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水瀬菜音
11,918
#岩本照
絶対辰哉
525
#BL
うさみみ
20
翌週。
「こんにちはー!」
すっかり見慣れた森の入口へ足を踏み入れ、少し声を張り上げて挨拶すると、木々の向こうの開けた広場から、待ってましたとばかりに元気な声が飛んできた。
『大ちゃんやー!』
ばさっ、と大きな炎の翼を広げ、周囲の空気を爆ぜさせながら、文字通り一直線に飛んでくるこうちゃん。
その勢いがあまりにも凄まじくて、彼の後ろからは翔太さんが溜息を吐き、涼太さんは相変わらず《佐久間、お帰りー。》とのんびり猫の手をひらひら振って迎えてくれる。
「康二、お前デカくなってから風圧すげぇんだよ。少しは加減しろ。」
『ごめーん!』
翔太さんの苦言に笑いながら謝るこうちゃんの姿を見て、僕の口元からも思わず笑みが零れる。
「ふふ、実は今日は皆さんにお土産を持ってきたんです。」
背負っていたリュックを下ろして取り出したのは、修道院で作ったクッキー。
「皆さんで食べられたらと思って。」
『えっ、ほんま!?これめっちゃ好きやねん!』
こうちゃんの目が一気に輝き、興奮を抑えるようにしてボウッと炎の衣を消すと、瞬時に見慣れた人間の姿へと変化する。
『マジか!』
『…これ、この前の美味しかったやつ…。』
翔太さんも途端に興味を示して僕の背中越しに身を乗り出し、涼太さんに至っては既に僕の手元にある袋の中をじっと覗き込んでいた。
そんな風にわいわいと群がる、その少し離れた先。照さんは何も言わず、その様子をただ静かに眺めているだけだった。けれど。
(…あれ?)
気の所為だろうか。照さんの視線がちらちらと何度もクッキーの袋へと向いている。あからさまに欲しそうにするわけではないけれど、その瞳は明らかにクッキーを気にしているようで。
「照さんも、良かったらどうぞ?」
「いい。」
案の定、ふいと横を向いて断る。けれど、その目が泳いでいるのを僕は見逃さなかった。
「そう言わず、一枚だけでも。折角人数分持ってきたんですから。」
「、…じゃあ…。」
根負けしたように低く呟きながらも、照さんは差し出された一枚に手を伸ばし、綺麗に焼き目のついたそれを大きな指先でそっと摘んだ。
さくっ、と静かな音が静謐な森の空気に溶ける。
ゆっくりと口の中でクッキーを噛み締める照さん。その端正な顔立ちの緊張が、ほんの少しだけ、本当に僅かだけれど柔らかくなるのを僕は見逃さなかった。
「…えっ、うま。」
ぽつりと零れたその一言が何だか無性に嬉しくて、僕の頬も自然と緩んでしまう。
「よかったです、お口に合って。」
照さんはそれ以上何も言わない。ただ数秒、僕の手にある照さん用の袋を無言でじっと見つめると…すっ、とバツの悪そうに、もう一度だけ大きな右手をこちらへ差し出してきた。
「…もう一枚。」
「、ふふっ!」
あまりにも分かりやすい催促に、僕は思わず声を立てて噴き出してしまった。慌てて口元を押さえるけれど、愛おしさが込み上げて笑いが止まらない。
「はい、どうぞ?」
いっそのこと、と袋ごと手渡すと、照さんは少しだけ気まずそうに視線を斜め下へと逸らしながら、それをしっかりと受け取った。
「…悪いな。」
「いえ、喜んでもらえて何よりです。」
僕はくすくすと肩を揺らしながら、照さんの顔を覗き込むようにして尋ねる。
「照さん、実は甘いもの好きなんですね?」
「まぁ、…嫌いじゃない。そもそも俺達に食事は必要ないけどな。」
そっけないフリをしたその無愛想な返事に、胸の奥が温かいもので満たされていく。
「いや照にぃ、めっちゃ好きやん!いつも俺らが食ってるやつ横目で見てる癖に!」
「康二、うるせぇ。」
「あいたぁっ!」
余計な暴露をしたこうちゃんが照さんに軽く小突かれ、大袈裟に頭を押さえながら楽しそうに笑う。その場にいつもの賑やかな笑いが広がる中、こうちゃんはクッキーの袋を持ったまま、ふと何かを思い出したように辺りを見回した。
「めめも一緒に食べよやぁ!」
こうちゃんが呼びかけたのは、広場から少し離れた、鬱蒼と生い茂る木陰だった。皆の賑わいから敢えて距離を置くようにして、静かに座り込んでいた蓮さんへ、こうちゃんは大きく腕を振る。けれど。
『…要らない。』
頭の中に響いたのは、酷く冷淡で短い拒絶の念話だった。こちらを見ようともせず、ただ闇に溶けるような黒い身体を固く丸めている。
さっきまでの弾けるような賑やかな空気が、冷水を浴びせられたようにほんの少しだけ静まり返る。
姿を人へと変えた翔太さんは《美味いのになぁ、》と肩を竦め、涼太さんは何も言わず、うんうん、と静かに頷きながら自分用のクッキーを器用に口へ運んだ。二人の様子を見るに、蓮さんがこうして一定の距離を置くのはいつものことなのだろう。
僕は差し伸べる言葉も見つけられないまま、ただその孤独な背中を静かに見つめることしかできなかった。
その日の帰り道。
夜の森の中、修道院の手前まで送ってくれる照さんの大きな背中に揺られながらも、僕の頭からは先程の出来事がずっと離れずにいた。
「…照さん。」
『ん?』
背中から伝わる低い振動のような声。僕は少しだけ言葉を選び、照さんの少し硬い毛並みに指を沈めながら問いかけた。
「蓮さんって…その…。」
『……何だ。』
「皆さんと過ごしているのに、こうちゃん以外には、どこか心を閉ざしているように見えて。何か、あったんですか?」
照さんは暫く何も答えなかった。ザッ、ザッ、と彼が力強く草を踏みしめる音と、森を吹き抜ける夜風の音だけが、静かに僕達の耳を通り抜けていく。
質問が不躾だっただろうか、と後悔し始めたその時。 彼が歩みを止めずに、溜息を小さく吐き出すのが分かった。
『…聞いて後悔するなよ。』
低く、けれどどこか切なさを孕んだ声でそう前置きをすると、照さんは静かに、蓮さんの過去を語り始めた。
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