テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リフェアリー
128
塩尻峠の関所は、半年前より、大きくなっていた。
トラックが、二台。黒い作業着が、十人。小屋が建ち、旗が三本になっていた。半年前に要を通した短髪の男は、いなかった。代わりに、若い男が、要と孫を止めた。
「どこへ」
「甲府へ」
「何をしに」
「甲府の市の会長に、会いに」
若い男は、要の顔を見た。それから、懐から、紙を出した。似顔絵だった。下手な。でも、眉のところの傷と、痩せた輪郭は、合っていた。
「……土師要か」
要は、答えなかった。孫が、横で、息を呑んだ。
「権田さんから、指示が出てる。土師要が峠を通ったら、止めずに通せ。だが、甲府に着いたら、権田さんに、知らせろ。それだけだ」
「権田さんは、甲府に」
「いる」
若い男は、鉄のバリケードを、少しだけ動かした。
「通れ。帰りも、通していい。ただし、二人とも、顔は、覚えた」
*
塩尻から甲府まで、一日。
道は、半年前より、人が多かった。歩く者。荷車を引く者。御殿の旗を立てたトラックが、二度、追い越していった。
途中、宿場町で、要は、割符を持った男に会った。相模湖の、薪と靴の男だった。
「木の人」男は、要を見て、笑った。「まだ、歩いてるのか」
「まだ、歩いてます」
「おれも、まだ、歩いてる」男は、懐から、割符の束を出した。十本以上あった。「今は、これが仕事だ」
「仕事?」
「運ぶ。割符と、手紙と、手形を。甲府から諏訪へ、諏訪から塩尻へ、塩尻から甲府へ。歩いて、届ける。届けた先で、米をもらう」
要は、割符の束を見た。
「それ、飛脚です」
「ひきゃく?」
「江戸の。手紙を運ぶ人」
男は、首をひねった。
「名前はどうでもいい。困ってるのは、別のことだ。おれが、途中で、手紙を開いて、書き換えたら、どうなる。誰も、わからない。おれは、やらない。やらないが、おれ以外のやつは、わからない。運ぶ人間が増えてきた。中には、開けるやつも、いる」
要は、男を見た。
運ぶ人間の信用。手紙の信用。二つは、別だ。運ぶ人間を信じられても、手紙が途中で開けられていないことは、別に、確かめなければならない。
「あなたの評判は」要は聞いた。「甲府の台帳に、丸が、いくつありますか」
「三十一」男は、少し誇らしげに言った。「市で、一番多い」
「じゃあ、あなたが運ぶ手紙は、あなたの三十一の丸が、保証してる」
「そうだな」
「でも、丸が三つの人間が運ぶ手紙は、保証がない」
「そうだ」
「だったら、手紙の方に、開けられたかどうかが、わかる仕組みが要る」
男は、笑った。
「あんた、また、仕組みを作るのか」
「作ります。でも、今度は、紙と木じゃない」
要は、頭の中で、一ノ瀬の事務所の棚を思った。公正証書。割印。それから、引き出しの中にあった、もう一つのもの。
蝋。
赤い、蝋のかたまり。一ノ瀬は、それを「封蝋」と呼んでいた。昔の公証人は、文書を蝋で封じ、印を押した。開ければ、蝋が割れる。割れた蝋は、元に戻らない。
「蝋を、持ってますか」要は聞いた。
「蝋? ロウソクなら」
「それでいい」
*
宿場町の空き家で、要は、ロウソクを溶かした。
甲府の会長への手紙を、折った。折り目に、溶けた蝋を、垂らした。固まる前に、要の印を、押した。『土師』。下手な字。
蝋が、固まった。
手紙は、開けなければ、読めない。開ければ、蝋が割れる。割れた蝋に、要の印は、残らない。
「これを、あなたに運んでもらう」要は、飛脚の男に言った。「僕も、甲府に行く。でも、別の道で。あなたが先に着く。会長に渡してほしい。会長は、蝋を見て、僕の印を見て、本物だとわかる」
「あんたが、自分で持っていけばいい」
「試したいんです。離れた相手に、本物だと伝える方法を。僕が持っていったら、試しにならない」
男は、蝋で封じられた手紙を、受け取った。裏返した。蝋を、指で触った。
「……これ、おれが開けたら、わかるのか」
「わかります。蝋が割れる。あなたの三十一の丸が、消える」
男は、少し考えてから、言った。
「開けない」
「知ってます。でも、仕組みは、あなたが開けない前提では、作らない。あなたが開ける前提で、作る。それでも、開けなかったとき、あなたの丸が、三十二になる」
男は、手紙を、懐に入れた。
「変なやつだな、あんた」
「言われます」
男は、翌朝、甲府へ向かって歩いていった。要と孫は、半日遅れて、別の道を歩いた。
孫が、途中で言った。
「要さん。あれ、九つ目?」
「九つ目の、半分」要は言った。「蝋は、開けられたかどうかを、教える。でも、蝋そのものが、偽物かもしれない。僕の印を、真似されるかもしれない。半分だ」
「残りの半分は」
「わからない。甲府で、わかるかもしれない」
コメント
1件
**はる。** 飛脚の話、めっちゃ良かった……! 要が「蠟」で信用の仕組みを作ろうとする発想、すごく丁寧で好きだわ。開ける前提で設計するって考え方がもう、職人芸だよな。飛脚の男が「開けない」って言ったときの信頼感とか、じわっと来た。まだ半分ってところも気になるし、甲府でどう転ぶか楽しみ🔥 続き、めっちゃ待ってます!