テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
第49話:身軽になった心〜底辺からの卒業と、プレミアムな朝〜
チュン、チュン、チュン……。
帯広市の空に、清々しい小鳥のさえずりが響き渡っている。
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日が、四畳半のボロアパートの万年床で眠る俺の顔を、優しく撫でた。
「……ん、あぁ……」
ゆっくりと重い瞼を開ける。
昨夜は、二万人のリスナーと共に俺の『八十四万五千二百円』を見送るという、狂気のお葬式(スパチャ合戦付き)を深夜まで執り行っていたため、寝たのは明け方近くになってからだった。
俺は寝ぼけ眼で枕元のスマートフォンを手に取り、無意識にオンラインバンキングのアプリを開いた。
生体認証をパスし、表示された画面を見る。
『預金残高:1,905,140円』
「…………」
俺は、その数字をじっと見つめた。
昨日まで、間違いなく二百七十万以上あった俺の全財産。それが、国税庁の無慈悲なシステム(振替納税)によって、八十四万という大金を根こそぎ持っていかれた後の、リアルな残骸である。
普通なら、ここで胃がキリキリと痛み、「あぁ、俺の金が……」と布団を被って泣き喚くところだ。
数日前までの俺なら、間違いなくそうしていた。
だが。
不思議なことに、今の俺の心には、微塵の未練も、悲しさもなかった。
「……減ったなぁ。すっげえ、減った」
俺は万年床の上に胡座をかき、ふぅっ、と深く息を吐き出した。
その息は、帯広の冷たい朝の空気と混ざり合い、すっと部屋の隅へと消えていく。
痛くない。胃が全く痛くない。
それどころか、両肩に乗っていた見えない鉛のような重りが、嘘のように消え去っていたのだ。
「なんだ、これ……。めちゃくちゃ、体が軽いじゃねえか」
俺は立ち上がり、三十一万八千五百円のゲーミングPCの横にある窓を開け放った。
四月下旬。まだ肌寒さは残るが、雪解けの匂いが混じる北海道の春の風が、四畳半の部屋を一気に駆け抜けていく。
「あぁ……そうか」
窓の外の、見慣れた帯広の街並みを見下ろしながら、俺はようやく自分の身に起きた『変化』の正体に気がついた。
俺は四十年間、ずっと社会の底辺を這いずり回ってきた。
ブラック企業で心身を壊し、生活保護(ナマポ)という命綱にすがりついたあの日から、俺は常に「社会のお荷物」という強烈な引け目を背負って生きてきた。
スーパーで安いモヤシを買う時も、ケースワーカーの鈴木さんの冷たい視線を浴びる時も、心のどこかで「俺は国のお金で生かしてもらっているだけの、出来損ないの寄生虫だ」と、自分自身を蔑んでいたのだ。
だが、今はどうだ。
俺は昨日、八十四万五千二百円という、そこらの中小企業のサラリーマンの年収の何分の一にも匹敵する大金を、たった一括で国に納めたのだ。
「……払った。俺は、払ったんだ」
俺は、窓枠をギュッと握りしめた。
「俺の稼いだ金が……この街の道路を直し、橋を架け、誰かの医療費になり、どこかの誰かの生活保護費になるんだ。俺はもう、社会のお荷物なんかじゃない。社会を支える側の『柱』の一本に、確実になったんだ……ッ!」
その事実が、脳の髄から指の先まで、熱い血潮となって駆け巡っていく。
誰にも文句は言わせない。
俺は自分の力でリスナーを笑わせ、自分の力で稼ぎ、そして義務を果たした、正真正銘の『立派な日本国民』になったのだ。
「っしゃあああああああ!!」
俺は帯広の空に向かって、両手を高く突き上げて雄叫びを上げた。
失った八十四万は、決して無駄死にではなかった。あいつらは、四十歳にして初めて手に入れた『俺の自尊心』という、何にも代えがたい最高のプライドの対価だったのだ。
その日の朝。
俺はスウェットの上下にダウンジャケットを羽織り、近所のコンビニへと向かった。
いつもなら、百円の缶コーヒーを買うのにも「あぁ、これでまた残高が……」と渋い顔をしていた俺だが、今日の俺は違う。俺は国を支える大黒柱(自称)なのだ。
「おばちゃん! この『プレミアム粗挽きコーヒー』と、『特製のり弁当(明太子入り)』、一つずつ頼むわ!」
俺はレジのカウンターに、堂々と商品を置いた。
いつもなら絶対に買わない、少しだけ値段の張るプチ贅沢な朝食セット。
「あら、秋谷(あきや)さん(※コンビニのおばちゃんには本名で呼ばれている)。今日はなんだか顔色が良さそうね。良いことでもあったの?」
