時は平安時代。帝の御所からまあまあ離れた藤宮という御殿に「藤宮の更衣」という女子が住んでいた。名前の由来は藤宮の更衣が藤宮に住んでいるからそう呼び名になった。藤宮の更衣は中納言道正の子で、数え年で18才。そしてついこの前、少納言定守と結婚し、一人のお子にも恵まれた。女子で名前は「ちよ」ひらがな表記だ。ちよは後に藤宮のすぐそこの乃木壺という御殿移り住んだため「乃木壺の更衣」と呼ばれることとなった。「道正様、千代ですよ。かわいいでしょう。」「ああ。とても賢そうな顔をしておられる。」そう言い合ってお互いに笑みを交わしたこともある。全てはこのちよのおかげなのだ。
ちよの正月。
ちよが7回目の正月を向かえた朝のことです。ちよは眠たい体を起こして御簾から差し込む朝日を眺めた。「あら。ちよ。」母の藤宮の更衣がにこやかに話しかけた。「おはようございます。あけましておめでとうございます、母上」どんなに眠たくても新年の挨拶はすませないといけません。それを聞き、藤宮の更衣は微笑んだがすぐに微笑みを消し、真顔で言った。「ちよ。母上と父上はこれから帝にご挨拶をすまさないと行けないの。」「朝賀でございますね。」覚えが早いちよはすぐさま言った。「よく覚えていたのね。さすが我が子よ。」驚きを隠せないながらも真面目さを消すことはなかった。「ちよ。おはよう。あけましておめでとう。」「あけましておめでとうございます。父上。」最愛の娘から牡丹のような笑みを浮かべられ、嬉しさに顔をほころばせながら「うむ。」と満足そうに頷いた。「では母上は帝にお仕え申し上げてまいる。それに、この日、一時休みを頂いているのだ。娘のためにと頂いたのには遅刻をせずに働かねば。」独り言のような、ちよに話しかけるように話すと支度をすまし、そそくさと屋敷を後にした。「父も行ってくる。良い子で待っておるのだぞ。」「はい。行ってらっしゃいませ、父上、母上」そう言って丁寧におじぎをすると、次女をを呼び寄せ、部屋に筆と墨を取り寄せ、夢日記に書き写した。
私も母上のように帝様にお仕え申し上げたい と
それからスラスラと美しい文字でちよは気持ちを書き留めた。そのお姿は源氏の物語の作者、紫式部様に勝るとも劣らないほど懸命なお姿なのでした。あまりにもお美しゅうお姿に次女は感激しながらほろほろと涙を流し、両手を軽く握り、何かほそぼそとつぶやくのでした。「ひ…姫様、姫様…」次女のかすれた呼びかけに敏感なちよは「はい?」と返事をした。「姫様、この身が言うのもなんでございますが、物語をお書きになったらいかがでございましょう。」とおずおずと申し上げた。ちよが考えるのも見て次女は姫様を不機嫌にさせてしまわれたのではあるまいかと、少し縮み上がりました。とここでちよが言った。「そうね。それもいいし、将来帝様にお仕え申し上げるときに、よい出来栄えだっだらお見せしとうございますが…。‥止めておきましょう。」静かな声で言う姫に次女はなんだが物悲しさをあらわにしながら謝った。
やがて、戻るはずのない父と母が華やかな姿で戻ってきた。「ちっ父上?!母上!?」それからもっと驚くようなことがありました。後ろに月白の衣を着、しろすみれ色の上着を着込んだ姿でおいでになられた。ちよは未だ、人の死を知らないため、この先ずっと辞めるまでこの麗しいお方にお仕えするのだと思い、思わず目を輝かせた。そして帝が上段に座ったのを見計らって言った。「帝、これが我が娘、ちよにございます。ちよ。」「お初にお目にかかります。帝。ちよと申します。」「なんとも礼儀正しい子だ。」まるで光源氏の君のような面影を持つ、帝が済んだ声で言った。「ちよは母のようにいずれ帝にお仕え申し上げたいとお思っております。」正道が少しばかり得意げに言った。
思わぬご判定
