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アドマイヤ・ミケランジェロは暗い地下道を歩いていた。
逃げる際に負った背中の傷からは、今もまだ血が滲んでいる。深くはないが、決して浅くもない切り傷。
早急に治療するべきだったが、追っ手から逃げる彼女にそんな暇はなかった。
魔力を傷に集中させ最低限の処置はしている。しかし、時間と共に痛みが増し体力も奪われていく。
呼吸が荒い。
彼女は追っ手を気にしながらも、ずっと考えていた。
あの時、何が正しかったのだろう?
何が最善だったのだろう?
その、答えのでない問いが繰り返し頭の中を巡っていた。
彼女が婚約者のクルーテオを刺したのは咄嗟の判断だった。しかし衝動的な行動だったわけではない。限られた時間の中で、彼女は最善を考え選択した……つもりだった。
しかし、失敗した。
クルーテオは生き残り、ローズは追われた。
失敗は結果論だ。クルーテオの実力を見誤った彼女のミスであり、クルーテオの排除に動いた選択そのものが間違っていたとは限らない。
ああするしかなかったのだ。変わり果てた父……ミケランジェロ国王の目を見た瞬間、アドマイヤはクルーテオの排除を選択した。クルーテオとニャルラトホテプ教団の繋がりも、そして自我を失い傀儡となった父も、噂がすべて確信に変わったのだ。
だから剣を抜いた。
あの時、自分は衝動的だったのだろうか?
性急だったのだろうか?
焦りや怒りに、突き動かされていなかっただろうか?
アドマイヤは、冷静に判断したつもりだった。
アイリスディーナには頼りたくなかった。あくまでミケランジェロ王国内の問題として処理しなければならない。直感だったが、ミケランジェロはそう判断した。
その政治的な感覚は間違っていなかった。
結果として失敗したが、これはアドマイヤの過ちでありミケランジェロ王国の問題なのだ。まだ王国には飛び火していない。最悪の結果だけは、無意識下で避けたのだ。
しかし、それも時間の問題だ。
去り際にクルーテオが叫んだ言葉が頭の中に蘇る。
「祭が終わるまでに投降しろ! さもなくばミケランジェロ国王に来賓を殺させるぞ!」
もし、クルーテオの言った通りミケランジェロ国王が祭の来賓を殺せば……戦争になる。彼がどこまで本気かはわからないが、ニャルラトホテプ教団はミケランジェロ王国を小さな駒としてしか見ていないのかもしれない。
もし、そうだとすれば……。
ギリッと、アドマイヤの歯が鳴る。そして、悔しそうに顔が歪んだ。
父は名君ではなかったし、ミケランジェロ王国は大きな国ではない。 しかし彼女にとってたった一人の父と、たった一つの祖国なのだ。
だから、ただ守りたかった。
その感情が焦りに変わったのだ。
地下道の壁をアドマイヤは強く叩いた。
結局のところ、自分は感情にまかせて衝動的に動いただけだった。アドマイヤを排除すれば、すべてが解決する。そう錯覚していた。
しかし、クルーテオも所詮は捨て駒だ。ニャルラトホテプ教団の根はミケランジェロ王国の深くまで張っていると考えるべきで、クルーテオを排除したところで何も解決しないのだ。
もっと別の選択があったはずだ。
何もかもすべて解決する、魔法のような選択がきっと……。
アドマイヤは湿った地下道に座り込んだ。
もし、自分が最善の選択をして、すべてが上手くいっていたら……。そんなありもしない可能性を考えて、自嘲する。
もう、終わったことだ。自分がなぜ逃げているのかさえ分からない。
逃げてどうするつもりだ?
逃げれば何か変わるのか?
投降すべきではないか?
そう……きっと、それがいい。
「そっか……投降すればいいんだ」
あの時、自分がどうすればよかったのかはまだ分からない。だが、今自分が何をすればいいのかは簡単に分かった。
投降すれば少なくとも戦争は回避できる。
少しだけ、気持ちが楽になった。そして大切なものをすべて失くしてしまったかのような、喪失感と悲しみに襲われた。
私が犯罪者になった時に、誰か私を守ろうとしてくれただろうか?
心配してくれただろうか?
信じてくれただろうか?
もしかして……自分を探してくれただろうか?
