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「……はぁ」
エステルは、女子寮の廊下で溜息をついた。
レクトが――リゼの身体で悲鳴を上げてから、既に数日が経つ。
その間、レクトはずっと目を覚ましていないのだ。
……ただ、ひとつだけ良いこともある。
あの日を境に、リゼの身体は順調に回復を続けているように見えた。
呼吸は整い、今は静かに寝息を立てている。
昨晩から今朝にかけても、うなされるようなことは一度も無かった。
でも、だからと言ったって――
……目を覚まさなければ、意味は無い。
エステルはそんな思いを抱きながら、リゼの部屋に入っていく。
しかしそこで、いつもとは違う光景が飛び込んできた。
「あ――
……目が覚めたの!?」
ベッドの上ではリゼが身体を起こし、窓の外を眺めている。
エステルは慌てて駆け寄り、リゼの肩を掴み、その顔を覗く。
「は、はい……。
あの、看病をしてもらって……ありがとうございました……」
「ううん、大丈夫だよ!
あ、喉が渇いてるよね!? 水、飲もうか!」
「す、すいません……。頂きます……」
「お腹空いてない? 何か作ろうか?」
「そ、そこまでご迷惑をお掛けするのは……。
でも、スープとか……あると、嬉しいです……」
「うん、分かった!
――っていうか、何か他人行儀じゃない?」
エステルの呼び掛けに、リゼは首を小さく傾げた。
不意に、嫌な予感が頭を駆ける。
「……ね、ねぇ? 私のことは……分かるよね?」
「も、もちろんです!
2年生の、エステル先輩……ですよね? 剣聖の……」
「え……? そういうあなたは――……もしかして、リゼ……ちゃん?」
「はい、そうです……。
えっと……、ご存じ……だったんですよね?」
――レクトは、どこにいった?
エステルの中で、そんな疑問が大きく弾けた。
この部屋には、エステルとセシリアしか入っていないはず。
それなら――
「ちょ……ちょっとだけ、食べるものは待っててね!
あと、部屋からは絶対に出ないようにね!!」
「は、はい……?」
エステルは猛ダッシュでセシリアの元に向かった。
早朝のこの時間、彼女は学院内のあちこちをまわっているはず――
……予定は知っているものの、具体的な場所までは分からない。
しかし今は、全力で彼女を探すのみだった。
「――セシリアさん!!」
「エステル様? こんな早くに、どうしましたか?」
学院の前庭で、エステルは息を切らせながらセシリアに聞いた。
「レクトが目を覚ましたんだけど、レクトじゃなくて……!!
セシリアさん、もしかして憑依されましたか!?」
「ちょ……。声を小さく、お話ください……!?」
そうは言うものの、エステルの表情は明らかに緊急事態に見えた。
セシリアは一息ついて、質問をしていく。
「レクトさんがリゼ様に憑依してから、わたくしは一度もされておりませんわ。
そもそもレポートはもう頂きましたし、それ以降は……という感じです」
「それなら、セシリアさんがいるときに、レクトが他の人に憑依したことは……!?」
「そ、それもありませんわよ?
……エステル様、一体どうされたのですか? レクトさん、目を覚まされたのでしょう?」
「え、ええ……。でも、名前を聞いたら――
リゼ……って答えられて!」
その言葉に、セシリアの顔から血の気が引いた。
自分でもエステルでもなく、他の人物との接触も無いのであれば――
……リゼに憑依していたレクトは、どこにいってしまったのか。
「わ、わたくしも参りますわ! エステル様は、先にお戻りください!」
「はい……、お願いします!」
セシリアは同じ学科の友達に声を掛けたあと、リゼの部屋へと向かった。
可能な限り急ぎたかったが、このときばかりは――エステルの足の速さが羨ましかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セシリアがリゼの部屋に着くと、エステルがスープを作っているところだった。
リゼの身体にレクトがいないとしても、リゼの看病を放っておくわけにはいかない。
セシリアは恐る恐るベッドに近付き、椅子に腰を下ろして、リゼに声を掛けた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
「あ……、セシリア先輩……?
