「コウカ!」
ノドカの魔法で大幅に減速した状態でコウカが地上へと降下してくる。
黒いワイバーンが討ち取られ、歓声を上げる兵士たちを背に私はコウカが落ちてくる地点まで駆け出した。
すでにヒバナとシズクと繋いでいた手は離れている。
黒いワイバーンを倒した瞬間にそっぽを向いたヒバナには乱暴に手を払われ、その流れでシズクとも手を離した。
手を離した時にシズクは左手で右手首を押さえていたので、怪我はしていないと思うが少し心配である。
――だが今はそれどころではなかった。
コウカのほぼ真下に到着すると、程なくして彼女は右手で左ひじの辺りを押さえながらゆっくりと地上へと降りてくる。
少し俯き気味でその表情は見えないがどこからも血が出ているようには見えないし、怪我もなさそうな感じで安心しつつ駆け寄ってからそれに気付いた。
「こ、コウカ……腕……っ」
コウカが右手で押さえていた左腕の肘から先がどこにもなかったのだ。
その事実に気付いた途端に私の頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
「落ち着いて、ユウヒ」
「ひ、ヒバナ……?」
「コウカなら大丈夫のはずよ。コウカ、話したら?」
ヒバナに声を掛けられ、コウカは顔を上げる。
その表情はどこか申し訳なさそうだった。
「ヒバナ、ですか……」
コウカは押さえていた右手を離して左手の傷口を見せてくれる。
反射的に顔を背けたが、一瞬見えてしまったものが私の想像していた状態とは違ったので視線を戻す。
彼女の左腕の断面は赤ではなく薄黄色一色で、血も一切出てはいなかった。
「……わたしは本当の人間とは違います」
「痛く、ないの……?」
我ながら間抜けな質問だと思う。今、聞かなければならないのはそんなことではないはずなのに。
コウカは私の質問に答えつつ、自分の状態を説明してくれる。
「はい、痛くはありません。……わたしはマスターと同じ人間になるために、同じものを感じられるようにこの体になりました。でも完全な人間とは違います。痛みは時と場合によっては邪魔になります。空腹や眠気なども同じです。わたしは戦いの中で場合によってはその感覚を遮断しながら戦っているんです」
コウカが今の姿になってから何度か戦う所を見たことがあったが、そんな話は聞いたことがなかった。
あれほど様々な感覚を喜んでいたコウカのことだ、感覚を消してしまうことに抵抗があったのかもしれない。
「……わたしはマスターが望んだ人間になりたかったんです。たとえそれが嘘でも、偽物だったとしても……それをマスターに知ってほしくはなかった」
コウカが言う“私の望んだ人間”という言葉が引っ掛かった。
私はこの子に対して人間になってほしいと言ったことなどあっただろうか。
そうして少し過去の記憶を掘り返し――ハッとした。
コウカと出会って間もない、この子がまだ小さなスライムだった頃のことだ。
コウカに一方的に話す時間がどこかもの寂しく感じて、そう口から零してしまったことがたしかにあった。彼女はきっとその時のことを言っているのだ。
私でも忘れていたようなことをずっと覚えていて、それを叶えようとした。それがこの子の人間になろうとした理由だったのだ。
だが私は本当にコウカに人間になってほしかったのだろうか。今思うと少し違う気もする。
どうあってほしいのかが自分でも分からない。その答えは、今この瞬間には出せそうにもなかった。
「コウカ、そろそろ腕を治して。結構、痛々しいから」
「え……?」
そんなことができるのか、とヒバナの顔を見る。
彼女は一瞬だけ私の顔を見上げてくるが、すぐに顔ごと目を逸らしてしまった。とはいっても、説明はきちんとしてくれたのだが。
「私たちは人間の姿を取っていてもスライムよ。体は魔力で出来ているの。腕くらい、あなたから魔力を貰えばすぐに元通りになるわ」
それなりに魔力を貰うことになるけど、とヒバナは最後に付け足した。
なるほど。たしかにコウカたちの種族はスライムのままだ。コウカが“スライムフェンサー”であるように、ヒバナは“スライムフレイムウィッチ”、シズクは“スライムアクアウィッチ”だった。
彼女たちは人間と同じ姿を取っているが、本質的には人間とは違うのだ。
だが私はそのことにそれほどショックを受けなかった。
以前はコウカが人間であったらいいと望んでいたはずなのに私自身、自分の気持ちが分からない。
何はともあれ、左腕は治るようなので胸をなでおろす。
コウカの腕が治るなら、今回の戦いは大勝利といえるだろう。自分の心の中に少し疑問が残ってしまったが、それは追々解消していけばいい。
――だがヒバナの言葉を聞いたコウカは、伏し目がちに口をもぞもぞとさせながら小さい声で何かを呟いていた。
「……まく…………です」
「ちょっと、はっきり喋ってよ。聞こえないわ」
「上手く治せないんです!」
「ひゃっ!?」
コウカの大きな声にヒバナの体が跳ね上がる。……何だか、この反応はさっきも見た気がする。
多分ヒバナもシズクも他人が苦手なことは変わっていないのだろう。
