今、何をすれば――王子様の隣に、胸を張って立てるの……?)
黙り込むオリビアを見て、セリーヌは静かに立ち上がる。
「では、ごきげんよう。“噂だけの関係”に、戻られませんように」
その言葉は、棘のある花のように、ふわりと香って消えた。
***
その夜、オリビアは書斎の片隅に手紙を書いた。
筆先は震え、何度も文字がにじんだ。
けれど、最後の一行だけは、きれいに書けた。
「私は、あなたの隣に立つ資格があるのか、もう一度考えたいのです」
その封筒が、王子のもとに届く前――
彼は、決意を胸にオリビアの部屋を訪れていた。
ドアをノックしても、応答はなかった。
中は――空だった。
彼女の姿も、声も、ぬくもりも、すべて――なかった。
「………………」
風が、静かにカーテンを揺らしていた。