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もかとの話し合いは、決裂に終わった。伊吹の言葉はもかに届かず、ただ反発を招くだけだった。
(マジでどうすりゃいいんだよ……)
伊吹は自室のベッドに横たわり、天井を見上げた。ヴァイスの言葉は、最初は荒唐無稽な夢物語だと思っていた。だが、もかの身体に現れた異変、そして、可愛らしい見た目に似つかわしくないほどのシュガリの底知れなさが、伊吹の心をざわつかせていた。もかはこのままだと、本当にメレンゲドールになってしまうのだろうか。その想像は、伊吹の心臓を冷たい手で掴むようだった。
深夜、両親の寝息が聞こえる頃、伊吹はベランダに出た。冷たい夜風が、少しだけ頭を冷ましてくれる。握りしめた掌には、ヴァイスから渡された青緑色の宝石がひんやりと光っていた。これが、異世界との繋がり。そして、彼を呼び出す手段。
(こんなもん、使う日が来るとは思わなかったな……)
伊吹は深く息を吸い込み、意を決して宝石を掌で包み込んだ。目を閉じ、集中する。ヴァイスが言っていた通り、その名を心の中で呼ぶ。
(ヴァイス……)
すると、掌の中の宝石が、脈打つように淡く光を放った。次の瞬間、伊吹の目の前に、ゆらりと黒い影が実体化する。ヴァイスだった。
「…呼んだな、伊吹。何か進展があったか」
ヴァイスは、いつもと変わらぬクールな口調で伊吹を見据えた。伊吹は、彼のあまりにも突然の出現に、少しだけ肩をすくめた。
「お前、マジで呼べば来るんだな……まあいいや。進展っていうか、最近もかの様子が変なんだよ。これがお前の言ってた『代償』ってやつなのか?」
伊吹は、もかの変化、お菓子の好み、体に漂う甘い匂い、そして魔法を使っていると認めたこと、代償の話をしたが聞く耳を持たなかったこと、全てを捲し立てるように話した。
ヴァイスは、伊吹の話を静かに聞いていた。その目は、感情を表に出すことはないが、どこか深い場所で理解しているようだった。
「……やはり、奴の甘言に完全に囚われているか。代償の兆候も出ているな。ガレットの計画は、着実に進行している。もはや、猶予はない」
ヴァイスの声は、伊吹の不安を煽るように響いた。
「猶予はないって……どうすりゃいいんだよ。あの代償、どうにかなんないのか?このままもかが死ぬとこを黙って見てるしかないのかよ!」
伊吹の声には、焦燥と、妹を守りたいという切実な思いがにじんでいた。
ヴァイスは、しばし沈黙した後、伊吹の目を真っ直ぐに見つめた。
「…代償を完全に消滅させる方法は、ない。だが、回避する方法は、一つだけある」
伊吹は、息をのんだ。ヴァイスの言葉に、一筋の光明を見た気がした。
「本当か!?どうすればいい!?」
「代償は、魔力と対になる存在だ。魔力が消えれば、代償も消える。しかし、魔力を行使した以上、その代償は必ず発生する。回避するには、誰かにその代償を引き受けてもらうしかない」
ヴァイスの言葉に、伊吹ははっとした。そして、躊躇うことなく、口を開いた。
「だったら、俺が引き受ける。俺が代償を背負う。それであいつが助かるなら、何だってする」
伊吹の言葉に、ヴァイスの目が微かに見開かれた。そのクールな表情に、わずかな動揺のようなものがよぎったように見えた。
「……お前が?人間の身で、異世界の魔力の代償を引き受けるなど、正気の沙汰ではない。お前の肉体が、その負荷に耐えられる保証はないぞ。最悪一生メレンゲドールのままだ」
ヴァイスは、伊吹の覚悟を試すように言った。しかし、伊吹の決意は揺らがなかった。
「関係ねぇよ。もかがそうなるぐらいなら、俺がなる方がマシだ」
伊吹の瞳は、真っ直ぐにヴァイスを見返していた。そこには、普段のごくごく普通な大学生の姿からは想像もつかない、兄としての強い意志が宿っていた。
ヴァイスは、そんな伊吹の目をしばらく見つめていたが、やがて、小さくため息をついた。
「……なんと無鉄砲な……だが、お前が引き受ける必要はない。策はある」
伊吹は、ヴァイスの言葉に驚いた。
「策って、何だよ?他に方法があるのか?」
「ああ。ガレットの真の野望を挫く。それに、お前の世界の住人であるお前の協力が不可欠となる。そして、最も重要なのは、ガレットが全てのメレンゲドールを揃え、大いなる儀式を執り行う時だ。その時が、我々の最後の機会となる」
ヴァイスの言葉は、まるで遥か昔からすべてを見通していたかのように響いた。伊吹は、その言葉の重みに、ただ息をのむ。
「……これ以上の詳細を、今ここで話すことはできない。だが、信じろ。オレが必ず、最善の道を示す。この宝石は、我々の世界と、お前の世界を繋ぐ鍵だ。何かあれば、また言ってくれ」
ヴァイスはそう言い残すと、伊吹の返事を待たずに、再び夜闇に溶け込むように姿を消した。
伊吹は、掌に残された青緑色の宝石を見つめた。ヴァイスが去った後の夜風は、先ほどよりもずっと冷たく感じられた。彼の言葉の真意を完全に理解できたわけではない。だが、彼の秘めたる思惑と、何か途方もない計画が進んでいる予感に、伊吹の心はざわめいていた。そして何より、もかを救うための唯一の希望が、今、目の前にある。
(待てって言われてもな……本当に、もかを助けられるのかよ)
伊吹は、胸に押し寄せる不安と、それでも確かに芽生えた希望の間で、静かに夜空を見上げた。