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焼けた街の煙は、まだ完全には消えていなかった。
瓦礫の広場に、王国軍が集まっていた。
北の砦の兵。
敗走してきた兵。
領主の私兵。
老人兵。
傭兵。
数は多くない。
だが――戻ってきた兵だった。
その中央に、王ヨシュアが立っていた。
鎧ではなく、王衣のままだった。
その横に、将帥旗が立っている。
青地に白の紋。
グラツィア王国の旗。
ざわめきが広がる。
「王だ」
「生きていたのか」
「王都を捨てた王だろ」
小さな囁きが波のように広がる。
ヨシュアはそれを聞いていた。
否定もしない。
ただ、前に出る。
そして言った。
「諸侯、兵たちよ」
声は大きくない。
だが、静かに広場を通った。
「私は逃げた」
ざわめきが止まる。
「王都を守れず、城を追われ」
「国を失いかけた」
ヨシュアは一度空を見上げた。
「この国の歴史を私はすべて覚えている」
兵たちは顔を見合わせる。
王は続けた。
「初代聖雄王は」
「アルファスの戦いで敗れ」
「七騎で洞窟に逃げ込んだ」
兵の中に小さな笑いが生まれる。
「だが」
ヨシュアの声が強くなる。
「最後に勝った」
沈黙。
王は広場を見渡す。
「私は今」
「その聖雄王の気持ちそのままだ」
兵たちが少しざわつく。
ヨシュアは続けた。
「城から逃れて分かった」
「勝つために何をすべきかを」
「もう一度皆の力を私に貸してくれ」
将帥旗が高々に挙げられた
歓声が上がった。
ヨシュアもその歓声にこたえた。
「そして」
その声が変わる。
「最後には必ず勝つ」
静寂。
王は後ろを振り返る。
そこにサイラスが立っていた。
右腕のない青年。
薄い外套。
軍師。
ヨシュアは将帥旗を手に取る。
旗の布が風で鳴る。
兵たちの視線が集まる。
王はゆっくり歩いた。
サイラスの前で止まる。
「サイラス・イシル」
「はい」
「この国の軍は」
「もう私では動かせぬ」
サイラスは黙っている。
王は将帥旗を差し出した。
「これを持て」
広場がざわめく。
将帥旗。
それは軍の命令権そのものだった。
サイラスは動かない。
「陛下」
「私は軍師です」
「将軍ではありません」
ヨシュアは言った。
「これこそ勝つための策だ」
サイラスは旗を見る。
その布は古い。
チェルソーの戦いで掲げられた旗。
エスカミオの父が掲げた旗。
王国の歴史そのものだった。
ヨシュアが言う。
「この国を」
「勝たせろ」
長い沈黙。
サイラスは一瞬、手を止めた。
その旗の重さを測るように。
そして――
左手で、それを取った。
その瞬間。
兵たちがざわめく。
王は振り返る。
そして叫んだ。
「兵たちよ!」
広場が静まる。
「この男は」
「戦えない軍師だ」
笑いが起きる。
王は続けた。
「だが」
「この国を一番守ろうとしている男だ」
兵たちがサイラスを見る。
王の声が広場に響く。
「私は王として命じる!」
旗を指す。
「この旗を持つ者の命令に従え!」
一瞬の沈黙。
そして。
ガイロが前に出た。
巨大な槍を地面に突き立てる。
「第一師団!」
叫ぶ。
「将軍に従います!」
兵たちが槍を打ち鳴らす。
ローガンが笑う。
「やっと戦が始まるな」
老人兵たちも槍を叩く。
ユンナが口笛を吹く。
サイラスは旗を見た。
そして小さく言った。
「戦は」
兵たちが静まる。
「人の失敗です」
風が旗を揺らす。
「だから」
サイラスは顔を上げる。
「速やかに終わらせます」
その声は静かだった。
だが広場の全員に届いた。
青野ヶ原。
石造りの広間には、緊張が満ちていた。
壁には王国の紋章旗。
その下に広げられた地図には、青野ヶ原へと続く道が赤く記されている。
報せはすでに届いていた。
帝国軍、進軍開始。
逃げ場はない。
沈黙を破ったのは、サイラスだった。
「ヨシュア王は、近衛隊千騎とともにカルデル城へ入っていただきます」
その言葉に、ざわめきが走る。
王を戦場から遠ざける――当然の判断。
だが同時に、それは“籠城”を意味していた。
ヨシュア王は静かにサイラスを見つめる。
「……余は、ここで戦わぬのか」
問いは穏やかだった。
だが、その奥にあるものは誰の目にも明らかだった。
サイラスは一歩も引かない。
「王が討たれれば、この戦は終わります。
