家の中にあがってダイニングへ通されたあと、ヒルデガルドは緊張に身をカチコチにしながら椅子に座った。エルマがほどなくコーヒーを運んできて、ひと口飲んで口を潤す。その温かさが、ゆっくり気持ちを解してくれる。
「……すみません、わざわざあげてもらって」
「敬語じゃなくていいわ。あなたのほうが立場は上だし」
ギルドでは受付よりもゴールドランク以上の冒険者の地位が高い。命懸けで戦うような依頼を受ける機会が増えるのが、その主な理由だった。それになにより、エルマはヒルデガルドが緊張しているのが目に見て分かったのが大きい。
「クレイグのことは、その、私のせいで」
傍にいたにも関わらず、彼の命を救えなかった。後悔が胸中に押し寄せるのを感じて言葉に詰まってしまう。なんと謝れば良いのかさえ分からない。
「良い男だったでしょ、あいつ」
エルマがニコニコして尋ねた。
「え……ああ、すごく。頼もしい奴だった」
「だったら、誇りに思ってほしいな」
ヒルデガルドは顔をあげて、驚きに目を丸くする。
「あいつも同じようなことを、君に伝えたがっていた」
それを聞いてエルマはぷっと小さく噴き出す。クレイグとは、まだそれほど長いとも言えないながら、心ではきちんと通じ合っている。だから、どんな言葉が待っているかなど容易に想像がついていたし、考えも同じだった。
「もともと危険な仕事でも顧みないタイプの人だったから、結婚前に大きく稼いで楽をさせたいなんて口癖みたいにも言ってたし、こんなことがあるんじゃないかと少しは覚悟してたの。実際、キツいところはあったけど」
愛する者の死を簡単に受け入れられるはずがない。ヒルデガルドには、その気持ちが理解できた。ひとつ違うのは、エルマがとても心の強い女性であることだ。泣き崩れてもおかしくない状況で、彼女は涙をみせるどころか笑顔なのだ。
「でも、楽しそうにしてるあの人を止められるわけもなくてね。私も、無理に止めておけばよかったって思ってる。だけどいまさらじゃない? いくら頼んだって叫んだって、あの人は帰ってこないから、今は少しでも前を向きたいの」
うーんと伸びをして、エルマはまた笑顔をみせた。
「泣いてる姿ばっかり見せたら申し訳ないものね。あなたが選んだのは、あなたくらい頼もしい奴だって思わせたくて。……だから、来月には首都に引っ越そうかなって思ってる。心機一転、って奴かしらね? もともとあっちで暮らしたかったから」
知っている、とヒルデガルドは何度か頷き、カップを両手に持った。
「君は強いな。私も、少し羨ましく思う」
空になったカップをそっと置いて、席を立つ。
「クレイグに出会えてよかった。もちろん君にも。……イルフォードには、まだしばらく滞在しておいてくれ。誰にも言わないでほしいんだが、二か月後に首都は戦地へ変わるかもしれない」
手には竜翡翠の杖を持ち、ローブを翻して背を向けた。
「大賢者の称号を持つ者として最善は尽くすが、所詮、私も人の子だ。何もかもが思い通りにできるほど強くはない。それでも、少しは役に立ってみせよう」
「え? 待って、あなたって……そんな、大賢者様?」
ヒルデガルドはゆっくり首を横に振って。
「ただ、そう呼ばれているだけの、ただの魔導師だよ。君の大切な人さえ守れなかった、どこにでもいる魔導師だ。すまない、今は、それだけしか言えないが……かならず、全てを終わらせるから。だから待っていてほしい」
エルマはフッと笑って、その背中を優しく押しながら「期待はしない。でも待ってます」と、答えて彼女を送り出す。きっと、クレイグならそうしたから。
わだかまりもなく別れ、勇気をもらったヒルデガルドは、またイルフォードの町へ繰り出した。最初よりも足取りは軽やかだった。
これからまた、ひとつずつ進まなくてはならない。たとえ嫌でも、自分にしか出来ないことがあるはずだから。そんな思いを胸に、帰路へ就く。
(……二ヶ月。短いようだが、それだけあればなんとかなるだろう。イーリスも、これからイルネスの元を定期的に訪ねて修業に励むはずだ。そのあいだに、私も、さらに力をつけておく必要があるかもしれないな)
デミゴッドを相手に、それなりの消耗を強いられるのは確実だ。そこへクレイもいるのだから、一筋縄ではいかない。イーリスの魔力を借りるなど戦場ではとても不可能だ。自分ひとりで打開するためには、もっと強さが欲しいと思った。
「やあ、これはヒルデガルドさん」
声を掛けてくる中年の優男に、彼女は微笑みかけた。
「久しぶりだな、アディク。疲れた顔をしているじゃないか」
「ふふ、お互い忙しそうで。怪我がないようで安心しました」
「肉体的には問題ない。だが、多くの仲間を失ったのは痛いよ」
「ギルドの運営者としては同じ気持ちです、本当に」
アディクはそうだ、と小さく手を叩く。
「よろしければ、少し飲みませんか。久しぶりにお話でも」
「それならイーリスも誘って構わないか?」
「もちろんです。ギルドの前でお待ちしていますので、ぜひ」