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第六話 桜ノ間
朝。
昨夜の嵐が嘘みたいに、空は晴れていた。
だが朔也の心は、重いままだった。
机の上には、あの紙。
『“桜ノ間”を調べて』
銀鈴の字。
何度見返しても、見間違いじゃない。
筆の癖。
文字の流れ。
間違えるはずがなかった。
「……どういうことだ」
死んだ人間が、文字を残すはずがない。
誰かの偽装か。
それとも——。
朔也は考えるのをやめた。
今は真実だけを追えばいい。
銀鈴が残した言葉なら、必ず意味がある。
「桜ノ間……」
低く呟く。
聞いたことのない名前だった。
だが、吉原の人間なら知っているかもしれない。
朔也は着物を羽織り、部屋を出た。
昼の吉原は、夜とは違う顔を見せる。
化粧を落とした遊女たち。
仕込みをする禿。
眠そうな男衆。
夜の華やかさの裏にある、“現実”。
朔也はその中を歩きながら、人を探していた。
「女将はいるか」
男衆が顔を上げる。
「……またあんたか」
露骨に嫌そうな顔だった。
最近の朔也は、完全に厄介者扱いされている。
だが気にしなかった。
「いるのか」
「二階だよ」
女将は窓際で煙管を吸っていた。
煙が細く揺れている。
「また来たのかい」
「桜ノ間って何だ」
その瞬間。
女将の手が止まった。
ほんの一瞬だった。
だが朔也は見逃さなかった。
「……どこでその名前を聞いた」
「知ってるんだな」
女将は小さく舌打ちした。
「余計なことばっかり知りやがる」
「答えろ」
沈黙。
やがて女将は、深く煙を吐き出した。
「昔、この店にあった部屋さ」
「昔?」
「今は使われてない」
「なぜ」
女将は視線を逸らす。
「死人が出たからだよ」
空気が静まる。
「……誰が死んだ」
「遊女だ」
短い答え。
だが、その声は妙に重かった。
「もう二十年以上前の話だよ。ある花魁が、そこで死んだ」
「殺されたのか」
「……さぁね」
女将はそれ以上語ろうとしない。
だが。
朔也は気づいていた。
女将が嘘をついていることに。
「その部屋、まだ残ってるのか」
「やめときな」
「どこだ」
「朝倉」
女将が初めて真面目な顔をした。
「本当に死ぬよ」
その言葉には、脅しじゃない恐怖が滲んでいた。
だが。
朔也は引かなかった。
「銀鈴が関係してるんだろ」
沈黙。
それが答えだった。
その夜。
朔也は店の奥へ向かっていた。
使われなくなった廊下。
誰も来ない場所。
空気が冷たい。
まるで別世界だった。
奥へ進むと、古い襖が見える。
埃を被った木札。
そこには確かに書かれていた。
『桜ノ間』
「ここか……」
襖に手をかける。
ギィ……。
鈍い音を立てて開いた。
部屋の中は暗かった。
長い間、人が入っていないのだろう。
畳は色褪せ、空気は淀んでいる。
だが。
「……香り」
ふわり、と甘い香が漂った。
銀鈴が使っていた香。
朔也の胸がざわつく。
「なんでここに……」
部屋の中央へ進む。
すると。
畳に、小さな傷があることに気づいた。
不自然な線。
誰かが無理やり開けたような跡。
朔也は畳を持ち上げる。
その下には——空洞。
「これは……」
隠し箱だった。
中には古い文と、小さな帳簿が入っている。
朔也は急いで開く。
そこに書かれていた名前を見て、息を呑んだ。
『天野屋』
まただ。
さらに。
幕府高官の名前まで並んでいる。
そして最後のページ。
そこには、一人の遊女の名前があった。
『桜』
その横には、小さくこう書かれていた。
『口封じ完了』
朔也の背筋が凍る。
「……まさか」
二十年前に死んだ花魁。
桜ノ間。
そして口封じ。
銀鈴は、この秘密に辿り着いてしまったんだ。
だから殺された。
その時だった。
ギシ、と廊下が鳴る。
誰かいる。
朔也は素早く帳簿を懐へ入れた。
気配が近づく。
ゆっくり。
ゆっくりと。
襖の前で止まる。
沈黙。
そして——。
「……誰だ」
朔也が低く問う。
返事はない。
次の瞬間。
襖が勢いよく開いた。
黒装束の男。
顔は布で隠されている。
男は無言のまま、刃を振り下ろした。
「っ!!」
朔也は咄嗟に避ける。
刃が畳を裂いた。
「お前か……!」
男は答えない。
再び斬りかかる。
速い。
ただの刺客じゃない。
訓練されている。
朔也は棚を蹴り飛ばし、距離を取る。
「誰に命令された!」
男は無言。
だが。
その沈黙こそ答えだった。
天野屋。
あるいは、その裏にいる誰か。
男が再び刃を振るう。
その瞬間。
リン——。
鈴の音が響いた。
男の動きが止まる。
一瞬だった。
だが、その隙で十分だった。
朔也は男を突き飛ばす。
男は舌打ちすると、そのまま窓から飛び去った。
「待て!!」
追いかけようとする。
だが。
風だけが吹き込んできた。
逃げられた。
「くそ……!」
朔也は強く拳を握る。
すると。
ふわり、と。
甘い香が漂った。
振り返る。
誰もいない部屋。
けれど。
窓際で、一枚の桜の花びらが揺れていた。
まるで。
誰かがそこにいたみたいに。
#切ない
#長編
草凪葉月🌙⭐️🐈⬛@活休中?