「ならば、今すぐ、くればよい」その言葉に聞いていたものはみな、打ちのめされました。帝がちよをひと目にと藤宮においでになり、ちよが帝にお仕えしたいと申し上げたところ、この様だ。今すぐに清涼殿にまいれ。我が住処で仕えてもらいたい。そう何度も帝は仰せになった。帝の仰せに、逆らうことは、関白でもいけないのだ。ちよは笑いながら「はい。帝のおそばで精一杯お仕え申し上げます」7才とは思えない丁寧な言葉遣いに、帝は感心し、宴の会場に戻った。側に控えていた下女に、行事が落ち着いた日、ちよを清涼殿につれてきてほしい、と言い残して。
帝からの文
内宴が終わると、1月の行事はもうありません。帝はこれをきにちよ当てに文を書き、高麗(こま)の国(今の朝鮮半島)から来た側近のショウシェン(日本名を賜り、裳津彦(もつひこ)を名乗っている。)に文を届けさせた。
ちよ
ちよ 内宴が終わり、行事もなく落ち着いた。1刻半後、事松良(ことまつりょう)に參れ。向かえのものは遣わす。
水秋(すいしゅん)天皇
ちよは父と母の帰りを待っている時に帝から直筆の文が届いたもんですからちよが驚いたのは言うまでもありません。その日の夕方、「姫様、お迎えに上がりました。」と声がするので、御簾の外へ出てみるとそこには、家来の定仁さだひとが牛車を用意してありました。ちよは定仁に「どうして牛車で行くの?」とかわいらしげに尋ねました。「事松良への道のりはそこそこ長い方でして。父君と母君がご心配なさって、牛車で行くようにとお言いつけになられました。」まあとちよは驚きましたが少し、頬を膨らませ、「父上と母上ったら。私はそこまで子供じゃないわよ。」と少し文句をぼやいた後、しぶしぶ牛車に乗り込みました。定仁も正道と藤宮の更衣が心配なさるのもわかると思い、熱心に説き伏せたのです。それは定仁の過去にあったのです。
定仁の過去
定仁はうだつのあがらない朝臣の子供でしたが手伝いが大好きで相手を思いやる気持ちを持った、とてもいい、男の子でした。そしてその定仁もついに大人になり、同じ朝臣に、下働きとして、仕えている秋とめでたく、結婚することになったのです。でもどちらも同じ朝臣に仕えているため、あまりお金ももらえず、どちらかが裕福というわけではないので、生活費がほとんど無いのです。そうして、薬師に仕えたり、人相見に仕えたりといろいろ、いわば転職を繰り返しながら今の主、正道と藤宮の更衣だった。今の主に仕えてから、初めて子が生まれたのだ。まるで天が、その道は正しいとおっしゃっているようでもあった。こうして生まれた娘は18歳にして、内裏に上がり、先の帝の中宮に優秀な女房として仕えた。中宮も定仁の娘をとても慕っていた。ただ、うだつのあがらない朝臣の娘が中宮様に馴れ馴れしくして!と妬みと恨みにまかせ、いじめられ、ついに娘は自殺をしてしまったのです。それで、定仁夫妻はおおいに嘆き悲しみ、中宮の他の女房は晴れ晴れとしていた。それを経験し、夫妻は決めたことがあった。それは、次に子が生まれても、絶対に女房として入内させるものか。ということだった。
だから定仁は我が子のようにかわいがっているちよに死んでほしくはないのだ。「定仁、定仁」ちよの呼びかけに定仁は我に返った。「なんでございましょう。姫様。」「定仁がいきなり、悲しそうな顔をしたから気になって。」大丈夫?と怪訝そうな顔をするちよに定仁は大丈夫だと笑って返した。そうして思ったのだ。
そうだ。自分達には実の子はいないけれど、ちよというかわいい姫君がいるではないか。これからは、ちよ様を精一杯お仕え申し上げよう。 と。
宮中の宮仕えの第1話はどうでした?大好きな平安時代を書いてみました!第2巻も出す予定で、詳しいことを決めたら雑談で出します!
コメント
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めっちゃ良かったニャン! 歴史好きなのかニャン?