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「亜希《あき》、ついに月9ドラマのW主演でヒロイン役のオファーが来たぞ!やったな!」
社長室へ足を踏み入れると、事務所の社長が興奮した目で私を見つめ口を開いた。
その言葉にそばにいたマネージャーが歓喜の声をあげる。
「亜希、ついにだね!やったね!これまでの亜希の頑張りが身を結んだね!」
驚きで固まっていた私も次第にじわじわと喜びが身体中に広がり、嬉しさで泣きそうになった。
ここは中堅の芸能プロダクションで、私はこの事務所に所属する女優だ。
本名「秋月環菜《あきつきかんな》」、そして女優としては「神奈月亜希《かんなづきあき》」という名前で活動している。
大学3年生の時に街でスカウトされ、26歳の現在まで地道に女優としてのキャリアを積み重ねてきた。
最初はスカウトされて興味本位で始めてみた演技だったが、その奥深さと面白さにのめり込み、今や私の生活には欠かせない存在となっている。
ここ数年は多くのドラマや映画に呼んでもらえるようになってきて、メディアへの露出も増えた。
特に先日メインキャストの1人として出演した朝ドラでのヒロインの親友役の演技は話題となり、お茶の間での知名度も上がった。
「人気急上昇中の女優」、「注目の女優」として特集を組んでもらうことも増えてきたのだ。
そうして今回のW主演での月9ヒロインのオファーである。
これまでの努力が身を結ぶのを実感して達成感を感じるとともに、また新しい役へ挑戦できることにワクワクする。
「ありがとうございます!社長や皆川《みながわ》さんのおかげです!社長、その役ってどんなお話のどんなヒロインなんですか?」
私は一番気になっていたことについて質問した。
社長は得意げに説明を始める。
「あぁ、少女漫画原作の恋愛ものだ。お前の役は、ヒーローの幼なじみで恋人になる役だ。素直で可愛いヒロインで清純派女優のお前にぜひとのことだ。両片想いのむずキュンがテーマらしいぞ」
「素直で可愛い‥‥。清純派女優の私に‥‥」
(あぁ、また同じような役か‥‥)
月9ヒロインはもちろんすごく嬉しいのだが、できれば今までにやったことのない新しい役にもチャレンジしてみたいと思っていた私は少しだけ落胆する。
事務所の方針で清純派女優として売り出しているからしょうがないのだろうと理解はできる。
だが、そろそろ殻を破りたい気持ちも燻っていた。
「あの、清純派っていつまでその路線で行くんでしょうか?」
「お前は清楚で癒し系な見た目だからな。あんまり喋らなければ、女優としてはまだまだ清純派のままでいけるだろう」
「‥‥そうですか」
社長室を出ると、マネージャーの皆川さんがフォローするようにこそっと声をかけてきた。
皆川さんは38歳独身の男性で、彼こそが街で私に声をかけてきた張本人である。
裏方にするにはもったいないと言われる知的な感じの男前で、共演する女優さんにも人気がある。
ただ私にとっては、男前とか関係なく、スカウトされた頃から今まで5年間を共に歩んできた信頼しているマネージャーだ。
「亜希、清純派路線に不満があるんだよね?もっと色々演じたい亜希の気持ちは分かってるよ。でも今はまだ我慢の時だと思うよ」
「‥‥うん、分かってる」
「亜希の性格は勝ち気で負けず嫌いだし、見た目とギャップがあるから清純派と言われることに居心地の悪さを感じるのは理解できるよ」
「社長も喋らなければって言ってたしね」
私は自嘲気味に苦笑いする。
皆川さんは困ったように少し眉を下げた。
「喋ってももちろん亜希は亜希だし、僕は魅力的だと思うよ。ただ、まだその時じゃないだけだ。とりあえず今は月9ヒロインのオファーを喜ぼう」
「うん」
皆川さんの言うことは正しい。
今はどんな役であれ、頂いた貴重なチャンスを大切に真摯に取り組むしかないのだ。
私が納得した様子なのを見届けると、皆川さんは「ちょっと事務仕事があるから」と私をその場に残してオフィスの方へ向かった。
私はカフェスペースに腰を下ろしてコーヒーを飲みながら皆川さんを待つことにした。
