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雪柱と霞柱
つむぎさんが亡くなったあの日、 声も涙も枯れるくらい泣きじゃくった僕は、その翌日と翌々日に執り行われた通夜と葬式に参列することができなかった。
高熱を出して寝込んでしまい、外出を許してもらえなかったんだ。
任務後休みもせず全力疾走して蝶屋敷に戻ってきて、つむぎさんの訃報に何時間も大泣きしてたもんだから、全身が鉛のように重たくて、頭がかち割れそうに痛くて、こっそり抜け出す体力さえなかった。
ちゃんとお別れしたかった。
たくさんのお花をつむぎさんに贈ってあげたかった。
大好きだよ、ありがとうって伝えたかった。
熱が下がった途端、僕は鍛錬に明け暮れた。
そうしていないと、悲しくて悔しくて、身体も心もぐちゃぐちゃに押し潰されそうだった。
任務にも休みなくあたった。
軽率に命を擲つわけではないけど、忙しくしていたほうが気が紛れてよかったんだ。
鬼を倒しまくって、修行しまくって、どんどん階級が上がっていった。
そして、僕が剣を握って2ヶ月くらい、つむぎさんが亡くなって2週間くらい経った頃、僕は鬼殺隊の“霞柱”に就任した。
初めての柱合会議で、雪柱だったつむぎさんの席に僕が座る。
屋敷を新しく建てようってお館様が言ってくれたけど、雪柱の屋敷を譲り受けたいと頼んだら快く承諾してくれた。
つむぎさんが残した遺言書に書かれていたんだ。“雪柱の屋敷は必要な人が好きなように使ってほしい”って。
隊士の宿舎から、元雪柱邸に引っ越す。
元々荷物なんて殆ど持ってないからすぐに終わった。
家財道具もそのまま使わせてもらうことにした。
豪邸ではないものの、稽古ができるような広い道場も造られてある。
畳張りと床張りの道場。前者はきっと、つむぎさんが剣や柔術の修行だけでなく舞のお稽古をする時にも使っていたんだろう。
どの部屋も掃除が行き届いていて綺麗だった。
つむぎさんの息遣いが聞こえる気がする。
僕は懐から簪を取り出して寝室の飾り棚に置く。
つむぎさんがいつも髪に着けていた、花と雪の結晶の形をした水引細工の簪。
これは僕が譲り受けた、つむぎさんの形見。
直接もらったわけではないけど、これが目に見えるところにあれば自分の精神安定剤になると思ったんだ。
甘露寺さんは万年筆を、女の子たちは装飾品や着物や雑貨を選んでいた。
食事の用意は隠の人たちがしてくれるけど、来客がない限りはひとりでごはんを食べる。
……つむぎさんが作ってくれたお粥…美味しかったなあ……。
お風呂は温泉を引いてあって、源泉掛け流しの贅沢な空間だった。
こんないいお湯に毎日浸かってたから、つむぎさんはあんなに肌が白くてすべすべだったのかなあ……。
………だめだ。何をするにしてもつむぎさんのことを思い出してしまう。
屋敷にひとりだから話し相手もいないし余計に。
何か違うことをして気を紛らわせなくちゃ……。
『無一郎くん、気をつけて行ってらっしゃい。しっかりね』
つむぎさんと交わした最後の言葉。
いつも通りの穏やかな笑顔。
あの時…つむぎさんは、命の終わりが分かってたのかな。
僕が帰る時にはもう、自分はいないって思ってたのかな。
だから一度僕を呼び止めて声を掛けてくれたのかな。
こんなこと考えてもどうしようもないって分かってるのに。
静かすぎる屋敷と夜の闇が、僕を更に孤独にさせる。
目的もなく屋敷の中をうろうろ歩き回って、また寝室に戻ってきた。
布団はなく、ベッドに腰掛ける。ふかふかで気持ちがいい。
寝具は取り替えてあるけど、ベッド枠やマットレスはそのまま使わせてもらうことにした。
ふと隣を見ると、飾り棚に置かれた簪が目に入った。
自分で置いたんだった。
簪をそっと手に取る。透明な下がりがちらちらと揺れる。
『無一郎くん』
僕の大好きな笑顔が脳裏に甦る。
陽だまりのようにあったかい、一緒にいると安心する、つむぎさんの存在。
「…つむぎさん……」
声に出したのが間違いだった。
ぎゅっと胸が苦しくなって、あっという間に視界が歪んで、涙が溢れて止まらなくなる。
水道の蛇口が壊れたみたいに、後から後から涙が流れて、頬を伝って、顎から滴り落ちていく。
「……っ…ふ…うぅっ…つむぎさん…つむぎさん……っ!」
僕は簪を抱き締めて、朝が来るまで泣き続けた。
そんな日が1週間くらい続いた。
僕は涙腺が馬鹿になったみたいだ。
毎晩泣くもんだから常に身体が重いし頭も痛い。
それに寝不足だ。
昼間はどうにか大丈夫だけど、夜になると悲しくて寂しくて胸が張り裂けそうになる。
今日もお風呂を済ませて寝室に戻ると、条件反射かのように涙が溢れてくる。
つむぎさんの簪を手に取り抱き締める。
会いたい。つむぎさんに会いたい!!
