テラーノベル
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勇斗から連絡が来たのは、午後十一時を過ぎた頃だった。
『明日、仕事終わったら時間ある?』
ベッドに寝転がりながらスマホを見ていた俺は、その短い文章を何度も読み返した。
最近は、必要な連絡以外ほとんどしていなかった。以前なら、どちらからともなく送っていたくだらないメッセージも、いつの間にか途切れていた。俺が返事を短くすれば、勇斗もそれ以上は続けない。俺が誘いを断れば、勇斗は「そっか」と笑って引き下がる。
そうして少しずつ、俺たちの間に隙間ができていた。 勇斗がそれを望んでいるわけじゃないことくらい、分かっていた。 それでも、今さら元に戻ることはできなかった。
『あるよ』
しばらく迷ってから、そう返した。 すぐに既読がつく。
『じゃあ、二人で話したい』
心臓が嫌な音を立てた。
何を話すつもりなのか、聞くのが怖かった。もう避けないでほしいと言われるのかもしれない。何かあったなら話してほしいと、いつもの優しい声で言われるのかもしれない。
どちらにしても、俺はきっと、うまく答えられない。
『分かった』
それだけ送って、スマホを伏せた。
明日、何を言われても、ちゃんと距離を置こう。 そう決めたはずなのに、胸の奥では、勇斗に会えることを少しだけ嬉しいと思っている自分がいた。 その気持ちに気づかないふりをするのも、もう上手になってしまった。
*
翌日の仕事は、いつもより長く感じた。
撮影中、勇斗とは何度か目が合った。カメラの前では普段通りに笑って、ふざけて、隣に立つ。誰が見ても、いつもの俺たちだったと思う。 けれど、カメラが止まるたび、勇斗は何かを言いたそうに俺を見た。 俺はそのたび、別の誰かに話しかけたり、スタッフに確認をしたりして、視線を避けた。
自分でも、ひどいことをしていると思った。 勇斗は何も悪くない。 俺が勝手に好きになって、勝手に怖くなって、勝手に離れようとしているだけだ。 それなのに、勇斗の優しさに触れるたび、もっと一緒にいたいと思ってしまう。
だから、早く終わらせなければいけなかった。 この気持ちに名前をつけたままでは、いつか取り返しのつかないことをしてしまいそうだった。
仕事が終わると、勇斗は約束通り俺を待っていた。
「行こ」
それだけ言って歩き出す。 俺も黙って後を追った。
連れてこられたのは、事務所から少し離れた川沿いの遊歩道だった。以前、仕事終わりに五人で寄ったことがある。コンビニで買ったアイスを食べながら、どうでもいい話をして、誰かが寒いと言い出して帰った。
あのときも、勇斗は俺の隣にいた。
街灯の明かりが水面に細く伸びている。夜風は思ったより冷たく、俺はコートのポケットに手を入れた。
「ここ、久しぶりだね」
勇斗が言った。
「そうだね」
「五人で来たの、いつだっけ」
「覚えてない」
「俺は覚えてるよ。舜太がアイス落とした日」
「ああ……あれ、めっちゃ怒ってたね」
「太智がずっと笑ってたからでしょ」
勇斗が少し笑う。 俺もつられて笑った。 懐かしい話をしているだけなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。
この場所にも、思い出がある。 俺たちが過ごしてきた時間の中には、特別な日だけじゃなく、こういう何でもない夜がいくつもある。コンビニに寄ったこと。帰り道に歌ったこと。くだらないことで喧嘩して、次の日には忘れていたこと。
俺が守りたいと思っていたのは、きっと、そういうもの全部だった。
「仁人」
勇斗が足を止めた。
「最近、俺のこと避けてるよね」
もう誤魔化せないと思った。
「……ごめん」
「謝ってほしいわけじゃない」
勇斗の声は静かだった。
「何かしたなら、教えてほしい。俺、ずっと考えてたんだよ。知らないうちに仁人を傷つけたのかなとか、俺といるのが嫌になったのかなとか」
「違う」
思ったより強い声が出た。 勇斗が黙る。
「違うよ。勇斗は何も悪くない」
「じゃあ、なんで?」
答えられなかった。
好きだから。 お前が好きだから、これ以上近くにいたら、きっと戻れなくなる。
その言葉が喉元まで出かかった。 けれど、口にすることはできなかった。