公共交通機関は極力使うなと言われていて、皆川さんの車で送迎してもらうかタクシーかのどちらかで最近は移動している。
今日は皆川さんが送ってくれるそうだ。
コーヒーを飲みながら、先程手渡された月9の台本に目を通していると同じ事務所に所属する女優の千葉真梨花《ちばまりか》が歩いてきた。
24歳の真梨花は私より年齢は下だが、高校生の頃から読者モデルとして活躍し女優となったのでキャリアは私より上だ。
可愛い系の容姿の真梨花は、あざとさが鼻につくと女性人気が低く、演技も棒読みだと酷評されていた。
特に親しくはないが、同じ事務所なので会えば話すという間柄だった。
「亜希さんじゃないですかー!最近活躍されてるみたいですねぇ?」
「ありがとうございます」
最近仕事が減っていると漏れ聞いていたので、そう言われるとちょっと気まずい。
私は自慢気に聞こえないように事務的に答えた。
「あたしなんて全然ですよ~。ドラマも映画もオファー来ないしぃ」
「‥‥そうなんですね。お互い頑張りましょう」
「そういえばさっき聞いたんだけど、亜希さんってば月9ヒロイン決まったんでしょ?それその台本?お互い頑張ろうなんて言って絶好調じゃないですかぁ~。嫌味ですかぁ?」
「いえ、そんなつもりは‥‥」
立っている真梨花は男性には見せないであろう表情で私を見下ろす。
その瞳には激しい嫉妬の色が浮かんでいた。
私はその目を見ながら、心の中でつぶやく。
(もっと真面目に努力すればいいのに。それを怠ってるくせに嫉妬しないで欲しい。あなたが若手俳優やアイドルと夜な夜な飲み歩いてるのは業界でも有名なんだけど)
「まぁいいですけどねぇ。亜希さんがこんなふうに調子に乗ってられるのもあとちょっとですしぃ?」
「‥‥?」
「ふふふっ。何のこと?って顔してますね。大丈夫、そのうち分かりますよぉ」
真梨花は私を嘲笑うかのようにクスクスと笑うと、意味深な言葉だけを残してその場を去って行った。
入れ替わりに皆川さんがやってくる。
「亜希、どうかした?」
真梨花の言葉に何か引っかかるようなものを感じた私はその意味を考え込んでいて、皆川さんの声で現実に引き戻された。
「ううん、なんでもない」
本当はまだ気になっていたが、皆川さんを心配させたくなくて取り繕った。
(真梨花のあの悪意に満ちた言葉と笑いが引っかかるけど、これ以上考えてもしょうがないよね‥‥!)
振り切るように軽く頭を振り、私は立ち上がって駐車場へ向かうと皆川さんの車に乗り込んだ。
「今日はもう予定してたスケジュールは終わったけど自宅に直帰でいい?」
「うん、お願いします」
車が発車し、私は後部座席の窓から外を眺める。
12月上旬の街並みは、ライトアップされているところも多くクリスマスモード全開だ。
イルミネーションを見ながら手を繋いで歩くカップルの姿が見え、ラブラブな様子がまぶしくて思わず目を細めた。
(羨ましい‥‥。もう何年も彼氏なんていないな。恋愛の仕方なんて忘れちゃった‥‥)
最後に彼氏がいたのは大学生の頃だ。
大学が一緒の同い年の彼氏とは、私がスカウトされて演技にのめり込んでいくと、それと比例するように距離ができてしまい、浮気されて別れた。
それ以降は、演技力を磨くことしか眼中になく、恋愛からは遠ざかっていた。
事務所としては完全に恋愛をNGにするのではなく、きちんと相手を報告すること、スキャンダルには細心の注意を払うことを条件に認めている。
残念ながら私には相手すらいないから報告する機会も今までなかったのだけど。
もちろんドラマや映画でラブシーンを演じることはあったけど、それはあくまで演技であり、仕事だ。
こんな仕事をしていると、周囲には容姿端麗な人が多く、目だけは肥えてしまっている気がする。
「どうしたの?そんな物憂げな顔して」
「ん~カップル見ていいなぁって思ってた」
「亜希がそんなこと言うなんて珍しい。恋愛は興味なかったんじゃないの?」
「そんなことないよ。縁がなかっただけ。演技の方が楽しかったから」
