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37 ◇縁談話
「『そんなこと……って』珠代の一生がかかっているのだ。
そんなこととは言えないだろう」
「お父さん、うちが工場をやっていなければそれは大事と言えるかも
しれませんが、うちは製糸工場をやっているのですよ。
人手は必要ですし、まして身内で人手といえば願ったり叶ったりじゃ
ありませんか。
うちは男が僕1人ですから珠代と婚姻を結び義理とはいえ、家族となった和彦くんに
我が社を手伝ってもらえれば鬼に金棒ですよ。
それにですよ、もし本当にお父さんの心配が杞憂にとどまらず
商店が潰れてしまったとしましょう。
彼のところには確か、兄と弟がいるでしょ?
彼らにも来て手伝ってもらえるじゃあありませんか。
和彦くんの兄も弟も真面目ないい青年ですからね。
頼もしい人材候補ですよ。
ゆくゆくは、役職つけて僕の片腕になってもらいますよ。
そりゃあ他人に入ってもらうよりはなんぼか信頼できますからね」
「涼さん、あなた。いつの間にそんな考えができるように……
大人になったのね」
母親が感心をして呟いた。
「そうか、そういう考え方があったか。
盲点だったな。私の跡継ぎはお前しかいない。
そのお前が珠代の連れ合いになる人間をそこまで信用できるのなら
もう私に反対する理由はないな」
**
「ありがと、お兄ちゃん。あたしも家業を精一杯手伝うからね」
「ああ、できる範囲でな。頼むぞ。
それと珠代、今の話は当分、和彦くんにはするな。
彼の実家が困った折に家の家業を手伝ってほしいと
伝えればいいことだからね」
「うん、分かった」
――――― シナリオ風 ―――――
まだ寒さを残しつつも、春を目指して草木が芽吹き始める頃
〇北山家・応接間/午後のお茶時
障子越しにのどかな話し声が聞こえる
家族が紅茶を囲んで談笑している
父、母・千代子、長男・涼が静かに話をしているところへ、
外から駆け込む足音が響く
玄関の戸が開き、草履の音と共に珠代が飛び込んでくる
珠代(鼻歌まじり)「ふふふ~ん♪ ただいまぁ~!」
珠代、口角を軽く上げ、明るい表情で応接間に飛び込む
母・千代子(振り返って)
「あら、珠代? まぁ……なんだか随分とご機嫌ね」
父(紅茶をすする)「何かよいことでもあったか?」
珠代(はじけるように笑い)
「もちろん! だって、私、もうお見合いしなくて済むのよ~!」
涼(紅茶を吹きかけそうになって)
「ぶっ……! な、何……それって」
母も父も目を丸くして見つめる
珠代
「和彦くんがね、今度かその次のお休みに、ご両親と一緒に正式なご挨拶に
来てくださるって。つまり……婚約のご挨拶、だと思うの」
母・千代子
「……え?」
父(眉をひそめ)「……和彦くんが、珠代を?」
珠代(首をかしげて)
「? そうよ。小さい頃から一緒に遊んできた和くんよ?
私、すっごくうれしいの。なのに……何でそんな顔してるの、お父様、
お母様?」
空気が、ふと沈黙に包まれる
〇応接間・沈黙のあと
芙美が気まずそうに紅茶を運んでくる
芙美
「……お嬢様、お紅茶を」
珠代「ありがとう、芙美ちゃん……」
芙美、会話の重たさを察してそっと部屋を退出
父(咳払いをして)
「珠代……それは……正式な話なのか? 口約束ではなく」
珠代(紅茶を口元まで運びつつ)
「たぶん? 和くん、ちゃんと“ご両親と来る”って言ってたから。
向こうのご両親も私のことをある程度ご存じなんじゃないかしら」
母・千代子(視線を落としながら)
「……そう……。でも、珠代。
あなたは、和彦くんのご実家のこと、どれだけ知っているの?」
珠代
「え? 和くんのことは子供の頃から知ってるわ。
真面目で、優しくて……何より、私のことをよくわかってくれてる人よ」
母親が言い淀み、父親が代わって言葉を出す
父
「珠代……折角の和彦くんの想いはありがたいとは思う。
だが……私はその婚儀には賛成しかねる」
珠代(驚愕)「え……っ?」
母・千代子
「ごめんなさいね、珠代。
お母さんも……今は、すぐに“おめでとう”とは言えないの……」
静まった空気と涼の反論
珠代(立ち上がり)
「どうして!? あんなにお見合いだなんだって急かしておいて、私が
本気で好きな人に求婚されたら、今度は反対って――っ!」
珠代、思わず涙ぐみ、言葉が詰まる
涼(両親に視線を向けて)
「父さん、母さん……それはあまりに筋が通らない。
和彦くんがどんな青年か、僕たちは皆知っているじゃありませんか。
小さい頃から妹とは仲良くしてもらっていて付き合いも長い。
傍から見ていても、彼が珠代のことを大切にしてくれている
ことは重々分かるはずです。
それに彼は実に真面目な青年です。
何が問題なんです?」
父が重い口調で答える
父
「……問題は、稲岡商店のことだ。
最近、経営が芳しくないらしい。
年末に、銀行関係の知人からそれとなく耳に入ってな……」
母・千代子
「何かあれば珠代が苦労するわ。
お嫁に行くっていうのはね、恋じゃなくて生活なのよ」
珠代(泣きそうになる)
「つまり、家柄や経済的なことを優先して結婚しろって言いたいの?
私の気持ちなんてどうでもいいってこと!? 酷過ぎる」
父(言いにくそうに)「……いや、そういう意味ではないが」
涼(静かに、だが力強く)「父さん……それなら、僕に考えがあります」
涼(涼の提案)
「うちは製糸工場を営んでいて、人手はいくらあっても困らない。
もし和彦くんの実家の商いが傾いたとしても、彼にはうちを手伝ってもらい
支えてもらえばいいじゃありませんか。
彼を“家族”として迎えれば、工場の将来にとっても心強い」
父(腕を組み)「……ふむ」
涼
「それに、和彦くんには兄弟もいる。いざというときは、
彼らも支えてくれるに違いありません」
千代子(感心して)
「涼さん……あなた、いつの間にそんなふうに……」
父(頷きながら)
「なるほど……確かに、盲点だった。
お前がそこまで言うなら……私はもう反対しない」
珠代、顔を上げる
母・千代子(微笑んで)
「……そうね。珠代の気持ちを尊重してあげるべきかもしれないわね」
珠代、瞳に涙を浮かべ、兄に駆け寄って軽く頭を下げる
珠代
「ありがと、お兄ちゃん。あたしも家業を精一杯手伝うからね」
涼(微笑みながら)
「ああ、できる範囲でな。頼むぞ。
それと珠代、今の話は当分、和彦くんにはするな。
彼の実家が困った折に家の家業を手伝ってほしいと
伝えればいいことだからね」
「うん、分かった」
珠代が持ち込んだ縁談に家族全員の賛同が得られた部屋には、障子越しに
]優しい春の光が差し込み、まるで彼女の明るい未来を祝福するかのよう
だった。