テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
21
柘榴とAI

127
191
#探偵
橘靖竜
5,431
「おお、やはりか。堀口さんも何かしらの成果を挙げたということだな」
モニターに目を光らせていたポジティブマンは、テーブルの緑茶を一口飲んでから言った。
「つい先日お会いしたばかりなのに、このような場で名前を見ることになるとは思いませんでした」
玲奈も緑茶を一口飲んだ。
ポジティブマンは、堀口の表情を注意深く見つめた。
彼は相当緊張していた。
そして、それ以上に困惑しているようにも見えた。
「とにかく、いい知らせが聞けそうで何よりです。家族を亡くされた悲しみが、少しでも慰められることを願います」
玲奈はソファから背を離し、モニター画面を見つめた。
最愛の妻と娘を失ってなお、黙々と仕事をする。
それは勇信には想像できないことだった。
兄を亡くして混乱に陥った自分を思うと、堀口の勤勉さは称賛に値した。
同時に、それはあまりにも悲しい現実でもあった。
『こちらにいらっしゃる堀口ミノル課長は、静岡県しそね町に建設中の複合商業施設、ビスタの企画担当をなさっています。ご存じのとおり、ビスタは吾妻和志会長が故郷を思ってはじめた地域再生プロジェクトであり、すべての計画は会長の希望に沿って実施されています。間違いありませんね、堀口課長』
『はい。そのとおりです』
『つまり裏を返せば、吾妻建設は会長の意思に従って、ただ建設だけを進めていればいい。利益が出るかどうかは、自分たちには関係ない。そういうことですね?』
『はい?』
勇太の口調に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
『もちろん、会長の方針に従うことは、社員として健全な態度でもあります。しかし会長がベッドに寝たきりになっている今、そのままビスタの建設を推し進める必要があるのでしょうか。私が何を言おうとしているのか、わかりますか』
『申し訳ございません……うまく理解できておりません』
『人が盲目的に働きはじめると、怠惰がはじまります。ただ上からの指示に従い、毎日をやり過ごすことになるからです。しかし怠惰が深刻なのは、それを利用してのさばる人間が現れることです』
勇太はスーツのポケットから小さなリモコンを取り出し、ボタンを押した。
スタジオの照明が暗くなり、スクリーンに1枚の資料が映し出された。
『こちらは、私のもとに届いたレポートです。実体のない取引を装った手形処理、下請け業者からの不自然な送金。計4件の報告がありました』
「えっ……」
玲奈の喉から、小さな声が漏れた。
『こ、これはいったい何でしょうか』
堀口はぽかんとした表情で、スクリーンを見つめた。
『怠惰の証拠品です。この資料は、堀口課長の悪行をこれ以上見ていられないと感じた人物から送られてきたものです』
勇太は、堀口から一度も目をそらさなかった。
『堀口さん。我々が持つべき情熱を、身勝手な方向へ向けてはなりません。自分さえよければいいという願望のために、グループ全体のイメージを失墜させるおつもりだったのですか?』
『吾妻副会長。私はこんなことは一度もやっていません……』
勇太がステージの奥を見つめ、小さくうなずいた。
すると2人の警護員が現れ、堀口の腕をつかんだ。
いきなり体の自由を奪われた堀口は、激しく抵抗した。
『離してください! 私は賄賂など受け取っていません! 信じてください、副会長。お願いします!』
勇太は表情を変えることなく、リモコンのボタンを押した。
画面が切り替わる。
下請け業者から堀口名義の口座へ送金されたという、生々しい金額の一覧が映し出された。
『堀口ミノル課長の主張と、こちらの口座の内訳。私はどちらを信じればいいのでしょうか』
『これは陰謀です! 副会長、私は何もしていません!』
『彼をステージから下ろしてください』
2人の警護員が、堀口を強制的にステージから退場させた。
堀口は抵抗しようとしたが、すぐに自由を奪われた。
そのまま、ほとんど引きずられるように画面の外へ連れていかれる。
『親愛なる社員の皆さん。利益も望めず、内部腐敗まで発覚した静岡県しそね町のビスタプロジェクトは、一旦中断します』
勇太は、カメラへ向き直った。
『我々の目的はボランティアではありません。我々が成すべきは、人々に良い製品を提供し、その利益によってさらなる良品を生み出すことにあります。情熱の裏側に隠された腐敗。私が戻ったからには、そうした悪行を一掃することをお約束します』
スタジオの撮影スタッフが、大きな拍手を送った。
中継を見ていたポジティブマンと玲奈は、無言で目を合わせた。
執務室の外からは、一切の拍手が聞こえてこなかった。
——堀口ミノル。彼は犠牲者ではないのか?