「……俺たち、ずっとこのままでいられると思う?」
代わりに、そんなことを聞いていた。
「え?」
「五人で。今みたいに、ずっと一緒にいられると思う?」
勇斗は少し考えた。
「ずっと同じではいられないと思うよ。仕事も変わるだろうし、それぞれ生活だって変わるだろうし」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあ、どういうこと?」
俺は川のほうを見た。
水面は暗く、向こう岸の明かりだけがぼんやりと揺れていた。
「もし、俺たちの誰かが、今までと違う生き方をしたいって思ったら。今までみたいに五人でいることが難しくなったら。それでも、今と同じでいられるのかな」
「……仁人は、何が言いたいの?」
勇斗の声に、わずかな戸惑いが混じった。
分かっていた。 こんな聞き方では伝わらない。伝えたいことから逃げて、遠回しな言葉ばかり並べている。 それでも、もう止まれなかった。
「俺たち、アイドルじゃん」
「うん」
「たくさんの人が見てる。応援してくれてる。俺たちが何を選ぶかで、傷つく人もいるかもしれない」
「うん」
「……俺たちが、もし普通じゃない関係になったら」
そこで、声が止まった。
勇斗は何も言わなかった。 俺は、彼の顔を見られなかった。
「男同士で、同じグループで。もし付き合ったとして、いつか別れたらどうするの。仕事ではずっと一緒にいなきゃいけない。五人で笑わなきゃいけない。ファンにだって、今までと同じ顔をしなきゃいけない」
言葉にするほど、自分がどれだけ怖がっていたのかが分かった。
「結婚だって、普通にできるとは限らない。家族を持つことだって、簡単じゃないかもしれない。世間から何を言われるかも分からない」
息を吸う。
「俺は、勇斗にそんな思いをさせたくない」
ようやく、勇斗を見た。
「俺じゃない誰かとなら、勇斗はもっと幸せになれると思う」
言い終えた瞬間、胸の奥がひどく冷たくなった。 自分で言った言葉なのに、まるで大切なものを自分の手で遠ざけてしまったようだった。
勇斗はしばらく黙っていた。 怒られると思った。 馬鹿にされるかもしれないとも思った。
けれど、勇斗はどちらもしなかった。 ただ、ひどく傷ついた顔をしていた。
「……それ、本気で言ってる?」
小さな声だった。
「うん」
「俺が、仁人じゃない誰かといたほうが幸せだって?」
「そうだよ」
「なんで?」
「なんでって……」
「俺が、いつそんなこと言ったの?」
答えられなかった。
「仁人はさ、俺が何を幸せだと思うか、聞いたことある?」
勇斗が一歩近づいた。
「俺が何を怖いと思ってるか、知ってる?」
「……」
「俺だって怖いよ。今の仕事ができなくなるかもしれない。応援してくれる人が離れていくかもしれない。五人でいられなくなるかもしれない。仁人と付き合って、もしうまくいかなかったらって考えることだってある」
勇斗は一度、言葉を切った。
「でも、それって俺が考えることじゃないの?」
その目は、逃げ道を探していた俺を、まっすぐに捉えていた。
「仁人が俺のことを大切に思ってくれてるのは分かるよ。俺のことを考えて言ってくれてるんだってことも。でもさ、俺のためって言いながら、俺が何を望んでるかは聞いてくれないんだね」
「……勇斗」
「俺の幸せを、仁人が勝手に決めないでよ」
その言葉は、思っていたよりもずっと痛かった。
俺は勇斗を傷つけたくなかった。 幸せになってほしかった。 俺といることで何かを諦めるくらいなら、俺じゃない誰かを選んでほしかった。
全部、本心だった。
けれど、勇斗が言う通りなのかもしれない。 俺は一度も、勇斗に聞かなかった。 俺と一緒にいたいかどうか。 俺といる未来を、勇斗自身が選びたいと思うかどうか。 怖くて、聞けなかった。
もし違うと言われたら。 俺の気持ちを知って、勇斗が困った顔をしたら。
そのときこそ、俺たちは本当に戻れなくなる。
だから、先に諦めようとした。 勇斗が選ぶ前に、俺が答えを決めてしまおうとした。
「……俺は」
声が震えた。
「俺は、勇斗に後悔してほしくないんだよ」
「うん」
「俺を好きになったことを、後悔してほしくない」
言ってから、息が止まった。
しまった、と思った。 もう遅かった。 勇斗の表情が変わった。 驚いたように目を見開いて、それから、ゆっくりと俺の顔を見つめた。
