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《成田空港・出発ロビー》
電光掲示板には、
海外行きの便名がずらりと並んでいる。
欠航の赤い表示はない。
だが、その前に立つ人々の顔には、
いつもの「ワクワク」はほとんどなかった。
スーツケースを抱えた若い夫婦が、
小さな男の子のリュックを整えている。
「ほんとに行くの?」
「今ならまだ飛べる。…向こうで仕事見つかるかは分かんないけど。」
男の子が、不安そうに母親の袖を引っ張る。
「パパ、ばあばは?
ばあばも一緒に来るんじゃないの?」
父親は、
一瞬だけ言葉に詰まった。
「ばあばは…家が好きだから。
あの町を離れたくないって。」
「なんで?」
「…大事な人のお墓とか、
いろいろあるんだよ。」
後ろの列では、
別の青年たちが苛立った声をあげていた。
「は?追加料金?“緊急発券料”って何だよ。」
「需要が集中しておりまして…としか…」
カウンターの係員は、
マニュアルどおりの言葉しか言えない。
SNSライブをしながら
空港の様子を映しているインフルエンサーが、
カメラに向かって叫んだ。
「見てよこれ!
#日本脱出 しようとしてる人たちだらけ!」
「でもさ、
チケット代、普段の何倍だと思う?」
「“逃げろ”って煽るくせに、
逃げられるのは
結局こういう場所に来られる人間だけ。」
コメント欄が流れていく。
〈パスポートすら持ってないわ〉
〈休んだらクビって言われた〉
〈空港遠すぎて無理。地方民は置き去り〉
大型モニターには、
サクラ総理の昨夜の会見のダイジェストが
テロップ付きで流れていた。
『政府は“日本脱出”を推奨しません。
ここに残る人を、
最後まで守り抜くためです。』
ロビーを行き交う人々は、
その言葉を、
聞いているようで聞いていない顔をして
通り過ぎていった。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス作戦室》
壁一面のホワイトボードには、
数字と矢印がびっしりと書き込まれていた。
「ΔV(デルタ・ビー)…0.3mm/sの誤差。」
「スピン軸のプリセッションが、
予想よりも大きいですね。」
白鳥レイナは、
若手たちの議論を聞きながら
画面のグラフを眺めていた。
「まとめると――」
彼女は、
マーカーを手に取る。
「ツクヨミの衝突から
もうすぐ一週間。」
「美星スペースガードセンターと
世界中のIAWN観測拠点から集まった
光度データとレーダー観測で、」
「60メートル級コアの“通り道”は
かなり絞れてきた。」
新しいコリドー図が映し出される。
赤い帯は、
以前よりさらに細くなっていた。
「でも、
“どこに落ちるか”を
市や町の単位で言えるようになるには――」
レイナは、
ボードの端に大きく数字を書いた。
「“あと10日分”の観測が必要。」
「それまでは、
どうしても数百kmの幅は残る。」
若手の一人が尋ねる。
「先生…
プラネタリーディフェンスとして、
宇宙側で“もう出来ること”って
ないんでしょうか。」
レイナは、
ほんの一瞬だけ沈黙した。
「理屈の上では、
小さな“第三の矢”を打ち上げて
最後の微修正を試みる、という案もある。」
「でも、
今から設計して打ち上げて、
距離と時間を考えて…」
「――現実的には、
オメガが落ちる前に
間に合わせるのはほぼ不可能。」
彼女は、
マーカーを置いた。
「だから今のプラネタリーディフェンスは、
“宇宙の殴り合い”から
“地上の生存戦略”に
フェーズが変わったと思っていい。」
「どこが最終的なターゲットになるのかを
できるだけ早く、正確に知らせる。」
「そして各国が
避難シミュレーションを回せる時間を
1時間でも多く稼ぐ。」
「それが私たちの仕事。」
別のスタッフが、
画面のニュースを指さした。
「先生、日本では
“日本脱出”がトレンドになってますけど…」
「科学者としては、
どう見ますか。」
レイナは、
苦い笑みを浮かべた。
「“逃げたい”って思うのは、
当たり前。」
「でも、
どこか一つの場所が壊れたら、」
「物流も、気候も、経済も、
結局世界中に波紋が広がる。」
「“安全な場所”って、
そんなにきれいに
線で分けられるものじゃないのよ。」
「…それに。」
彼女は窓の外を見た。
「誰かが“最後の一秒まで
ここを見ている役”を
やらないと、
