橋本のハイヤーを使ってるお客様から――正確にはそのお客様の知人から、変なものを預かった。
パッと見はただの黒い手帳で、開かないように大きな鍵がつけられていた。しかも見た目はただの手帳なのに、中に何が入っているのかわからないくらい、異常に重たい。
お客様の話によれば、持ち歩ける金庫になっているそうで、大型トラックが踏んでも潰れない上に、炎の中に投げ込んでも燃えたりしないらしい。
そんな異質なものを、1週間も預かれという。
(藤田さんはトラブルに巻き込まれたことがないと言っていたが、きな臭さを感じさせる物を傍に置きたくはない――)
そう思わせる理由のひとつは、お客様の知人の職業にヤがつくせいだった。もしくは暴でも可。性格も相当イカれているのは、ちょっとの間ソイツをハイヤーに乗せたことでわかった。
もうひとつの理由は『中身は知らないほうがいい。じゃないと、ヤクザと警察の両方に狙われる』という言葉を、藤田の口から聞いたせい。
「木を隠すなら森の中、ヤバいものを隠すなら、同等のレベルでヤバいものの中に、うまく紛らせたら大丈夫だろ」
ハイヤーの中で、こそっと呟いたひとりごと。最後に乗車させた榊を降ろした足で、宮本が住んでるアパートに向かった。
ピンポーン♪
インターフォンを鳴らしたタイミングで、勢い良く開けられた、アパートのドア。事前に行くことをアプリのメッセージで知らせておいたせいだろうが、宮本が玄関で待ち構えていたことに驚きを隠せず、橋本は顔を引きつらせた。
「陽さんいらっしゃい! 今日逢えると思ってなかったから、とっても嬉しいです」
「ぉ、おう ( ̄_ ̄ i)タラー」
(平日はよほどのことがない限り、俺から逢いに行くことがなかったせいか、喜び方が半端じゃねぇな。厄介な物を置いたらすぐに帰る予定だったのに、これじゃあ言い出せやしない……)
「陽さんがこの時間帯に来たということは、仕事が終わったばかりですよね。疲れてるのに、わざわざ来てくれてありがとうございます」
宮本はやたらと弾んだ声で言いながら、橋本の肩を抱き寄せるなり、さっさと室内に誘う。
「まぁな……」
以前よりも、ヲタクグッズが片付けられた室内は、初めて来た当初よりも居心地のいい場所になっていた。
メッセージで来ることを知らせていたからか、美少女フィギュアも後ろ向きに設置されていて、宮本のあっちのヤル気があからさまにわかってしまった。
「雅輝、盛り上がってるところ悪いんだけど、預かってほしい物があって、ここに来ただけなんだ。それを置いたら帰る。いつも通り早朝から仕事だし」
これ以上、宮本に期待を持たせるのも悪いと考え、橋本はまくし立てるように言葉を発した。
「いいですよ。どんなものでもお預かりしますっ」
宮本ががっかりすると予想していたのに、ニコニコしながら返事をされたせいで、どんな態度をしていいのか困ってしまった。
「……これなんだけどさ」
右手に持っていた手帳を目の前で見せると、宮本は引ったくる感じで手に取った。
「うげっ、重っ!」
「だろだろ! 抜群の安定感があるから、センターにいる美少女フィギュアの土台にしてやってくれ」
「えっ!? 陽さんってば、センターのコが好みなんですか?」
いい歳した野郎ふたりが美少女フィギュアの前で口論する姿は、正直目に余るものがあると思ったが、意図せず吹っかけられた宮本のセリフに橋本がカチンときたため、反論せずにはいられなかった。
「それはおまえの好みだろ? 俺はむしろ、センターの右にいるコがいい。スカートからチラリと見える、お尻の形が何とも言えないから」
「確かにセンターのコは好みですけど、二次元ですからね。陽さんみたいに二次元だろうが三次元だろうが、好みの女のコをお尻の形で判断するのは、どうかと思いますよ」
「別にいいだろ、俺だって男なんだし」
「いつも抱かれてばかりいるから、たまには女のコを抱いてみたくなったんでしょ?」
(ああ言えばこう言う。これだといつものように、堂々巡りになるじゃねぇか)
「おまえという恋人がいるのに、他のヤツとはしないって。雅輝に嫌われたら、間違いなく俺は死ねる」
「陽さん……」
「おまえ以外、何もいらない。信じてくれよ」
内心焦りながら、普段は言わないことを口にしてみた。そうすることによって、くだらない喧嘩を回避できることがなんとなくわかってきたので、ここぞとばかりに宮本を口説き落とす。
真実を見極めるためなのか、穴が開くように自分を見つめる宮本の手から、さっさと手帳を取りあげて、センターにいる美少女フィギュアの土台にしてやった。
すかさず空いた両腕を宮本の首に絡ませて引き寄せるなり、しっとりと唇を重ねた。
「雅輝……んぅっ、あっ!」
鼻にかかった声をあげてしまったのは、宮本の指先がスラックスの上からお尻の際どい部分を指でなぞったせいだった。
「ちょっ、いきなり触るなよ」
「手帳を置いたら帰るって言っておきながら、俺にキスした陽さんが悪いんです。こうなった責任を、どうかとってください」
下半身に押しつけられる雄の印に、橋本の躰の奥が否応なしに疼いた。
「わかった、わかったから。シャワー貸してくれ、汗臭いからさ」
「汗臭くても気にしませんけどね。陽さんの匂い、大好きだし。俺も一緒に浴びようっと!」
思いっきりデレっとした宮本は、橋本の背後にいそいそ回りこみ、紺のブレザーを脱がして足元に落とすと、後ろ手から素早くネクタイを外しにかかった。
「自分でやるからいいって。それに、おまえはもうシャワーを浴びてるんだろ。一緒に入ることはな――」
「イチャイチャさせてくれないのなら預かった物を、不燃物の日にゴミとして出しちゃうかもしれません」
橋本が困ることを平気で言ってのけた恋人に頼んだ以上は、素直に言うことを聞くしかなかったのである。