「へへっ。まぁね。ちょっとばかし、国のためにデカい仕事をしてきたところさ」
俺は千円札を支払い、釣り銭を受け取ると、ドヤ顔で言い放った。
「あ、おばちゃん。領収書は……今日は要らねえよ!」
『経費』という名の魔法の呪文に囚われていた俺が、初めて領収書を拒否した記念すべき瞬間だった。
コンビニを出て、歩きながらプレミアムコーヒーのプルタブを開ける。
ゴクリ、と一口飲む。
「……くぅ〜っ! 沁みるねぇ! 納税した後のコーヒーは、五臓六腑に染み渡りやがるぜ!」
朝日を浴びながらの帰り道。
俺の足取りは、まるで羽が生えたように軽かった。
アパートに帰り、特製のり弁当を平らげた俺は、食後のコーヒーをすすりながら、三十一万八千五百円のゲーミングPCの前に座った。
「さてと。大金は消えちまったが、まだ俺の口座には百九十万残ってるし、今年の夏と秋の予定納税(五十六万)の準備もしなきゃならねえ。……今日もいっちょ、リスナーどもを笑わせて、ガッツリ稼がせてもらうとしますか!」
真の自立を果たした男の顔には、かつての卑屈な影は微塵もなかった。
モニターの電源を入れ、いつものように仕事用のメールボックスを開く。
「どれどれ、今日は大福食品さんから追加の案件でも来てるかな〜? それともアリスの事務所から……」
マウスのホイールをスクロールさせた俺の手が、ピタリと止まった。
『件名:【極秘】ルシフェル様 3Dモデル制作および、弊社スタジオでの3Dお披露目ライブのご相談につきまして』
差出人は、星乃宮アリスが所属する超大手VTuber事務所『株式会社スターダスト・プロダクション』の、統括プロデューサー名義だった。
「……さん、でぃー?」
俺はコーヒーを吹き出しそうになりながら、そのメールの本文に目を走らせた。
そこには、俺がアリスを救ったことへの恩返しとして、スタプロの最高峰の技術チームが俺の『3Dモデル(全身が動く立体アバター)』を制作し、さらに東京の巨大な公式スタジオで、アリスとの『3Dコラボライブ』を実施しないかという、とんでもない提案が書かれていた。
「さ、3D化……!? 俺のこの、無料ソフトで作った立ち絵一枚のペラペラのアバターが、全身ヌルヌル動くようになるってことか!?」
VTuberにとって、3D化はまさに『夢の到達点』である。
全身を使ってリアクションができ、歌って踊れる。トップクラスのVTuberしか足を踏み入れられない、文字通りの神の領域だ。
「す、すげえ……! まさか俺が、3Dになれる日が来るなんて……ッ!」
だが。
有頂天になりかけた俺の目は、メールの最後に小さく書かれていた『注意事項』の一文を、決して見逃さなかった。
『※なお、本プロジェクトにかかる3Dモデリング制作費、およびスタジオ使用料の半額(約250万円)につきましては、ルシフェル様にご負担いただく形となりますことを、あらかじめご了承ください』
「…………」
俺の手に持っていたプレミアムコーヒーの缶が、ポロッと床に転がり落ちた。
「にひゃく……ごじゅうまん」
つい一時間前、八十四万の税金を払って「俺は自由だ! 身軽になった!」と叫んでいた四十歳の新米納税者。
その目の前に、今度は『250万円(+消費税)』という、とてつもない桁の金食い虫(夢への切符)が、大口を開けて待ち構えていたのだった。
「……ふざ、けんなよ」
俺は、プルプルと肩を震わせながら、帯広の空に向かって今日二度目の雄叫びを上げた。
「休ませろォォォォ!! せめて一週間くらい、納税の余韻に浸らせろォォォ!! なんで俺の口座から金が消えた瞬間に、次の集金イベントが発生すんだよ!! 資本主義、絶対に俺のこと監視してるだろォォォォ!!」
身軽になったはずの四十歳の心に、再び『強烈なプレッシャー(稼がなきゃ死ぬ)』が重くのしかかる。
終わらない。
インフルエンサーとして生きる限り、金と税金、そして次なるステップへの投資のループは、絶対に終わらないのだ。
コメント
1件
おお、49話読んだよ!納税で八十四万飛んで「身軽になった!」って大喜びした直後に、今度は250万の投資案件が来るって……この容赦なさ、現実の厳しさと夢の狭間で葛藤する感じがめっちゃ刺さるわ。プレミアムコーヒー片手に「資本主義、俺のこと監視してるだろ!」って叫ぶシーン、笑いながらも「わかる…」ってなった。40歳の新米納税者、次はどう立ち回るんだろう。続き気になる🔥