ここで負ければ再び王都は落ちます
防ぐことは不可能です」
理ではなく、勝利のための配置。
それだけを述べる。
わずかな沈黙の後――
「……わかった」
ヨシュア王はうなずいた。
「青野ヶ原にはそなたが?」
その一言に、場の空気が張り詰める。
サイラスは深く頭を下げた。
「はい」
そして、顔を上げる。
「第一師団、ガイロ」
呼ばれた男が一歩前に出る。
鋼のような体躯。揺るがぬ眼。
「重歩兵三千を率い、青野ヶ原へ先行。
敵の進軍を正面から受け止めていただきます」
ガイロは短く答えた。
「……任せろ」
その声に、迷いはない。
サイラスは続ける。
「弓兵千、歩兵千。これを本陣とする。
副官はトーソー、
私が直率し、将帥旗をこの中央のパーパス丘に立てる
ここを本陣とする」
広間の誰もが息を呑む。
数では劣る。
だが配置は明確だった。
盾――ガイロ。
刃――サイラス。
そして、最後に。
サイラスは静かに言い切った。
「――決戦です」
その言葉は、宣言だった。
もはや小競り合いではない。
退路もない。
この一戦で、すべてが決まる。
広間の奥で、誰かが拳を握る音がした。
別の誰かは、剣の柄に手をかける。
恐れはある。
だがそれ以上に――
覚悟があった。
王都を守るための戦いではない。
この国が、この先も存在するかどうか。
そのすべてを賭けた戦いだった。
サイラスは地図の青野ヶ原を見つめる。
そこに集うのは――
帝国の全軍。
王国の残る力。
そして、まだ見えぬ“何か”。
静かに、しかし確実に。
皇帝御前。
ゼイオンは、決戦を前に居並ぶ諸将を見渡し、静かに布陣を告げた。
「先鋒はヴァルド。
重装歩兵を中核に五千。
敵本陣前衛を正面より粉砕せよ」
低く、よく通る声が陣幕の内に響く。
「第二陣はグラント。
弓兵を中心に五千。
ヴァルド隊を後援しつつ両翼へ展開、敵の陣形を拘束せよ」
諸将は一言も発さない。
ただ、命令だけが積み重なっていく。
「第三陣はカルヴァ。
騎兵を中核に三千。
両翼に展開する第二陣の外側に位置し、そこへ出てくる敵を撃滅せよ」
そこでゼイオンはわずかに間を置いた。
「本陣には皇帝陛下と私が入る。
歩兵を中心に五千。
丘陵中腹、マルソー山に陣を敷く」
「後衛はラディス、軽騎兵を中核に二千」
地図上の一点に、ゼイオンの指が落ちる。
その動きに迷いはなかった。
「続いて、占領地軍の再配置を告げる――」
居並ぶ将たちの視線が、一斉に彼へ注がれる。
ゼイオンはパーパス丘を示し、冷ややかに言った。
「敵はパーパス丘を中心に守りを固めるつもりだ。
首を引っ込めた亀のようにな」
誰も笑わない。
笑うには、あまりに冷たい言葉だった。
「ならば引きずり出し、引導を渡すまでのこと。
小細工は要らぬ」
その声音には、勝利を疑う響きが一片もない。
「正面より圧し潰せ。
逃げ場も、息継ぎの間も与えるな。
すり潰すように叩け」
陣幕の内に沈黙が落ちた。
だがその沈黙は迷いではない。
命令を受けた者たちが、それぞれの戦場を思い描く沈黙だった。
発言を許されたヴァルドが、一歩前に出た。
「敵前衛は、おそらくガイロ。
王都にて孤軍奮闘した将と聞き及びます」
わずかに顎を引く。
「――相手にとって不足ありません」
「かならずや打ち破ってごらんに入れます」
その声音に虚勢はない。
ただ、勝つ前提の静かな闘志だけがあった。
続いてグラントが口を開く。
「敵総数は五千前後。
湿地へ我らを誘い込んだつもりでしょうが――」
薄く笑う。
「後詰なく、籠るだけであれば
敵が勝つ可能性はございませぬ
明日の昼までには、勝負はつくかと」
軽い口調。
だが、その裏にある計算は冷酷だった。
カルヴァは最後に、簡潔に言った。
「サイラス・イシスは神出鬼没。
なれど、今回この丘にいることは明白」
一切の感情を排した声。
「必ず仕留めて見せます」
三将の言葉が、静かに積み重なる。
皇帝はそれを受け、わずかに頷いた。
「うむ」
ただ一言。
だが、その一言で十分だった。
やがてゼイオンは皇帝へ向き直り、静かに一礼する。
「以上が、明日の会戦における帝国軍の布陣であります」
帝国の諸将は一斉に頭を垂れた。
明日、あの丘で流れる血の量を、誰も口にはしなかった。
ゼイオンは諸将を鼓舞する
「この戦いは!
