「兄上が父上を説得してくれている間に、俺は政務を終わらせなければならない。だが、父上から嫌がらせのように押しつけられた大量の仕事……簡単には終わらないぞ」
もちろん正攻法では終わらない量だ。
公正書類、公証人文書、裁決文書……字面を見るだけで吐き気がしてくる。
小さいころからシャンフレックに仕事を押しつけてきたせいで、まるで手がつかない。一から十まで、すべて婚約者に任せていたのだ。
隣にいるアマリスももちろん仕事などできない。
「……どうしようか」
「ねえ、ユリス様? このお仕事、無理に終わらせなくてもいいんじゃない?」
ふとアマリスがユリスに寄りかかって囁いた。
「どういうことだ?」
「少しくらい適当に書いたり、隠したりしてもいいんじゃないかしら。だって、こんなにお仕事を押しつける陛下が悪いと思うもの」
たしかに、言われてみるとその通り。
今まで政務に触れてこなかったユリスに対して、この仕事は明らかにキャパシティオーバーだ。父の判断が間違っていると言わざるを得ない。
「そう、だな……! これは父上の判断ミスだ。それに臣下も俺の手伝いをさせられてかわいそうだし……少しくらいなら適当にやってもいいか!」
ユリスは数枚の紙をめくり、適当に数字を書き入れた。
計算などせず、最初からこうしていればよかったのだ。
どうせユリスに回される書類など重要な物ではないのだから。
「おお、どんどん紙の山が減っていく……」
「ユリス様、これもこれも!」
「ああ、アマリス! この調子ですべて片づけるぞ!」
無造作に書き殴られた数字、支離滅裂な文字列。
ユリスとアマリスは次々と意味を成さない書類を作り上げていった。
***
「聖下……困りますよ。今回の一件でどれだけ神殿が騒ぎになったことか」
馬車に揺られながら、アルージエは説教を受けていた。
彼は怒られながらも愉快そうに笑う。
目の前に座るのはフロル教の大司教。
「司教の皆には説明していただろう。まあ、当初の予定よりも長引いてしまって申し訳ないが」
「教皇が護衛もつけずに他国へ行くなど……御身に何かあればどうするのです! なんとか聖下が不在の事態は誤魔化せましたが、もしも信徒に知られたらと思うと……」
「誕生祭までには帰国が間に合ったのだから構わないだろう。今後は二度とこんなことはしないと約束しよう」
命の恩人であるシャンフレックに会うという目的は果たせた。
もうルカロを無断で出て行くことはない。
大司教も渋々といった様子で納得し、アルージエに尋ねた。
「して、どうでしたか? ヘアルスト王国の信徒は」
「ああ、みな素晴らしい信仰の持ち主だった。教皇として誇りに思う」
信教に国境はない。
ヘアルスト王国だけではなく、周辺諸国はほとんどがフロル教を国教として掲げている。大勢力を誇る帝国でさえも、宗派は違うがフロル教徒が多い。
「では、ヘアルストに迫る危難というのは?」
アルージエは考え込んだ。
ヘアルスト王国に危機が迫っていると啓示を受けたが、特に混乱は見られなかった。
「これといって問題はなく、安寧に包まれたように見えた。しかし、国の実情というのは一見にして窺い知れぬもの。よく動向を見ておく必要がある」
王国はアルージエの生まれ故郷。
そしてシャンフレックが生きる土地でもあるのだから。
容易に見捨てることはできない。
「それと、第二王子にも会ったな。他の王族は軒並み評判が良いのに対して、彼……ユリス王子だけは評価できない。他国の事情にそこまで深入りはしないがね」
「統治者が無能だと民も大変でしょうな。一方、フロルを治める有能な聖下はわずかに不在にしただけで大混乱。混乱が民に悟られないように隠すのは大変でしたなぁ」
恨めしそうに文句を垂れる司教に苦笑いする。
神殿の者には申し訳ないことをした。
アルージエは反省しつつ、とあることを思い出した。
「そういえば、話は変わるのだが」
「いかがいたしました?」
「今度、ヘアルスト国王と話がしたい。会合の場を設けてくれ」
「国王と……?」
司教は唐突な命令に目を丸くした。
今までに何度も他国の王と教皇が話す場はあったが、政争や戦争の後処理が主だった。今回は特に争いなども起きていないし、宗教の在り方を論じる必要性も提起されていない。
要するに、アルージエはシャンフレックを婚約者として迎える準備がしたいのだった。
「心配はいらない。少し説得するだけだ」
「はぁ……聖下のお考えはいつもわかりません。仰られた通り、会合の場を設けさせていただきます。ですがその前に、誕生祭についてお考えくだされ」
「無論だ。今年もフロル教にとって、すばらしい祭日となるように。僕は教皇としての務めを果たそう」
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