もし、クルーテオを排除して、国王が正気を取り戻すことができたら……そんな、すべてがうまくいく未来があったとしたら……。
きっと、自分はそれを夢見たかったのだ。
「ごめんなさい……」
ローズは謝った。
涙が一筋こぼれ落ちる。
描いていた夢が、全て粉々に崩れていった。
「痛ッ……!」
アドマイヤの胸に鋭い痛みが走った。胸元を広げると、そこには黒い穴があった。仮面がアドマイヤの顔を覆い始めている。
それは、魔物化の証。発症したのはまだ最近だった。
最初から、すべては叶わぬ夢だったのだ。アドマイヤは俯き笑った。
その時、小さな音がアドマイヤの耳に届いた。
追っ手の足音だろうか。
ドン、と天井が崩れ、そこに2つの色があった。
「……白と黒」
崩壊した天井から光が差し込み、白い制服の男が立っていた。そしてその隣に漆黒の中でピアノを引くライナーがいた。
「お疲れ様です、アドマイヤさん。私は光の帝国・星十字騎士団所属で、最高外交官務めるキルゲ・シュタインビルドです。話は聞きました。クルーテオがミケランジェロ王国の国王を支配下に置いていて、貴方がそれを解決するために攻撃した結果、国家反逆者となったことも」
「全部、知って……」
「はい、もちろんです。あとは私達に任せてもらいます。貴方はこちらで保護するので、安心してください」
「政治的なこの状況も円満に解決できると?」
「はい、我々光の帝国が仲裁に入ります」
「そう、ですか」
アドマイヤは力が抜けて座り込んでしまった。
全部解決した。
全部。
しかしそこでアンダージャスティスの王、ライナー・ホワイトは語りかける。
「貴方は、それで良いんですか?」
深淵から響くような声でライナーは言った。
「え……?」
「貴方は何故、行動したんですか?」
アドマイヤは少し考えて理解した。彼はなぜ事件を起こしたのか問うているのだ。
「私は……みんなを守りたかった……。最善の未来を掴みたかった……。でも、私にはできなかった……! でも、キルゲ・シュタインビルド外交官が始末をつけてくれる」
アドマイヤは言葉を絞り出した。
「そこで終わりか、貴方は何もしないのか」
「え……?」
「貴方の戦いは、そこで終わりか?」
「私だってこんなところで終わりたくなかった……ッ! 自分の手で! なんとか!」
アドマイヤは俯き拳を握る。
どうにかしたかった。今だってそう思っている。しかし、もう彼女にできることはないのだ。
「もし貴様に戦う意思があるならば、くれてやる」
ライナーはそう言って、掌に魔力を集める。
「力を」
「力?」
魔力は輝きを増し、地下を美しく染め上げる。濃密な魔力が空気を震わせる。
「その力があれば、私がケジメをつけられる?」
「貴方次第だ」
アドマイヤは魔力に惹かれている自分に気づいた。もし、自分にライナーのような強さがあれば。
きっと何もかも変わっていたはずだ。
もし力があれば……まだできることがある。ミケランジェロ王国の王女として、成すべき事がある。
アドマイヤの瞳に光が戻った。
「欲しい……私がきっちりカタをつけられる力が欲しい……ッ」
「いいだろう」
そして、魔力が放たれた。
それは一直線にローズの胸へ吸い込まれ体内を巡る。
温かいその力は、乱れていたアドマイヤの魔力を静め調えていく。どこか重く、自由に操れなかった魔力が、軽やかに自在に動き出す。
「凄い」
ローズは心からそう思った。
これが、ライナーの魔力。
そしてこれが、ライナーの見ている世界。
「世界に抗え」
気が付くと、ライナーの姿はどこにも見あたらなかった。
ただ声だけが、聖堂に響く。
「忘れるな……強さとは力ではなく、その在り方だ」
そしてライナーの気配は消えた。
アドマイヤは地下聖堂に残された。
追手の足音が聞こえてくる。空気の震えを感じ取る。
かつてないほどの魔力が、体内で渦巻いていた。
もう捕まっていいとさえ思っていた。だが、この力があれば、まだできることがある。
「さて、アドマイヤ・ミケランジェロさん。貴方は自分で何をするつもりですか?」
「私が父を、ミケランジェロ国王とクルーテオを殺します。そして自害します。それでこの問題は解決です。キルゲ・シュタインビルドさん達の光の帝国を煩わせる必要もなくなりました」
「……ふむ、しかしその力は借り物です。それでもよろしいと? 貴方は自分で決着をつけたい、そう言いますが、貴方がやることはこの国と光の帝国である私の面子を潰すことを理解していますか? 結局は自己満足。外交官である私が出向いて状況を解決しようと動いているのに、それをややこしくするのは、王女としても、人間としても、どうかと思いますがねぇ」
「それは……」
「あとは全てこちらでやります。国の揉め事も、クルーテオも、ミケランジェロ国王も、貴方の罪も全て解決します。だから、何もしないでください
アドマイヤは細剣を抜き、壊れた扉を見据える。
そして次の瞬間、扉から黒ずくめの集団が現れ……血飛沫が舞った。
彼らは、キルゲ・シュタインビルドの神聖滅矢によって消し飛ばされた。
真っ赤に染まった地面を見て、アドマイヤは無言で細剣を納め瞳を閉じる。
「キルゲ・シュタインビルドさん、本当にオリアナ国王は政治的に不利になったりしませんか?」
「ええ、誓いましょう」
「わかりました。キルゲさんに任せます」
「ええ、それが良いでしょう。ここに部下を置いておきます。すべてが終わったら、外へ出てください」
陰から仮面を被った白い制服をまとった人達が現れて、アドマイヤに向かう。治療キットや食料を持っている。アドマイヤの治療を施す為だ。
「では、ごきげんよう」