「……俺を、好きになったこと?」
俺は何も言えなかった。 勇斗が一歩近づく。
「仁人、それって……」
「忘れて」
「忘れられるわけないじゃん」
「お願いだから」
初めて、勇斗から目を逸らせなかった。
勇斗は俺を見ていた。 いつもみたいに笑ってはいなかった。 ふざけて誤魔化すことも、冗談にして逃げることもなかった。
ただ、何かを確かめるように、俺を見つめていた。
「……俺さ」
勇斗が口を開いた。
「ずっと、仁人に聞きたいことがあったんだよね」
心臓が、嫌なほど大きく鳴った。
「俺が隣にいるの、嫌になった?」
「違う」
今度は、迷わず答えた。
「じゃあ、どうして離れようとするの?」
俺は唇を噛んだ。 もう、嘘はつけなかった。
「……好きだから」
声は、夜風に消えてしまいそうなくらい小さかった。
「勇斗が好きだから。これ以上一緒にいたら、もっと好きになるから。そうなったら、もう、今までみたいにはいられない気がして……」
そこまで言って、ようやく、自分が何をしていたのか分かった。
俺は勇斗を失いたくなかった。 だから、失う前に手を離そうとしていた。 そんなことをしても、何も守れないのに。
「……ごめん」
それしか言えなかった。
勇斗はしばらく黙っていた。
やがて、俺の名前を呼んだ。
「仁人」
「……うん」
「俺の話も、聞いてくれる?」
俺は頷いた。 怖かった。 それでも、今度は逃げたくなかった。 勇斗は少しだけ息を吸って、それから、ゆっくりと言った。
「俺も、仁人が好きだよ」
世界が、静かになった気がした。 川の流れる音も、遠くを走る車の音も、全部がひどく遠くに聞こえた。 目の前にいる勇斗が、何を言ったのか分からなかった。 いや、本当は分かっていた。 分かっていたからこそ、信じられなかった。
「……なんで」
やっと出た声は、ひどく情けなかった。
「なんでって?」
「だって……俺たち、男同士だよ」
「うん」
「同じグループだよ」
「うん」
「これからどうなるかも分からない。ずっと一緒にいられる保証なんてない」
「うん。分かってる」
勇斗は、少しだけ笑った。
「それでも好きなんだよ」
どうして、そんなふうに言えるのだろう。 怖くないわけがない。 勇斗だって、何もかも分かっているはずなのに。
「……後悔するかもしれないよ」
「するかもしれないね」
勇斗は否定しなかった。
「でも、仁人を諦めたことのほうが、たぶんずっと後悔する」
涙が出そうになった。 俺が何年もかけて、必死に自分に言い聞かせてきたことを、勇斗はたった数秒で覆してしまう。
いや、違う。 覆されたのは、俺が正しいと思い込んでいた考えだけじゃなかった。
勇斗と一緒にいたいと思う、自分の気持ちまで、もう隠せなくなってしまったのだ。 それでも、すぐに頷くことはできなかった。
好きだと言われて嬉しかった。 ずっと欲しかった言葉だった。 けれど、嬉しいだけで済む話じゃないことも、分かっていた。
「……少し、考えさせて」
勇斗は一瞬だけ寂しそうな顔をした。 それでも、頷いた。
「うん。待ってる」
待ってる、なんて。 そんなことを言わないでほしかった。 待たせたくない。 これ以上、傷つけたくない。
そう思うのに、今度は、勇斗の手を離すことができなかった。 触れたわけでも、握ったわけでもない。 ただ、目の前にいる勇斗を見つめたまま、俺は初めて、自分の気持ちから逃げずにいた。
好きだった。 どうしようもないくらい、好きだった。 それだけは、もう否定できなかった。
#吉田仁人
春雨
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コメント
1件
うわ、もう読んだよ第4話……めっちゃ苦しいけど、すごく良かった🥀 仁人の「好きだからこそ離れようとする」気持ち、わかる気がするよ。勇斗の「仁人が俺の幸せを勝手に決めないで」って言葉がグサッときた。自分を守るために相手の気持ちを決めつけてしまうこと、あるよね。 でも、最後に勇斗が「俺も好きだよ」って言ってくれて、ちょっと救われた気がした……。このあと二人がどうするのか、すごく気になる。大切に書かれてるのが伝わってくるから、読んでて胸がぎゅってなった。作者さん、素敵な物語をありがとうございます🌙