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第105話:絶体絶命の『証明』〜プライドの終焉と、四畳半の居座り調査官〜
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパートの四畳半。
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、三万円のゲーミングチェアの横で、膝から崩れ落ちていた。
目の前に立つ、帯広税務署・法人課税部門の調査官、黒岩。
彼は、俺の「底辺を証明します」という悲痛な宣言を聞いても、銀縁メガネの奥の表情をピクリとも変えなかった。
「……証明、ですか」
黒岩は、手の中にある『黒歴史メールの下書き』を折り畳み、胸ポケットにしまった。
「ええ。あなたがこの、1行の文章も書けないまま40歳になった怠惰な人物と同一であり、株式会社インフィニティ・ワンがダミー会社ではないという明確な証明。……それを、どのように行うおつもりですか?」
『ルシフェル社長。すでに先方のVTuber事務所に、コラボの受諾と、スケジュールの確認を送信しました』
イヤホンの向こうで、アシスタントの結愛(ゆあ)が、俺の返事を待つことなく勝手に話を進めている。
この冷徹なアシスタントは、仕事が早すぎる上に、俺の精神的ダメージを一切考慮しない。
『奇跡的に、先方のスケジュールは本日の夜が空いているとのこと。緊急特番として、今夜20時より、例の「40歳高齢無職オタク」のお便りの主をゲストに迎えた、対談配信が決定いたしました』
「こ、今夜ぁぁ!?」
俺は悲鳴を上げた。
心の準備もクソもない。今日、この後すぐに、俺はネットの海に自分の尊厳を投げ捨てるのだ。
「黒岩さん! 聞きましたか!? 今夜です! 俺がかつて送った悩み相談メールを取り上げてくれた、超大手のVTuberとのコラボ配信です!」
「そこで、俺がこのメールの本人であることを、数万人の前でカミングアウトします! これ以上の『実在の証明』はないでしょう!?」
俺が半ばヤケクソになって叫ぶと、黒岩は腕時計に目を落とした。
「……今夜の20時、ですか」
「そうです! だから、今日の調査は一旦……」
「承知いたしました」
黒岩は、パイプ椅子に再び深く腰を下ろした。
そして、アタッシュケースから新しいバインダーを取り出すと、平然と言い放った。
「では、私はこの場で、その『証明』の過程と結果を、最後まで見届けさせていただきます」
「…………は?」
俺の口が、アホのように半開きになった。
「い、いや。黒岩さん? 今夜の20時ですよ? 今まだ午前中ですよ?」
「税務調査において、疑念を晴らすための重要な証拠が提示されるのであれば、現場での待機は業務の範疇です。お気になさらず」
「気にするわ!!」
俺は頭を抱えた。
ただでさえ、数万人の前で黒歴史を暴露するという公開処刑が確定しているのに。
その配信を、自分の部屋の真後ろで、税務調査官に腕を組んで見守られるのだ。
どんな地獄の罰ゲームだ。
「……社長。もう、逃げ場はありません」
結愛の声が、冷たく俺の背中を押す。
『もしここで証明に失敗すれば、黒岩調査官の推論通り、インフィニティ・ワンはダミー会社と認定され、架空経費の計上や所得隠しとして、重加算税を含む莫大な追徴課税が課されます。金額にして、最低でも数百万円は下らないでしょう』
「す、数百万円……ッ」
『社長としての薄っぺらいプライドと、数百万円の現金。……資本主義において、どちらが重いかは考えるまでもありませんね』
俺は、ギュッと拳を握りしめた。
そうだ。俺は、社長だ。
だが、その前に、底辺から這い上がってきた泥臭いおっさんだ。
プライドなんて、公務員を辞めた日にとっくに捨てたはずじゃないか。
コールセンターで理不尽なクレーマーに土下座していた日々に比べれば。
インボイス制度の導入で震え上がった夜に比べれば。
「……わかったよ」
俺は、ゆっくりと立ち上がり、三万円のゲーミングチェアに腰を下ろした。
腰のコルセットが、ギュッと俺の背筋を支えてくれる。
「俺が、その情けないおっさん本人だ。……それを、完璧に証明してやる」
数万人のリスナーの前で。
俺は、「ルシフェル社長」というカッコいいガワを脱ぎ捨て、「1行も小説が書けないまま何年も夢だけ見てた、昼に限界みそラーメンをすする痛い40歳」であることを自白しなければならない。
『……ルシフェル社長。決意を固めたところ申し訳ないのですが、一つ、配信に向けた【設定の変更】がございます』
結愛のタイピング音が響く。
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
『今回のコラボの目的は、黒岩調査官に社長の「圧倒的な底辺の質感」を信じさせることです。
よって、普段使用している、あの超絶イケメンのルシフェル様のアバターは、使用を禁止します』
「はあ!? なんでだよ! あれが俺の唯一のアイデンティティだぞ!」
『イケメンのアバターでは、悲壮感が伝わりません。……すでに私の方で、クリエイターに緊急発注をかけ、新しい立ち絵(ガワ)をご用意いたしました』
俺のモニターに、結愛から送られてきた画像ファイルが表示される。
カチッ。
そこに映し出されていたのは。
無精髭を生やし、目の下には深いクマ。
着ているのは、色褪せて毛玉だらけの、あずき色のジャージ。
そして、手には「150円」という値札のついた、みそラーメンのカップ。
完璧なまでに『40歳の底辺』を具現化した、むさ苦しいおっさんの2Dモデルだった。
「…………なんだこれ」
『本日のコラボ配信における、社長の新しいアバターです。名付けて【リアル秋谷モード】です』
「リアルすぎるだろ!! ほぼ俺の素顔じゃねえか!!」
俺が絶叫すると、背後で腕を組んでいた黒岩が、モニターを覗き込んで小さく頷いた。
「……なるほど。このアバターであれば、先ほどのメールの人物像と極めて一致しますね。少し、信憑性が出てきました」
「納得すんな国家権力!!」
俺は、完全に退路を断たれたことを悟った。
夜20時。
俺は、この毛玉だらけのジャージのおっさんアバターを被り、超大手のVTuberと対峙する。
テーマは、「あの日のお便りの主は、今どうしているのか」。
俺の過去。俺の黒歴史。俺の尊厳。
その全てを、税務署の調査官の目の前で、資本主義の祭壇(インターネット)に捧げるのだ。
「……やってやるよ」
俺は、血走った目でモニターを睨みつけた。
「俺の尊厳を、俺の悲惨な過去を! 全部まとめて、スパチャ(金)と税金の免罪符に変えてやる!!」
帯広の四畳半。
株式会社インフィニティ・ワンの最終防衛戦は、社長のプライドの完全なる投棄をもって、いよいよ本番の夜を迎えようとしていた。
待っていろ、全世界。
これが、40歳の底辺が生き残るための、究極の『証明』だッ!!
コメント
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読了しました……もう、めちゃくちゃ胸が熱くなりました!「リアル秋谷モード」のあまりのリアルさに笑っちゃったけど、その痛さが逆に「これこそ証明だよな」と納得させられました。黒岩さんの「現場待機します」宣言、完全に詰んでるのに笑える地獄絵図で大好きです。決意を固めた秋谷さんの開き直り、応援したくなりますね。続き、どうなるんだろう…!