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教室は、日常の皮をかぶった異常の温床だった。

その日も、授業は粛々と進んでいた。黒板には数式が並び、教師の声が単調に響く。だが、遥のいる一角だけ、別の空気が淀んでいた。


教科書を開いているフリをしながら、誰かの指が机の下で遥の足首をつつく。最初は軽く、すぐに力が増す。


遥は表情を変えず、視線も動かさずに、わずかに膝を引いた。が、その動きに気づいた誰かが、くすくすと喉の奥で笑う音を漏らした。


――音を立てるな。動くな。表情を変えるな。


無言のルールが、遥の周囲には存在していた。


突き上げるような刺激が膝をかすめ、筆箱が小さく跳ねた。教師の視線が一瞬だけ流れたが、なにも言わず、黒板に向き直る。


――加担者。


遥は唇を噛んだ。怒りではなく、無力さへの悔しさに。


「……っ、」


ごく小さく息が漏れた。


すると、隣の席の女子が、わざとらしくノートを落とし、しゃがみこむフリで机の下を覗いた。


「……今日、こっちまできてるじゃん」  「え、マジ? どこ?」


後方の生徒たちが騒がずに盛り上がる。


遥は耐えながら考えていた。どこまでが“今日”の段階なのか、そして何が“違うやつ”なのか。


その疑問は、すぐに答えを与えられた。


隣の男子の手が、机の上に一冊のノートを置いた。


――読むんだよ。


表紙には、“心の声”とだけ書かれていた。


遥はそのノートを見て、ほんの少し眉を動かした。


「音読、始めてくれ」


教師の声。だが、それは明らかに彼の声ではなかった。生徒の誰かが、スマートフォンで録音した“偽の教師音声”を教室スピーカーに流していた。


そして、それを本物の教師は黙認していた。もしくは、気づいていないフリをしていた。


遥はノートに目を落とした。


書かれていたのは、自分が過去に書かされた“心の声”という名の強制作文だった。  いつ、どこで、何をされたか、どう思ったか。  感情を偽れないよう、加害者たちが選んだ文体と言葉。


震える指でページをめくりながら、遥は視界の端にスマホのレンズをいくつも感じていた。


「……やめろ」


声になったそれは、まるで自分の口からではないようだった。


「やめる? なにを?」  「読まないと、“次”だぞ」


“次”。その言葉の意味を、遥はもう何度も味わっていた。


机の下で、ペンがすっと差し込まれる。無造作に、それで脚を突かれる。痛みを逃がさぬように、タイミングよくページをめくる音を出せ、という合図だった。


「……きのう、トイレで……押さえつけられて、手、入れられて……声、出さないようにって……言われて……」


声は小さかった。だが、教室は異様な静けさに包まれていた。


ノートの一文を読んだ遥の目に、にじんだ光が宿る。


泣きそうではなかった。ただ、吐き出してしまえば、自分がもう「自分じゃない何か」になるような気がしていた。


「やめろ、って……言ったのに……」


震える言葉が、スピーカー越しの教師の声をかき消す。


「やめろ、って……何度も言ったのに……っ」


その瞬間、誰かが笑った。


「録れた?」


「バッチリ。涙もいい感じ」


遥は立ち上がった。ぐらつく脚を引きずるようにして、教室の前へ。


そして、自分の机の上に置かれたスマートフォンを、無言で取り上げた。


しばらく、黙って画面を見つめる。録音ボタンが赤く点灯していた。


「……こんなもん、全部……」


震える手で、それを床に叩きつけた。


静寂。


そして――教師が、黒板に背を向けたまま、こう言った。


「授業、続けます」


遥の手は震えたまま、握りこぶしを作った。


壊れたスマホの画面が、教室の蛍光灯を反射していた。



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