お、おはようございます……!」
いつもと違う口調に、セシリアは違和感を覚えた。
……いや、違う。これこそが、本来のリゼの口調なのだ。
「――身体の方は……、とても良いです。
今までずっと……その、耳鳴りがあったんですが。それも無くなっていて……」
耳鳴りというのは、レクトが言っていた――頭の中に響く叫び声、のことだろう。
事情を知らない者に伝えるのであれば、それらしい言い換えだ。
「それはまず、良かったですわ。
叫び声……のようなものがずっと響くのは、おつらかったでしょう?」
「え!? な、何でそれを……。
もしかしてわたし、何か言ってましたか……」
「ふふふ。病床にあったのですから、お気にせず?」
「でも、ずっと悩んでいたので――
……これからは……はい。大丈夫そうです……」
リゼは涙腺を緩ませ、両手で顔を覆った。
改めて考えてみれば、自殺を図ろうとした最も大きな原因が無くなったのだ。
少なくとも、レクトの頑張りは実を結んだことになる――
……そんな折、エステルがスープを運んできた。
ベッド横のテーブルに置いて、そのまま後をセシリアに託す。
エステルは静かに、キッチンの方に戻っていった。
彼女も混乱しているのだろう。
セシリアはそう察してから、改めてリゼに向き直った。
「えぇっと……。あなたは1年生のリゼ様……で、よろしいのですよね?」
「は、はい……。
エステル先輩もそうでしたけど、もしかして……どなたかと、間違われてましたか……?」
「いえいえ! 寝込んだあとは、記憶が混濁するものですから。
念のための、確認ですわ」
「そ、そうですか……。わたし、何日も寝込んでしまっていて……。
でもずっと、おふたりが看病をしてくれていたんですよね……。本当に、ありがとうございます……」
「倒れている間の、記憶はあるんですか?」
セシリアも必死だった。
何とかして、レクトの行き先を――
「……あ。エステル様!」
「は、はい!?」
「エステル様は、男子寮に行って頂けますか?
レクトさんがどうなっているのか、確認したいです!」
「た、確かに……。うん、行ってきます!」
レクトがリゼの身体に憑依していないのであれば、元の身体に戻っている可能性もある。
憑依とその解除は、互いの身体が触れているときしか出来ないと聞いていたが――何かが変わったのかもしれない。
ただ……確率としては、期待できるほどだろうか。
「あの、レクト……さん、というのは?」
「ええ……。リゼ様は、自分で山に向かったのは覚えていらっしゃる?」
セシリアの言葉を受けて、リゼの顔が暗くなった。
頭に響く叫び声が無くなったとしても――自殺をしようとした事実は変わらないのだ。
リゼは頭を抱えて震えだした。そんな彼女を、セシリアは優しく撫でる。
「もう、大丈夫ですから。リゼ様ができることは、助かった命を大切に――
これからの人生を、しっかり歩くことだけです」
……ただ、そうは言っても今後のトラウマにはなるだろう。
命を絶とうとした決断は、やはり何より重いのだ。
しばらくの間、リゼは何も言うことができなかった。
時計の針がかなりの時間を刻む中、セシリアは何も言わずに……優しく、彼女の手を握り続ける。
「――……そ、そうだ。わたし、あのとき……誰か、男の人に助けられて……。
あの、すいません! その方をご存じですか……!?」
リゼの言葉に、セシリアは……ゆっくりと答えていく。
「ええ。その方が、リゼ様を助けてくださったのです。
2年生のレクトさん……。剣聖、と、ポーター……どちらかで聞き覚えは?」
「どこかで聞いたことはあるような気はしますが、詳しくは……。
で、でも……お礼を言わないと。あんな雨の中、あんな場所で――……って、あれ?」
「どうか、なさいました?」
「……ああ。ディアナお姉さまが、依頼したんでしたっけ?」
リゼの言葉に、セシリアは違和感を覚えた。
リゼは……ディアナがレクトに依頼したことを、知っている?
そもそも、ディアナがリゼに伝えるわけが無い。
レクトがリゼに伝える意味も、見つからない。
それなら憑依している間に、記憶が一部混ざってしまった……とか?
