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『束の間の急速〜ヒナゲシ〜』
夜になってようやく一息つけた。様々な業務をこなし、軽い夕食も終えたあと、俺は上着を脱いで少し気を緩めていた。
詰め所の四階にある執務室の窓に立ち、隣の仮眠室から運んだ、ウィスキーを入れたグラスを持っていた。
今は非番の時間だ。それでも腰には日本刀を提げ、いつでも出撃する心構えはあった。
「愛刀が離せないなんて、職業病だな」
ふっと笑いながらウィスキーで唇を湿らせる。あくまで酔う為の飲酒ではなく気分転換。
今日は果実感のある、桃の香りの甘やかさを楽しんでいた。
グラスからカランと氷の音がして、窓から帝都を見渡す。この部屋で飲んでいるのは、ここから見える窓の景色が良いからだ。
視線を景色へと遣れば、そこにはいつもの見事な夜景が広がっていた。
街に寄り添うような仄かな灯りが美しくも、儚い蛍の明かりのよう。
そんないつもと同じ帝都の夜を見て、今日もこの帝都を守れたと思うのが俺の日課。
明日もこの同じ風景を見続けるために、俺は剣を取った。
「そして|妻《環》を娶った……か」
昼間の出来事が既に遠い昔のようで、走馬灯のように蘇るが、その記憶の中でも環の存在は異彩を放っていた。
輝くような金色の髪。
太陽の光を閉じ込めたような金の瞳。
白い肌。
一瞬にして、人を虜にしてしまうかのような魅力を持っていた。その美貌ゆえに『忌み子』といじめを受けているかと思ったほど。
「本人は自分の容姿に無頓着だったけどな」
くすりと苦笑いしてしまう。
異国の血には金髪など珍しくない土地もあるが、環のはそれとは一線を画していた。
そんな風に傍観して環のことを評することは出来るのだが、環と出会った瞬間。
自分の立場などに関係なく、環を手に入れたいという衝動に見舞われた。
そのせいで握り飯を顔で受け止めるという、失態をしてしまった。
自分でもそんな気持ちに動揺したが、気にしてないように振る舞った。
環にもバレてないはずだ。
「まだまだ、修業が足りないか」
小さく呟くと、またグラスの中の氷が音を奏でた。
環に対して、決して一目惚れをしたわけでもない。
浅ましい欲望でもない。
言葉や気持ちに表すとどうにも、安っぽい表現になるが、魂が欲したとか。
絶対に逃したくないとしか──言いようがない気持ちが全身を駆け巡った。
杜若家とか、俺の立場とか。そんなもの全て抜きにして、環が何者でもいい。
「環をこの手に留めておきたいと思う、強い衝動はなんだろうな……本当に不思議な女だ」
自分でも知らない感情のせいで、初めて出会ったと言うのに、環には構ってしまいたくなった。
「普段そんなことはないんだが……」
そうした内なる気持ちに多少の戸惑いはあるが、環の反応が面白いのでいいと思った。
そんなことを抜きにしても、環は自分のことを『|白面金毛九尾《はくめんこんもうきゅうび》』俺のことを『阿倍野晴命』と言うのだ。
俺が阿倍野晴命などと、烏滸がましいにもほどがある。
しかし、そんなことを言われると益々、環に興味を持ってしまう。
きっと環は混乱したか、少女によくある夢見がちな妄想だとか、そう言うことだろうと思ってはいるが口元は緩んでしまう。
「本当に九尾だったら、籠絡されてみたいものだ」
その前に切り倒すがと、心中で付け加える。
他愛のない環の戯言。
それ以上でもそれ以下でもない。そんな環と俺は、もっと違うことを話してみたいと思う。
微笑みながらグラスを軽く揺らして、まろやかな果実香を楽しむ。
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