「事務所としては報告さえちゃんとしてくれればいいよ。スキャンダルだけは女優生命の命取りになるからこっちとしても把握したうえで戦略立てたいしね」
「うん、それは理解してる。もしそんなことがあったらちゃんと報告する。全く予定はないけど」
もう恋愛の仕方さえ忘れた私だから、当分そんなことはないだろう。
それにしても、「恋愛ってどんなのだっけ?」という状態の私が、世の中の人が憧れるようなラブストーリーを演じてるなんて、とんだ皮肉だ。
よっぽどそこらの大学生やOLさんの方が、素敵な恋をしているに違いない。
「皆川さんは彼女作らないの?ずいぶんいないよね?」
私が知る限り、皆川さんが私のマネージャーになる直前くらいには彼女がいたらしいが、ここ数年は話を聞かなかった。
「僕はいいよ。それより今は亜希をもっと有名にしたい。国民的女優になれる逸材だと思ってるから」
「皆川さん‥‥。ありがとう」
私の才能を見つけて、私に演技という世界を教えてくれた皆川さんには本当に感謝していた。
皆川さんのためにも、もっと良い女優になりたいと思う。
話しているといつの間にかマンションの駐車場に着いた。
私の住むマンションは、事務所が用意してくれたところで、24時間コンシェルジュがいるセキュリティが万全なところだ。
芸能人御用達のマンションとして有名だった。
「じゃあ明日は昼から雑誌のインタビューとCM撮影があるからまた迎えに来るね。ゆっくり休んで」
「ありがとう。おやすみなさい」
皆川さんに挨拶をして、住人専用の入口から中に入ってエレベーターに乗った。
家に着くと「ただいま」とつい癖で言ってしまったが、もちろん誰からの返事もない。
私はここに一人で住んでいるからだ。
私の両親は幼い頃に事故で他界している。
物心つく前のことで私は正直覚えておらず、両親の顔もうろ覚えだった。
そんな私を育ててくれたのは、母方の祖父母だ。
小学生の頃に「なぜ親がいないの?」と同級生に言われ、両親がいないことでバカにされたくない、負けたくないと思った私は、何事もやると決めたら徹底的に頑張る負けん気の強い女の子に育った。
祖父母には心配をかけたくなくて、なんでも一人で解決してきたように思う。
こういった性格は今もそのままだ。
ただ外見はおっとりした癒し系だそうで、男性に守られて生きていそうなタイプに見えるらしい。
だから、見た目と中身が違うねとよく言われるのだろう。
そんな私を育ててくれた祖父母も昨年相次いで他界し、私は天涯孤独となった。
メディア露出が多くなり、祖父母に私がドラマや映画で活躍しているところを見せることができたことは良かったが、願わくば主演しているところを見てもらいたかった。
一人になってしまった私の心を支えてくれたのは演技だった。
演技をしている時だけは、全く別人になり、他の人の人生を歩める。
演技は仕事でもあるけど、今や私の人生になくてはならないものなのだ。
キッチンでコーヒーを淹れると、ソファーに座り、またさっきもらった台本を読み始める。
まだキャスト顔合わせや台本読みは先だけど、私はペンを片手に台本に目を通しながら、ポイントに印をつける。
役の心情になりきり、こうやって台本を読む時間が私はなにより好きだった。
時間を忘れて夢中になって読んでいると、もう夜も遅くになってしまっていた。
(いけない‥‥!明日はCM撮影もあるから早めに寝ないとお肌が荒れちゃう!)
急いで台本を片付け、シャワーを浴びて就寝の準備をし、私はベッドに横になった。
目を瞑ると、ふと昼間に会った真梨花の言葉を思い出す。
(調子にのってられるのもあと少しってどういう意味だろう?真梨花さんが何か大きな仕事でも得られたってこと?それにしては不吉な予言って感じだったけど‥‥)
考えても考えても分からず、私はこれ以上思い悩むのはやめにした。
そのうち分かると言うなら分かるのだろう。
今考えてもしょうがないことだと思えた。
たが、私はこの時もっと注意深く考えてみるべきだったのだ。
そのうち分かるという言葉のとおり、それは翌朝に露見し、私の人生を大きく変えることになるのだったーー。