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推敲後の文章
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あの頃の私は、何も知らなかった。
今ではもう見慣れた。品評会が始まろうが、冷静にやり過ごせる。慣れたからといって、見たいわけじゃないけれど。
ただ、すべての男がそれを求めてくるわけじゃない。ただ話したいだけの人もいる。世間話をしたり、誰かに話を聞いてほしいだけの人も。そういう相手と過ごす時間は、まだ楽しかった。
女子校育ちで、元彼も数人。夫以外の男をほとんど知らなかった私にとっては、世の中にはこんなにもいろんな男がいるのかと、妙な社会勉強にもなった。
最初は、ほんの少し肌を見せるだけでも抵抗があった。
けれど今では、一糸纏わぬ姿を晒すことが当たり前になった。恥ずかしいとも、怖いとも思わない。
じゃないと、生きていけなかったから。
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最初は、ほんのお小遣い稼ぎのつもりだった。数時間だけ働いて、それで終わりのはずだった。でも、次第にがっつり稼がざるを得なくなった。
理由はひとつ。
夫のせいだ。
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もともと、私は大学を卒業して地元の企業でOLをしながら、小さな劇団に所属していた。そこで出会ったのが、劇団の先輩・橘綾人。彼の熱烈な求愛を受け、結婚した。
「劇団も仕事もやめて、専業主婦になってほしい」
綾人の言葉に、私は頷いた。
親が過保護すぎて、とにかく家から逃げたかった。だから彼の求婚を受け入れた。
でも、仕事を辞めたら――夢見ていた舞台女優の道まで閉ざされるなんて、考えてもいなかった。
「僕が稼ぐから、働かなくていいんだよ」
「子どもが生まれて、育ってから劇団に戻ったって遅くはない」
「ほら、〇〇さんだってそうしてるじゃないか」
彼は、具体的に先輩劇団員の名前をいくつも挙げてきた。
……そうなのかもしれない、と私は納得した。
そして子どもを授かった。
名前は綾人が決めた。理由は聞いていない。
私に、その権利はなかった。
名前だけじゃない。
すべてがそうだった。
私はただ、綾人の後ろをついていくしかなかった。
「私は、家事と育児と綾人のサポートをするのが一番」
そう、自分に言い聞かせるようになっていた。
綾人は仕事の合間に劇団の稽古を続け、主演として地方の舞台に立ち続けていた。
その間、私はずっと一人で育児をしていた。
実家を逃げるように結婚したし、綾人の親は遠方にいる。
誰も頼る人はいなかった。
赤ん坊の藍里を抱え、個室席から綾人の舞台を見ていた。
他の劇団員と談笑しながら、ライトを浴びる彼を眺めながら、私は思った。
――羨ましい。
それでも、〇〇さんのように、育児が落ち着いたらまた舞台に立てるはず。
そう信じることで、自分を納得させた。
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藍里を連れて劇団の仲間たちに会いに行ったときのことだった。
〇〇さんが私を、舞台袖に呼んだ。
舞台上では、綾人が仲間たちと楽しそうに話している。
〇〇さんは、藍里の頭を撫でながら、小さく尋ねた。
「さくらちゃん……本当は、役者を辞めたくなかったんでしょう?」
私はびくりとしながら、頷いた。
「でも……〇〇さんのように、育児が落ち着いてから――」
そう言いかけたときだった。
〇〇さんの表情が変わった。
「育児は、いつまでも終わらないわよ」
〇〇さんは、冷たく笑った。
「私はもうすぐ五十。息子は二十五、娘は二十二。けれど、息子はニート、娘は家出……まぁ、私が五年前に家を出たから、もう知らないけど」
「家出……?」
思わず聞き返すと、彼女は淡々と語り出した。
「私も昔、夫に『結婚したら家に入れ』と言われた。だから劇団を辞めて、家事と育児に徹した。姑にはこき使われ、夫には尽くし続けた。気づけば、私は”ただの世話係”になっていた。夫はろくに生活費も入れず、私は家を守り続けた。姑が死んだとき、ようやく夫に離婚届を叩きつけて、子どもたちを置いて家を出たの」
「……」
「今は貯金を切り崩しながらパートをして、舞台に戻っている。でもね、私は思うの。あの二十代という若い時代を。あの三十代という美しい時代を。あの四十代という穏やかな時代を――全部、食い尽くされた」
そう言って、〇〇さんは涙を浮かべた。
でもすぐに、それを拭って笑う。
「まぁ、どのステージで輝くかは、あなた次第よ」
そう言い残して、彼女は去った。
けれど、その後、彼女の名前が世に出ることはなかった。
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綾人は、私を家に縛りつけた。
それでも、自分は仕事をし、劇団を続けていた。
生活費は、少ししか渡されなかった。
それでやりくりしろと言われても、足りるはずがない。
私は、貯金を切り崩した。
それでも足りなくなって、とうとう娘がもらったお祝い金まで手を出した。
――ああ、足りない。
特売の肉や野菜を買っても、間に合わない。
育ち盛りの娘、大食いの夫。
私は朝食を抜いても、足りなかった。
今は、娘と二人、慎ましく暮らしている。
彼女の未来のために、貯金をしたい。
だから私は――
生活を守るために、身体を曝け出すのだ。