「……ディアナ様は、どんな依頼をしたんですか?」
「わたしの様子がおかしいから……って。
だから、わたしに、わたしの様子を見るように――」
リゼはそこまで言うと、言葉を止めた。
何を言っているのか、自分でもわからない――
セシリアも当然、何を言っているのか分からない。
……ただ、混乱していることだけは分かった。
「落ち着いてください。ほら、水を飲みましょう?」
セシリアから水を受け取り、リゼは少しだけ口に含んだ。
そして冷静に、最初からひとつひとつ、思い出していく。
「わたしが崖から落ちたとき……わたしが手を伸ばして……それを、わたしが掴んで……?
あれ……? わたしが、ふたりいる……? え……? こわい……。何なの、これは――」
リゼの身体が大きく震える。
頭を押さえながら、がくがくと、びくびくと、何かを拒絶するように――
「――戻りました!!」
「エステル様! どうしましょう、リゼ様が――」
「おい、大丈夫か!?」
セシリアの言葉のあと、聞こえてきたのは……レクトの声だった。
「も、もしかして――」
「残念ながら、抜け殻の方のレクトです……!」
エステルの言葉に、レクトの身体は少し眉をひそめたが――そのまま、リゼの身体を押さえにいく。
「安心しろ。ここにいるのは、全員お前の味方だ。何も怖いことは無いから……」
「あ……。あなたは――レクト……先輩?
……先輩?」
「2年生だから、先輩ではあるぞ……!!」
「あ、あのときは……助けてくれて、ありがとう……ござ……?
……あ、あれ? 確か……ううん、助けられた――……レクト先輩……あのときは、とってもカッコよくて……。
――いや? そこまででも……なかった?」
「おおい!?
相変わらず先輩に向かって、何て口の利き方なんだ!?」
その言葉を聞いて、リゼはレクトの身体に手を伸ばした。
レクトの身体は、静かにそれを受け入れる。
「――思い出せた……。わたし……、わたしが、レクトだった――」
――≪憑依解除≫
リゼの言葉のあと……リゼとレクトの身体から、一瞬力が抜けた。
レクトはそのまま倒れ込み、リゼもベッドの上でめまいを感じる。
「これは……どういうこと?」
エステルはレクトの身体を支えながら、そんな疑問を漏らした。
そしてそれに答えたのはレクトの身体……いや、レクトだった。
「――心配を掛けた。
……憑依に入れ込み過ぎて、リゼの魂と混ざり掛かった……」
「だ、大丈夫なの!?」
「何とか……? ただ、頭がやけに痛い……。それに――」
「うん?」
「この身体に、違和感がある……」
魂が同化しかけ、リゼの身体に馴染みつつあった。
そんな中、元の身体に戻ったのだから――それは仕方が無いことかもしれない。
「……っていうか、レクトは女子ばかりに憑依しすぎなのよ。変態!」
「いや……そういう話ではなくてな……」
「確かに、言われてみればそうですわね?」
「セシリアまで、何を言うんだよ……」
エステルとセシリアは、心の底から安心した。
大切な人が、どこか見えないところで消えてしまう――
……何より、そんな事態にならなくて良かった。
レクトもふたりの気持ちを察して、優しく声を掛けていく。
そんな3人を、ベッドの上のリゼが――……不思議そうに眺めていた。
「――……あの、みなさん?
ここで……何をしているんですか?」
エステルとセシリアは、その言葉に――
……驚きをまた、隠せなかった。
コメント
1件
読んだわ…!いやもう、今回めっちゃドキドキしたよ。リゼが目覚めたのに“レクトじゃない”ってなった瞬間、まさか消えちゃったのかと思って焦った(汗)。でもちゃんと元の身体に戻れてて良かった…!しかも「自分がレクトだった」って記憶が混ざる感じ、憑依の代償っぽくて世界観がしっかりしてるなって思ったわ。エステルとセシリアが安心してるシーン、こっちもホッとした🔥
#主人公最強
かませ犬S
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