テラーノベル
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街では人だかりができていた。その中心では、少年が大量の新聞を抱え、行き交う人に配っている。人々の手に渡る新聞には、見出しが大きく刻まれていた。
“ハーロルト・ギッター、ルーケ党の襲撃により死亡”
読み上げる声には、恐怖と悲しみが混ざっていた。群衆はざわめき、互いの顔を見合わせ、言葉少なに頷く。ハーロルトと共にいた使用人たちが首都に戻り、二人の死を伝えたことで、国中に広まっていたのだ。
それはもちろん、ギッター家にも伝わっている。広間には、重苦しい沈黙が満ちていた。分厚いカーテンが陽の光を遮り、わずかに揺れる蝋燭の炎が、壁に長い影を作る。
「……信じられん。」
父親は新聞を握りしめたまま、かすれた声を漏らした。
「ハーロルトが、死んだだと?」
「父様……報告は確かです。北の別邸にいた使用人たちが確認したと。」
兄は静かに答えた。彼の声は冷静を装っていたが、わずかに震えていた。
「ルーケ党はまだ諦めていない。兵を出せ。こんな野蛮な奴らに政権を握られて堪るか。」
父を止める余裕は残されていなかった。壁に掛けられた地図が、燭台の炎に揺れる。赤い印が散らばったその地図は、かつての戦場を示していた。あのとき終わったはずの戦。だが、その火は完全には消えていなかった。灰の下に潜んでいた炎が、再び息を吹き返そうとしている。
兵士たちが動き始め、武器を磨く音が夜気の中に響く。
「ギッター家が動くらしい」
「また戦が始まるのか……」
「平和なんて、やはり幻想だったんだ……」
空は曇り、街の上に低く重たい雲が垂れ込める。
その頃、“死んだ”とされた青年と少女が、遠い国境の森を歩いていた。冬を越えた木々は新しい芽をつけ、淡い緑が陽の光に透けて揺れている。雪解けの水がせせらぎを作り、小さな鳥たちが枝から枝へと飛び交っていた。
「……ここまで来れば、追っ手もいないだろう。」
青年は深く息を吐いた。その吐息に、ほんのりとした暖かさが混じる。二人の間を、鳥のさえずりが木霊する。街の喧噪も、煙の匂いも、赤い空もここには届かない。ただ静けさだけがあった。
「あの国は、どうなるのでしょう。」
少女の問いに、青年はしばらく黙っていた。森を抜ける風が髪を靡かせ、川のせせらぎが彼の沈黙をやわらかく包み込む。
「きっと……戦になる。」
その声は低く、どこか遠い記憶をたどるようだった。
「私たちの死が伝わった時点で、父は動くだろう。ギッター家の誇りを守るために。ルーケ党もまた、復讐の機会を逃さない。指導者がいなくなったとしても、結局誰も止められない。あの国はもう、自分の正義だけで動いている。」
少女は小さく唇を噛んだ。
「正義とは、人を守るための言葉だったはずなのに。」
青年は頷いた。
「私たちは皆、自分の正義をぶつけてきた。だが、それでは誰かを不幸にし続ける。」
少女は足を止め、そっと空を仰いだ。枝の隙間から差し込む光が、淡く彼女の頬を照らす。鳥の羽ばたき、春風、そしてどこか遠くの鐘の音。すべてが、ひどく遠い世界の記憶のように感じられた。
「……それでも、私は信じたいです。」
「信じる?」
「はい。誰かの正義が、いつか他の誰かを救う日が来ると。戦いのない国で、人が人として笑える日が来ると。……あなたが見たかった美しい星空の世界を、私は信じたいんです。」
少女の瞳には、確かな光が宿っている。戦で失われたはずの希望を、彼女はまだ手放していなかった。その光を見ていると、胸の奥に、ほんのわずかだが温かな痛みが広がっていく。
「私は、もう信じ方を忘れてしまったのかもしれない。」
「なら、私が教えます。」
少女は微笑んだ。
「星空を描くように。ひとつずつ、少しずつ。」
その言葉に、青年の肩から力が抜けた。彼は静かに歩み寄り、少女の肩に手を置く。その指先が、確かに温もりを持っていた。もう、戦場の血に染まった手ではない。人を救い、誰かと生きるための手だった。
「君といると、私はまだ生きたいと思ってしまう。」
青年の言葉は、まるで祈りのように聞こえた。長い間、彼が背負ってきたもの。罪、責務、そして誰も知らない孤独。そのすべてが今、風の中にほどけていくようだった。
誰も知らない場所で、名の無い青年と少女が小さな未来を語り合う。
その足元で、小さなスノードロップの蕾がほころんだ。
スノードロップ ─完─
コメント
12件
うおおおおおお一気読みしてきた 私は信じていたよ ハーロルト様は死なないって(膝ガクガク) 「誰かの正義がいつか他の誰かを救う」 これ、なんか言い表せないけどめちゃくちゃ好き 「誰かの正義は誰かにとっての悪」みたいな言葉があるから、この言葉めっちゃ刺さったよ 完結お疲れ様でした!!
完結お疲れ様!! スノードロップの花言葉は怖いものが有名だけど、「逆境の中の希望」って花言葉もあるんだよね レイラちゃんとハーロルトさんが幸せに余生を過ごせますように……………