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何年ぶりだろう?
女の子を抱きしめるのは……。
いや、自分から抱きしめるのは初めてか?
過去のトラウマから女性恐怖症になり、触れられると精神的ストレスからか身体が拒否反応を起こすようになった。
でも桜に触れられても、自分から触れてみてもその反応は起きなかった。
桜のことは、姉ちゃんからよく話を聞かされていた。
「頑張り屋さんで可愛い後輩がいる」と。
会社で立場が上になってから、姉ちゃんはよく暗い顔をして帰って来たのを覚えている。
強がって、俺には愚痴とか何も言わなかったけど、仕事が上手くいっていないことくらいは理解できた。
そんな姉ちゃんがご機嫌で帰って来た日があって……。
「可愛い後輩ができたの。私のこと、初めて認めてくれた。わかってくれる子が一人でもいるって思うと、心が軽くなった」
そんなことを言っていた。その後輩が桜だった。
もちろん俺は今まで一度も会ったことはなくて、姉ちゃんの話だけを聞いていただけだった。職場のことをあんなに楽しそうに話す姉ちゃんは珍しくて、相当良い子なんだろうなくらいに思っていた。
初めて「STAR」で「椿」として会った時も、緊張している桜を見て正直「可愛い」と思ってしまった。女の子らしい雰囲気、まぁ、飼っていた犬の次郎に似てるって感じたのは本当だけど。
この世界で生きているとその人の人間性がなんとなくわかるようになっていた。
オネエとして働いている自分をバカにしているような目、憐みの目、差別的な発言をしてくる人間。綺麗、可愛い、と褒めてくる奴でもそれが本心じゃない奴、そんなのばかりだ。
ただ、純粋に遊びに来てくれるお客さんがいる。
あの場所(STAR)が好きだった。
桜は初めて会った時から噓偽りのない表情をしてくれた。
姉ちゃんが気に入るだけあって、素直な子だと感じた。
あんな子、今時珍しいなと心の中で思った。
俺の犬になりたいって言ってきた時は驚いたけど、懐いてもらえることができて嬉しいと感じてしまった。
こんな気持ちを抱いた自分が不思議だった。
今も自分から「抱きしめたい」と思って、咄嗟に引き寄せてしまったけど……。桜が俺の背中に腕を回して抱き付いてくれ、安心した自分がいる。
「大丈夫?」
声をかけてみるも、桜はまだ泣いていた。
それはそうだ。あんな酷い目に遭っていたんだから。
「大丈夫です」
彼女はそう答えたが、大丈夫なんかじゃない。
頑張りすぎなんだよ。
「目、腫れるぞ。冷やそうか?」
そう問いかけたが、返事はなかった。
しばらくして
「もう少しこのままが良いです……」
桜の言葉を聞いた瞬間、ドクンと鼓動が大きく鳴った。心臓の鼓動が速くなる。
なんだ、この感情?
「わかった」
初めて俺《蒼》に甘えてくれた気がして嬉しかった。
その時――。
「ガチャッ」
玄関のドアが勢いよく開く音がした。
駆け足でこっちに向かって来る音がする。
この音は――?
「桜!大丈夫?」
姉ちゃんしかいない。俺の家のカギ、まだ渡したままだったな。
「えっ……遥さん?」
桜が俺の腕の中で顔を姉ちゃんの方へ向けた。
「なっ……!蒼!桜を泣かせたの!?」
だからなんでそういう発想になるんだよ。
まぁ、俺もキツイこと言っちゃったし、俺のせいでもあるのか。
「違います!蒼さんは私を慰めてくれて」
桜が俺の腕の中から離れた。
「桜ー!心配したよぉ。大丈夫ー?」
姉ちゃんが桜に思いっきり抱き付いた。
「遥さんー!」
桜も姉ちゃんに会えて嬉しそうだ。
「遥さん、子どもさん大丈夫なんですか?熱は?」
落ち着いた様子の桜が心配そうに訊ねる。
「あぁ、昨日はごめんね!うん、大丈夫。熱も下がったし。今日は旦那もいるし」
「すみません。私なんかのために……」
桜の目、泣きすぎてやっぱり腫れているな。
元彼から殴られた頬の部分は、昨日より赤みが引いている。良かった。
「ううん。ねぇ、桜、蒼から少し聞いてるんだけど、私にも話してくれる?昨日のこと……」
彼女はゆっくりと頷き、俺に話してくれたように今までされてきた暴力と昨日のことを姉ちゃんにも話した。
桜の話を聞き終わり「許せない!!」そう言って自分の感情を抑えられないのか、姉ちゃんはグーで机を叩いた。
「おい、壊すなよ?」
姉ちゃんならやりかねない。
「わかっているわよ、そんなこと」
フンっと鼻息を鳴らす。
「私がいけないんです。そんな彼を信じて……。選んで一緒に居たのは私ですから」
落ち着いてくださいと声をかけている。
「桜はこれからどうしたいの?」
「私は……。とりあえず、彼ともう関わりたくないです。お金だけ返してもらって。私が昔貯金してた通帳に、安い物件なら引っ越せるくらいのお金が残っています。彼からカードと通帳を取り返して、一人で新しい生活を送ります。未練は全くありません」
そう話した彼女の顔は、本当に未練などなく気持ちを切り替えられたような明るい顔をしていた。
「今日は、彼氏は仕事?休み?私、一緒に家に行くから返してもらおう。あと荷物、持てるだけ持つから。洋服とかまだたくさん残ってるでしょ?申し訳ないけど、そんな彼氏なら勝手に桜の洋服とか捨てそうだし……」
確かにその通りだ。
穏便に通帳や荷物の話ができればいいけど、無理そうだな。