帝国の歴史に泥を塗った敵――
サイラス・イシスを討つ戦いである!」
ざわめきが走る。
「ここで勝てば、
王都まで我らを阻むものは何一つない!」
拳が握られる。
「明日、敵を打ち砕き――
明後日には王都で祝杯をあげようぞ!」
「帝国に勝利を!」
「帝国に勝利を!」
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
夜風は冷え、草原の闇は深く沈んでいる。
男たちの輪の中で、ただ一人、商王カルドだけが笑っていた。
「ククルースよ」
名を呼ばれた男が、酒袋を傾ける手を止める。
「おめえ、もし俺が無一文でよ、国を追い出されたら――どうする」
「一緒に逃げながら仲間集めて城取り返そうとしてくれるかい」
軽口のようでいて、妙に重たい声音だった。
ククルースは肩をすくめ、口の端を上げる。
「もちろんですぜ。助けにはせ参じますよ。」
即答だった。
カルドは、くくっと喉を鳴らす。
「言うじゃねえか。だがな……」
火を見つめたまま、ゆっくりと続けた。
「俺たちは所詮、金で繋がった仲だ」
その言葉に、周囲の空気がわずかに揺れる。
誰も否定しない。
それが事実だからだ。
「だがよ」
カルドは、顔を上げた。
その目に宿る光は、いつもの打算とは違っていた。
「あの王さんには、違うもんがあった」
誰のことを指しているのか、皆が理解していた。
グラツィアの王、ヨシュア。
「無一文でもよ、あれこれ世話焼いてくれる連中がいる。家臣っていうか……仲間だな」
鼻で笑うように言いながらも、その声はどこか遠い。
「後ろに控えてた近衛兵なんざ、殺気立ってたよな。
なんかあったら俺と刺しちがえかねないような」
火がまた、はぜた。
カルドはしばらく黙り込む。
そして、ぽつりと漏らした。
「……羨ましかったんだ、心底」
その一言に、誰も言葉を挟めなかった。
ククルースでさえ、軽口を叩くことができない。
やがてカルドは、顔を上げる。
いつもの笑み。だが、その奥に何かが決定的に変わっていた。
「だからよ」
低く、しかしはっきりと告げる。
「俺もモノホンの玉座というものが欲しくなったんだ」
「あの王さんを、
・・・
この戦場で討つ」
空気が凍りつく。
「討って、俺が本物の王になる」
言葉は静かだった。だが、重さは刃のようだった。
「その後は――
ありったけの傭兵をかき集め、
帝国とやり合って、
スカーレットも倒す」
カルドは笑う。
「大陸、丸ごといただこうじゃねえか」
狂気の宣言だった。
だが、それを笑い飛ばせる者は、ここにはいない。
「親分……それは」
ククルースが言いかける。
カルドは遮った。
「分かってる。普通じゃねえ」
ゆっくりと、立ち上がる。
「おれでもそう思う」
「だがな、普通で大陸が獲れるかよ」
火の光を背に、影が大きく揺れた。
「大博打だ」
その目は、もう迷っていなかった。
「――ついてきてくれるかい?」
沈黙。
そして、ククルースが笑った。
いつものように、乱暴で、まっすぐな笑いだった。
「へえ、地獄の底までお供します。」
周囲の男たちも、次々と立ち上がる。
誰一人として、引かなかった。
その夜、商人たちは“軍”になった。
数日後。
青野ヶ原へと続く街道。
千騎の騎兵が、静かに進んでいた。
先頭には、グラツィア王ヨシュア。
その背後に、近衛兵。
そして、近衛団長エスカミオ。
整然とした行軍。
無駄のない動き。
それは“軍”ではなく、“意志の束”だった。
だが――
エスカミオは周囲の気配に、わずかに眉を動かした。
前方の林の奥。
見えぬ影が、じっとその進軍を見つめている。
息を潜め、音を殺し、殺意だけを研ぎ澄ませて。
商王カルド。