「うっ……つむぎさん…会いたいよお……うぅ…」
誰もいない部屋に、僕の声が虚しく響く。
どのくらい時間が経ったかな。
夜の闇が一層深くなって、窓の外には時折、月が雲から顔を出す。
『…もう。いつまで泣いてるの?』
「えっ…!?」
よく知った、鈴を転がすような声が聞こえて、僕は驚いて顔を上げる。
そこには、今まさに会いたくて会いたくて仕方なかった相手が立っていた。
「…えっ!?…つ…つむぎさん…!?なんで……」
驚きのあまり涙が引っ込む。
『無一郎くんがあまりにも泣くから、化けて出ちゃったじゃない 』
困ったように笑うつむぎさん。
僕は夢を見ているのか?
自分が作り出した妄想?
…どっちだっていい。
もう死んだ筈のつむぎさんが目の前にいる。
『無一郎くん、霞柱就任おめでとう』
そう言ってつむぎさんがにっこり笑った。
その笑顔を見て、一度は止まった涙がまた溢れ出す。
「つむぎさん…!つむぎさん!!会いたかったよおぉ……!」
今、自分はきっとすごい顔をしているだろう。
でもそんなのどうだっていいんだ。
つむぎさんが僕の頬を撫でる。僕はその手にそっと触れる。
不思議と、彼女には実体があった。
生きていた時より少し体温が低いと感じたけど、それでも少しの温もりが嬉しくて、僕は堪らず彼女の胸に飛び込んだ。
つむぎさんも、僕を抱き締め返してくれる。
「…なんで…?つむぎさんに触れるの…??」
『言ったでしょ?化けて出たって。…ああ、肉体は火葬してもうない筈なのにってことか。……ありっっったけのエネルギーを掻き集めて出てきたの。あとは、無一郎くんが引き取ってくれた、私の簪についた残留思念が助けになった感じかな』
そうなんだ……。
色々と頭が追いつかないけど、こうしてまたつむぎさんの温もりを感じることができるだけでいい。
「つむぎさん…ぼくっ…葬儀に出られなくてごめんなさい…!お別れ言いたかったのに…っ…ごめんなさい……!」
『いいのよ。ありがとう。無一郎くんが任務の後、休みもせず戻ってきてくれたの分かってるから。……それまで持ち堪えきれなくて、ごめんね』
どうしよう。涙が止まらない。
話したいことは山程あるのに、嗚咽で喉がつかえて思うように言葉が出ない。
『無一郎くん。聞いて。私はいつもあなたや鬼殺隊のみんなの傍にいるのよ。…あなたが血を吐くような厳しい鍛錬をして、努力して努力して柱になったのもずっと見てきた。……ほんとに、頑張ったね』
どうしてそんなに優しいの?
どうしてそんなに、人がその時欲しくて堪らない言葉をくれるの?
今だって、僕を心配して姿を現してくれて。
「つむぎさんっ…寂しいよ…!もっと一緒にいたかった!…ぅ…僕をひとりにしないで…っ……ひどいよ…うぅっ…」
違う。こんなこと言いたかったわけじゃないのに。
ありがとうって伝えたかったのに。
僕のこと、いっぱい支えてくれてありがとうって言いたかったのに。
『…うん。それはごめんね。でもね、無一郎くんはひとりじゃないよ。仲間がいるでしょ?見えてなかったかもしれないけど私もずっと傍にいるのよ』
そう言って、すっと身体を離して僕の胸元を指さすつむぎさん。
はっとした。彼女が指さしたのは、ちょうどもらったお守りたちがある場所だった。
僕は2つのお守りを取り出す。
ラピスラズリの勾玉と、つむぎさんが手づくりしてくれたお守り袋。
「…あれ…?」
どうして気付かなかったんだろう。
月明かりに照らされて浮かび上がる、お守り袋に刺繍された銀色に輝く“惡鬼滅殺”の文字。この4文字は柱にのみ日輪刀に刻まれるのが許されたものと同じだ。
「つむぎさん……僕が柱になること、分かってたの?」
静かに微笑んだつむぎさん。
僕が柱になる未来が視えていて、まだただの隊士だった僕に、他の柱のみんなと同じ特別なお守りをつくってくれた。
空いた自分の席に僕が新しく就くことが分かっていたから。
「…つむぎさん…僕、まだ何も思い出せないんだ……。ここに来る前にどんな生活をしてたのかも、誰と暮らしてたのかも……。…こんなんでいいのかなあ…自分のこともちゃんと把握できてない人間に、柱だなんて大事な役目が務まるのかなあ……」
素直に自分の中の漠然とした不安を打ち明ける。
『大丈夫、ちゃんと思い出せるわ。…無一郎くんは強い子。これまで誰よりも努力を惜しまなかった。それにね、あなたは誰かの為に無限の力を出せる。お館様に選ばれた剣士なのよ。自分を信じてあげて』
つむぎさんが澄んだ翡翠色の瞳で僕を真っ直ぐに見つめてくる。
“無一郎の無は無限の無”
ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
誰かが言ってた気がするけど、それも思い出せない。
『……そろそろ時間かな…』
「えっ?」
『もう実体を留めておくのが限界かも』
「そんな!いやだ!つむぎさん行かないで!」
つむぎさんの目線の先には、少し透けてきている彼女の足先。
いやだ…いやだ!!
