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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
791
#サレ妻
都築七美
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日曜の朝八時、駅前の喫茶店で、柴田は先に来ていた。
一番奥の席。背中を壁につけて、両手でコーヒーのカップを持っている。私が座ると、カップを置いて、頭を下げた。
「すみません」
「おはようございます」
「すみません。本当に、すみません」
柴田は、頭を下げたまま話し始めた。言い訳は、長かった。
入社したとき、高梨さんに一番世話になった。飲みに連れていってもらい、客の前での話し方も、全部教わった。だから、「残業って言っといてくれ」と言われたとき、断れなかったのだという。最初は月に一回。それが週に一回になって、「ゴルフって言っといてくれ」も足されて、三月に桐谷さんを会社の飲み会に連れてきたのも、自分が「友達も呼んでいいっすか」と言ったことになっていて。
「全部、俺が言ったことになってるんです。高梨さんが、そうしてくれって」
「分かりました」
「奥さんには、本当に、申し訳なくて」
「柴田さん」
私は、コーヒーを頼んでいなかった。頼むつもりもなかった。
「十二日、あなたは何もしなくていい」
柴田が、顔を上げた。
「ただ、当日に聞かれたことに、本当のことを答えて。それだけ」
「……それだけっすか」
「それだけ」
柴田は、カップを持ち直した。持ち直して、飲まなかった。
「誰に、聞かれるんすか」
「誰かに」
「俺、終わりますか」
「本当のことを答えて終わる人は、いない。終わるのは、嘘を続けた人」
柴田は、長いあいだ、カップの中を見ていた。
「……分かりました」
「それと、もう一つ」
私は、手帳を開かずに言った。
「口裏を頼まれたやり取り。『残業って言っといてくれ』。『ゴルフって言っといてくれ』。残っているでしょう」
「……残ってます。消せなくて」
「送らなくてもいい」
柴田の目が、私を見た。
「送らなくてもいい。でも、会社は、嘘の残業をどう思うかしら。あなたの残業ではなく、彼の残業。残業と言って、会社を出たあとのこと」
柴田は、口を開けた。開けたまま、スマホを出した。
画面を何度か触って、私のほうへ向けた。
『今日残業ってことにしといて』『ゴルフは柴田と、で頼む』『来週も』『母さんから電話きたら、大阪の出張に同行って言え』
日付が、全部ついていた。三月から、先週まで。
「送ります」
柴田は言った。
「送って、俺、終わりますか」
「送った人は、終わらない」
私は立ち上がった。コーヒー代は、柴田が払った。払うと言って聞かなかった。
店を出て、駅に向かいながら、私は一つ数える。夫の言葉ではない。私が、人を使った数だ。一つ目。
数えて、それ以上は、考えなかった。
◇
日曜は、式が一件だった。
披露宴の合間、控え室で、美咲の前に立った。
「本日は、お集まりいただき、ありがとうございます」
「はい」
「本日の司会は、担当プランナーの、佐倉が務めます」
美咲は、腕を組んで聞いていた。
「……チーフ、声、普通ですね」
「普通でいい」
「もっと、こう、華やかに言わなくていいんですか。桐谷さん、華やかな人がいいって」
「華やかなのは、依頼者の式。司会は、何も足さない」
「何も足さない」
「名前を言って、順番を言って、時間を守る。それだけ」
美咲は、腕をほどいた。
「じゃあ、合格です。普通の声で」
「ありがとう」
「あと、チーフ。十八時で帰る命令、昨日、破りましたよね」
「電話があった」
「オーナーに言いますよ」
「言っていい」
美咲は「言いません」と言って、控え室を出ていった。
◇
十八時に式場を出て、家に帰ると、悠人がいた。
三週間ぶりの、家の悠人だった。
「よう」
悠人は、寝室のクローゼットから、タキシードを出していた。五年前に、式のために作った、黒いタキシード。
「打ち上げ、ホテルでやるんだよ。グランシエルのやつらも来るから、ちゃんとしたの着ろって」
「そう」
「お前、仕事帰り? 遅かったな」
「十八時に出た」
「ふうん」
悠人は、タキシードをカバーに入れた。入れてから、思い出したように言った。
「記念日。何か欲しいもの、あるか」
「何か」
「ボーナス出たし。三万までなら。お前、いつも何も言わないから」
三万まで。
八十万を、出した人が。
「指輪を、磨いてもらうだけで」
私は言った。
「それだけでいい」
「指輪?」
「結婚指輪。五年で、くすんだから」
「……ああ、そうか」
悠人は、私の左手を見なかった。カバーのファスナーを閉める手を見ていた。
「じゃあ、金出すから、磨いてもらえよ」
「ありがとう」
四百二十二個目。
悠人はタキシードを持って、玄関へ行った。靴箱の上の、伏せたままの結婚写真の前を、見ずに通った。
「じゃあ。十二日は、実家に帰れよ。親父さんに顔見せてこい」
「分かった」
扉が閉まった。
私は左手を見た。白い跡は、三週間で、だいぶ薄くなっていた。
◇
忘れ物を取りに、式場に戻った。
二十時。ロビーの照明は半分落ちていて、庭の灯りが窓から黄色く入っていた。
ロビーの真ん中に、人が立っていた。
茶色のコート。かかとの低い靴。
美咲が、控え室から出てきて、私を見つけた。
「チーフ。お義母様が」
恵子が、振り返った。
「あんた」
恵子は、庭の灯りを背にして、私を見た。
「何を企んでるの」
コメント
1件
はあ…もう、この話、ずっとずっと重くて苦しくて、でも目が離せなくて。 柴田さんへの「何もしなくていい」は優しいようで、一番残酷な指示かもしれないって思った。 悠人さんの指輪磨きのくだり、五年前と今の温度差が手に取るように分かって…心臓がぎゅってなった。 最後の恵子さんの登場で、また空気が変わったね。次の話、ちゃんと読みます。