ポジティブマンの直感がそう告げていた。
一度会っただけだったが、堀口が汚職に手を染める人物ではないという確信があった。
そもそも妻と娘を亡くしたことで、保険金も受け取っていたはず。
なのに、なぜ彼が危ない橋を渡ってまで、さらなる金銭を得る必要があるのか。
玲奈も同じように、どこか信じられないという顔をしていた。
ステージ上の勇太は、演説を締めくくろうとしている。
『親愛なる社員の皆さん。私は皆さんの熱意を歓迎します。そしてこれより、組織内部に溜まった膿を切り取っていきます』
勇太の声は、さらに力を帯びた。
『我々グループは、すべてが可視化された透明な方針によって、さらなる発展を遂げていくでしょう。努力が無駄にならない企業。そんな美しい職場こそが、吾妻グループの目指す未来なのです』
*
堀口にとって、この状況は受け入れがたいものだった。
突然の辞令を受け、夜明けに東京へやって来た。
そしてわずか数分後、犯罪者として追放された。
明るく照らされたスタジオから引きずり出される。
周囲の目が、あまりにも冷たい。
同じグループの一員とは思えないほどの、軽蔑を含んだ表情ばかりだった。
「犯罪者め」
通りすがりの誰かが、堀口に聞こえるように言った。
堀口は2人の男に引きずられながら、通路を歩いていく。
私服警官ではないかと思えるほどに、彼らは慣れた様子で任務を遂行していた。
まるで空から真っ黒な雪が降り、世界そのものを暗黒に塗りつぶしていくようだった。
やがてその色がひとつの思考となって、堀口の頭の中を流れた。
——だまされた。
吾妻建設、谷川所長の罠にかかったのだ。
谷川が常に保身と出世だけを気にしていたことは、部署の誰もが知っていた。
商業施設ビスタの建設になど興味はない。
どうやって個人的な利益を得るか。
どうやって面倒な責任から逃げるか。
そこにだけ情熱を注いでいた。
地域住民への社会奉仕。
利益の創出に向けた取り組み。
そのどれも、谷川にとっては関心の外だった。
1日でも早くビスタの建設を終え、退屈な田舎から抜け出したかっただけなのだ。
最初に企画書を提出したときも、谷川は3行も読まずにゴミ箱へ投げ捨てた。
それでも堀口はあきらめなかった。
忙しい日々の中で計画の見直しと修正を繰り返し、どうにか谷川を説得しようと、幾度となく彼を訪ねた。
しかし所長の承認は、彼の100キロを超える体重ほどに重かった。
堀口の同僚たちもまた、家族に会える週末だけを楽しみにしていた。
長年の友人である同僚は、堀口の努力を認めながらも、あまり肩肘を張らないようにと勧めた。
田舎暮らしの不便ささえ我慢すれば、楽をして給料がもらえる仕事。
それがビスタだった。
堀口は孤立していた。
複合商業施設ひとつが建てられたからといって、それだけで地域の再生につながるはずがないことを、誰もが知っていた。
だからこそ、雇用をどう生み出すかを考えた。
ビスタ周辺に、新たな働き口を作る必要がある。
雇用先があってこそ労働者が生まれ、消費者となり、経済は回る。
ビスタが生き残るためには、地元の人間だけではない、新たな購買層が必要だった。
そしてビスタの客になるには、近隣に職場と住まいがなければならなかった。
そのためのスポーツ振興事業だった。
しかし悲劇は、今日、突然やってきた。
すべてを失った今、残る希望の光はただひとつ。
「吾妻常務……」
昨日送ったプロジェクト企画書を、勇信が慎重に検討してくれること。
もう、それに期待するしかなかった。
——あまり落ち込むなよ。人生ってこんなもんなんだから。
数日前に聞いた同僚の言葉が、頭に浮かんだ。
堀口の努力を知っているからこそ、同僚はそう言ったのだろう。
「上が何を考えているかはわかっているさ。ただ、門前払いばかり食うから、結構精神にこたえるな」
堀口は、手にした焼酎を飲み干した。
「それがサラリーマン社会ってもんさ。出る杭は打たれる。俺の知る限り、吾妻勇太副会長だって似たような方だそうだが?」
「副会長……」
しそね町の中心を流れるしそね川。
その周辺にある寂れた工場と家々。
堀口は、あの日のことを思い出していた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!