ひとりは寂しい。せっかく会えたのに。
『無一郎くん…、ほんとは私もう死んでるんだからこうやってお喋りできないのよ?』
また泣き出した僕を見て、困ったように笑うつむぎさん。
『姿は見えないだろうけど私はいつも傍にいるから。頑張って。失った記憶も取り戻せる。私の分まで悪い鬼を倒して。必ず、これまで命を散らした仲間たちの無念も晴らしてね』
「うっ…うぅ…っ」
涙でつむぎさんの顔がぼやける。
『無一郎くん。あなたの無限の力を信じてる』
そう言って、つむぎさんが僕の額に口づけを落とした。
「!」
頬が熱くなる。
泣いてたせいとは違う、脈の乱れる感覚。
「…なんでおでこなの。唇にしてほしかった……」
僕は何を言ってるんだろう。
つむぎさんもぽかんとしてる。
こんな表情も珍しいけど……。
そして、今度は可笑しそうに笑った。
『唇はだめよ。好きな人のためにとっておかなきゃ』
「僕はつむぎさんが好きだよ!」
嘘じゃない。
今までだって大好きだったけど、それとはまた違う好きだと、この時急に自覚する。
「僕…つむぎさんのことが大好き……」
言葉にするとまた涙が出てきてしまう。
そんな僕を見て、つむぎさんは困ったような、嬉しそうな、切なそうな、何とも言えない顔をして微笑んだ。
その表情に、彼女は今は僕の気持ちには応えられないんだと理解する。
「……つむぎさん。僕、絶対に鬼を倒してみんなが安心して暮らせる世界をつくるから……。だから、生まれ変わったら、僕のお嫁さんになってください…!」
『えぇっ…!?』
鳩が豆鉄砲食らったような表情で目を見開くつむぎさん。
そして、すぐにいつもの優しい笑顔を浮かべる。
『ああ、びっくりした。……そうね、じゃあ、お嫁さんにしてもらおうかな。無一郎くんが命を全うする日まで、傍で見守ってるから。こちら側に来る時は、お迎えに行くね』
「…うん!」
『だから私との約束、忘れないでね。私の分まで鬼を倒して。……頼みましたよ、霞柱・時透無一郎』
「…っ!はい…!」
僕は涙を服の袖で乱暴に拭って返事をした。
そして、つむぎさんはもう一度、僕を抱き締めてくれた。
あったかい……。
やっぱりお別れするの嫌だなあ……。
ずっと一緒にいてほしいなあ……。
この温もりがなくなっちゃうの、寂しいなあ……。
つむぎさんの身体は、太腿あたりまで透けてきていた。
そして。
身体の重だるさや頭痛が消えていくのと同時に、首から下げた2つのお守りが熱を帯びるのを感じた。
『無一郎くん、身体はどう?』
「うん…軽くなった……。つむぎさん、ありがとう。最後まで心配かけてごめんなさい…」
もう、腰上まで透けてきたつむぎさん。
『私のほうこそ、ありがとう。無一郎くんが簪を大事に持っていてくれたから、こうして出てくることができたのよ。…私のこと、慕ってくれて嬉しかった』
柔らかくて穏やかな、優しい声。
安心する、つむぎさんのにおい。
ずっと覚えておきたい。
僕はぎゅっと、つむぎさんにまわした腕に力を込める。
それから時間の経過と共に、彼女の身体が透明度を増していく。
そして、とうとう。
雪が溶けるように、ゆっくりと、今まで僕を抱き締めてくれていたつむぎさんの身体が消えていった。
『無一郎くん、大好きよ。あなたの幸せを願ってる』
と言葉を残して。
僕は、そのままベッドに身体を横たえて、吸い込まれるように眠りについた。
朝目が覚めると、身体が軽いし頭痛もない。
鏡を見ると、昨夜あれだけ泣いたのに、瞼も腫れていない。
最後の最後まで、つむぎさんが力を使ってくれたんだな……。
つむぎさん、ありがとう。
悲しいし寂しいし、恋しい気持ちはずっとあるけど、僕、頑張るよ。
誰かの為に無限の力を出せるように。
僕は鬼殺隊の霞柱・時透無一郎だから。
おしまい