ヒバナはシズクを守るために気丈に振舞っているが、根っこにある部分はあまり変わらないのかもしれない。この子たちはおそらく双子で、生きてきた環境も同じだったのだ。無理もないだろう。
それはさておき、今はコウカが言ったことだ。
「上手く治せないってどういうこと?」
「……実はこの体になってから魔力が思うように使えないことがあるんです」
言われてみれば、コウカは今の姿になってからあまり魔法を使わないようになった。
あまり気にしていなかったが、魔力を上手く使えないのを隠していたのだろう。
どうして私に相談してくれなかったのかと少し悲しくなるが、気を遣わせたくないと思っていたのかもしれない。
「はぁ? ……シズは?」
「うん」
いつの間にか復活したヒバナがシズクと何かを話しているが、この子たちはお互い通じ合っているところがあるのか、少し会話が不明瞭なことがあるようだ。
「えっと、何の話?」
このままでは私が付いていけないので、2人に説明を要求する。
2人とも何を言っているんだ、またはなぜ分からないんだといった風に顔を見合わせながらも説明してくれた。
「コウカの言っていることが理解できないのよ、私はそんなことないし」
「あ、あた、あたしもないよっ……」
2人ともコウカの言っていることに心当たりがないらしい。さっきの会話はそれを確認していたということだ。
「でも、本当なんです。こう、なんというか失った腕に魔力を集める感覚が分からなくなったというか……」
「え、分かるでしょ。こう……腕のあった場所に魔力を集める感覚よ!」
コウカとヒバナが身振り手振りでその感覚を表現しようとしているが、難しいのだろう。それに彼女が言っていることは何の解決にもなっていない。
2人はどんどんと距離を近づけながら会話をヒートアップさせていたが、喧嘩をしているわけではないので、私としては止めるべきかどうか悩みどころだ。
そんなところに袖が引っ張られる感覚を覚えたため、振り返ることにした。
そこに居たのはいつの間にかヒバナの側から離れ、左手で私の袖を掴みながら体を仰け反らせているシズクだった。
彼女は私が振り返ったことでその場から逃げようとしたが、自分で私の袖をつかんでいるので逃げられない。……何をやっているんだか。
とりあえずシズクのことを落ち着かせようとして、その手段を考える。
そういえばさっき手を繋いだ時、初めは逃げようとしたがすぐに自分から掴んでくれたことを思い出した。
それならば多少落ち着くかと私の袖を掴む手を握ることにした。最初はあわあわとしていたシズクだが次第に落ち着きを取り戻す。
そしてできるだけ優しく、怖がらせないように心掛けながら声を出す。
「えっと……落ち着いた?」
「ふぇ……ひゃっ、だ、だい、大丈夫っ!」
私が声を掛けるとすぐに元のように慌て出すシズク。とてもじゃないが大丈夫なようには見えない。
これを繰り返していると話が進まないので多少強引にでも会話をする。
「それでどうかしたの?」
「え、えと、あの、その」
シズクが俯き、もぞもぞとしながら右手で私の後ろを指さす。
なんだと思って振り返ると、そこには大量のアーススネークが現れ、兵士たちがてんやわんやしている光景が広がっていた。
「い、行ったほうがいいかも……」
「あっ、スタンピード……!」
そうだ。黒いワイバーンを倒して終わった気になっていたが、ダンジョンから流れて来る魔物の群れはまだまだ続いている。
ここで暢気に会話をしている場合ではなかった。
「コウカ、ヒバナ! 続きはまた後にして!」
こうして私たちは戦場に戻っていったのだった。
そうして私たちは戦線の中央でアーススネークの討伐を手伝った後、すぐに右翼へと戻った。
私たちが離れた後も右翼は無事に持ちこたえられているようで、ワイバーンの討伐を見ていたショコラが即座に駆け寄ってきた。
その際、見たことのない双子の姿に首を傾げていたがその子たちがヒバナとシズクだと言うとひどく驚いていた。
隠していても同じなので、ついでにコウカもスライムだと教えると再度驚愕していた。
ショコラは私とコウカのことを最初、姉妹だと思っていたそうだがあの子が私を“マスター”と呼ぶのでよく分からなくなってしまっていたらしい。
――コウカと私が姉妹って髪の色とか目の色も全然違うと思うのだが。
それを言うとヒバナとシズクもなので、何も言えなくなる。
ショコラと合流した後もヒバナとシズクの大活躍で魔物の殲滅スピードは格段に上がっていた。
2人が魔法を放っている間、私は2人の手を握っていたがこれにどんな意味があるのかは聞けていない。
コウカは剣を失い、魔力の扱いも本調子ではないようなので私の近くで控えてもらっている。
そのことを伝えると剣が壊れたことを思い出したのか、泣きながら謝られた。そんなに悲しまれても、銀貨5枚で買ったセール品の超安物なので私もやりづらい。
それならもっといい剣を買ってあげればよかったなと密かに後悔したので、次に買ってあげるときはもっといい剣にする。
それを伝えると、泣きながらすごく喜んでいた。
――まあ……王都へ来るために金欠となったので、いつの話となるかわからないのだが。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!