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その人を見るなり、女学生さんは急に大人しくなって「あ、はい……! やってみます」とキーボードを操作し始めた。
「よほど染み込んでいなければデータまでは無事だろう。どうだ?」
「はい……。あ、出てきました」
「直前まで自動回復も働いているはずだ」
女学生さんの顔に安堵の笑みが広がった。どうやら問題はなかったらしい。
ディスプレイには汚れが残っているけれど、データが無事なのは不幸中の幸いと言っていいのかな……。
とは言っても高い品物なのだから申し訳ない。やっぱり弁償した方が……。
と私が思っていたら、男性が厳しい口調で女学生に言った。
「図書館で飲食が禁止なのは基本ルールだろう? こういうことがあるから設けられているんだ。解ったか?」
「は、はい……」
しゅんとなってうなずく女学生さん。
「以後気を付けるように」と言うと、男性は去って行く。
その毅然とした後ろ姿を私は茫然と見送っていたが、はっとなって追いかけた。
「すみません、ありがとうございました」
呼び止めると、男性は振り返って無表情で私を見下ろした。
改めて向き合うと、ものすごく整った顔立ちをされていることに気付く。
涼しげな目元が印象的で、通った鼻筋、引き結ばれた薄い唇、すっきりとした顎のラインが、理知的という雰囲気を作り出している。
でも無表情だと少し冷ややかという感じを覚えて、私はやや緊張した。
この大学の教授さんだろうか。年齢は三十歳前後に見えるけれど、ずいぶんお若い方もいらっしゃるんだな。
「いや。うちの学生が失礼をした。あまりにみっともなくわめいているから見過ごせなくてね。とは言っても、君ももう少し注意して仕事をしてもらいたい」
「はい……! 気を付けます。つい本に気を取られてしまって……。私の不注意のせいもあったんです」
「本ね」
と教授さんは私をしげしげと見つめ、
「ずいぶんと若いようだが、もしかしてうちの学生と同じ年齢くらいか?」
「あ、はい。そうです」
「清掃会社の方?」
「はい」
考えるように少し間を置くと、教授さんは図書館内に戻って行った。私もおずおずとついていく。
「どの本だ?」
「あ、あの、新刊の絵本です」
私が指さすなり、教授さんはその絵本を持って受付に行くと手続きをして戻ってきた。そして私に本を差し出した。
「私の名前で借りておいた。一週間ぐらいで返してもらえればいい」
「え?」
「読んでみたかったんじゃないか?」
「え、あ、はい」
思わず手に取ると、ずっしりと重かった。
表紙の可愛い動物たちが、夢の世界へおいでよと言ってくれているような、そんなわくわく感が芽生える。
「……ありがとうございます!」
ぎゅっと本を抱き締めると、私は思わず笑顔になって教授さんを見つめた。
教授さんは驚いたように一瞬目を見開いた。
けれども、すぐにまた表情を戻して、
「好奇心は大切だ。意欲は持ち続けなさい」
そう言い残して去っていた。
変わらず冷ややかな顔だったけれど、ほんの少しだけ微笑んでくれたように見えた。
これが、私と聡一朗さんの最初の出会いだった。