その目は、ただ一人を捉えていた。
(あれだ)
心の中で、呟く。
(あれが――王だ)
羨望と、渇望と、狂気。
すべてを飲み込んだ視線が、獲物を射抜く。
指が、静かに上がる。
それが合図だった。
――林を抜けるな。
――前後を断て。
仕込んだ獲物は、一撃で仕留める。
次の瞬間――
街道は、戦場へと変わった。
「撃て! 撃て! 撃てい!」
怒号とともに、火が走った。
空を裂く火矢。
次の瞬間――
爆ぜた。
轟音が戦場を引き裂く。
土が跳ね、兵が宙を舞い、
整然としていたはずの隊列が、音を立てて崩れていく。
「な、なんだこれは――!」
「怯むな! 前へ出ろ!」
だが足は止まる。
耳鳴り。
悲鳴。
命令は、もう届かない。
――その裂け目を。
カルドは、ただ一人で突っ切った。
「どけ」
低く呟き、目の前の兵を斬り伏せる。
次。
また次。
迷いはない。
ただ一直線。
その先にあるものは一つ。
――王。
血煙の向こう。
旗の下。
守られるべき中心。
「見えた」
カルドの口元が歪む。
その瞬間。
「王を下がらせろ!」
エスカミオの声が響いた。
「近衛は壁を作れ! ここで止める!」
「しかし――!」
「命令だ!」
一瞬の逡巡。
だが次の瞬間、近衛たちは動いた。
王を囲み、後退する。
ユシュア王は振り返る。
その視線の先――
血と煙を割って、迫ってくる男。
「……あれが、カルドか」
「陛下、参ります!」
半ば引きずるようにして、王は戦場から遠ざけられる。
その間にも。
「押せ! 押し返せ!」
「隊列を保てぇ!」
叫びは飛び交うが、すでに隊列は存在しない。
盾はぶつかり、
槍は絡み、
剣が無秩序に振るわれる。
そこはもう、戦列ではなかった。
ただの――殺し合いだった。
カルドは止まらない。
「逃がすかよ」
迫る。
距離が縮まる。
百歩。
五十歩。
二十――
その時。
「――今だ」
別の声が、戦場の端で響いた。
ククルースだった。
「突っ込めぇ!!」
側面から、武装した傭兵が雪崩れ込む。
崩れた隊列の“横腹”を、容赦なく食い破る。
「横だと!?」
「持ちこたえろ!」
だが、持ちこたえられる形ではない。
前はカルド。
横はククルース。
戦場が、裂けた。
「王はどこだ!?」
「近衛が下がっている!」
「追え!」
情報が錯綜する。
誰も、全体を把握できない。
エスカミオは歯を食いしばる。
(……遅いか)
振り返る。
見える。
煙の中を突き進む、あの男が。
「――来る」
その呟きと同時に。
カルドは最後の壁へと斬り込んだ。
近衛兵が立ちはだかる。
「ここは通さん!」
「どけ」
一閃。
血が弾ける。
さらに踏み込む。
その先。
ついに――
王の背が、視界に入った。
近衛兵ルドは、目の前の男に息を呑んだ。
強い――。
ただそれだけで片付けるには、あまりにも異質だった。
カルドは斬り伏せ、踏み込み、止まらない。
まっすぐに、ただ一人――王へ向かって進んでくる。
「王を逃がすな! 追え!」
誰かの声が飛ぶ。
だが、その瞬間。
ルドの体は、命令よりも先に動いていた。
(――ここは、通さない)
剣を構える。
(刺し違えてでも)
一歩、踏み出す。
カルドの視線が、わずかにこちらへ向いた。
次の瞬間――
重い衝撃。
視界が跳ね上がる。
蹴りだった。
「自分を犠牲にするなんてよ」
カルドは、倒れたルドを見下ろし、鼻で笑う。
「キョービ、流行らねえんだよ」
ルドの剣は、届かない。
「そこで寝てな」
そう言い捨て、再び王へと歩みを進める。
――だが。
カルドは、ふっと口の端を歪めた。
「……自己矛盾も甚だしい」
誰にも聞こえない声で呟く。
「それを、いちばん欲しがってんのは――俺だってのにな」