次の隕石が来たとき、
誰も気づけなくなる。」
「私は、
その役を降りるつもりはないわ。」
《黎明教団・配信スタジオ》
柔らかな照明。
白い布だけを背景に、
天城セラが椅子に座っている。
その目は、
まっすぐカメラを見つめていた。
「みなさん。」
「“日本から逃げたい”という言葉が
たくさん聞こえてきます。」
「空港に行列ができて、
パスポートセンターには人が溢れ、」
「SNSでは
“どこが安全か”という地図が
飛び交っている。」
彼女は、
ゆっくりと首を振る。
「でもね。」
「石は、
“地図の上の線”なんて
知りません。」
「国境も、
パスポートも、
お金も、学歴も。」
「全部、
この百年くらいの
人間が勝手に作ったルールです。」
コメント欄が流れる。
〈そうだよなー〉
〈結局どこ行っても死ぬ時は死ぬ〉
〈でも怖いもんは怖い〉
セラは続ける。
「黎明教団は、
みなさんに“逃げるな”とは言いません。」
「どこにいてもいい。
海外でも、日本でも。」
「大事なのは、
“あなたの魂が
どこに立っているか”です。」
「破壊から創造へ。
そして“選ばれた人類の世界”へ。」
「オメガは、
そのための“光”です。」
「社会に蔑ろにされ、
何度も何度も踏みつけられてきた人たち。」
「どれだけ頑張っても
報われなかった人たち。」
「その人たちが、
“この世界ごとリセットされればいい”と
願ってしまうことを、」
「私は責めません。」
画面には、
遠くヨーロッパや南米からの
コメントも混じり始めていた。
〈ブラジルから。こっちでも信者増えてる〉
〈フランスでもセラの動画が翻訳されてるよ〉
「逃げてもいい。
残ってもいい。」
「ただ――」
「“光を拒絶する側”に
回らないでください。」
「それが、
黎明教団からの
たった一つのお願いです。」
静かな声が、
世界中の画面に
じわじわと染み込んでいった。
《首都圏・とある家庭のリビング》
こたつの上には、
夕食の残りと
プリントの山。
中学生の娘・葵が、
テレビを見つめたまま箸を止める。
「今日も総理の会見、
見るの?」
母親がリモコンを握って頷く。
「せっかく毎晩やってくれてるんだから、
聞けるときは聞いとこうかなって。」
父親は缶ビールを開けながら
苦笑した。
「“毎晩不安を積み増すタイム”
じゃないといいけどな。」
画面に、
鷹岡サクラが映し出される。
『――本日のオメガとコリドーの状況について
お伝えします。』
娘がぽつりと言った。
「なんか、
“テレビの向こうのお母さん”
って感じだね、あの人。」
「本当のママじゃないけど。」
母親が笑う。
「そうね。
全国の“心配性なお母さん代表”
って感じかも。」
葵は、
こたつの中で膝を抱えた。
「ねえ。」
「ほんとに日本に落ちるかもしれないのに、
私たち、
ここでご飯食べて、
学校行って、
普通にしてていいのかな。」
父親は少し考えてから、
ゆっくりと言った。
「“普通にする”ってさ、
“何も考えないで生きる”ってことじゃないと思う。」
「“怖いって分かった上で、
それでも今日の宿題をやる”とか、」
「“ちゃんとご飯食べて風邪ひかないようにする”とか。」
「そういうのも、
生き残るための準備の一つじゃないか。」
葵は、
テレビの中のサクラを見つめる。
(この人も、
家族とかいるんだよね。)
(自分の子どもだって
本当は守りたいはずなのに、
毎晩こんな顔して
全国の前に立ってるんだ。)
画面の中で、
サクラが言う。
『――本日も、
“今日分かったこと”と
“まだ分からないこと”を
分けてお話しします。』
『そして、
“ここに残ることを選んだ人たち”が
少しでも安心して眠れるように、』
『国としてできることを
全力で続けていきます。』
葵は、
小さく深呼吸をした。
「…じゃあ、
とりあえず明日の数学の小テスト、
がんばるか。」
母親が笑う。
「それ大事。」
父親も笑う。
「うん。
それも立派な“地上のプラネタリーディフェンス”だ。」
Day23。
オメガ予測落下日まで、
あと23日。
宇宙では
60メートルの石が
静かに軌道を進み、
地上では
行ける人と、行けない人、
残る人と、出ていく人、
祈る人と、壊そうとする人が、
それぞれの場所で
自分なりの「逃げ場所」と
「立つ場所」を
探し続けていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.